はい、一応決着が付いていたようですね。
それにしても谷田川は間違いというか、史料もないまま思い付きで書いてしまったことを認めるまでここまで掛かるとは(^^;
男系脳の支配は恐ろしい洗脳力だと思います。
谷田川は間違いを認めるのに相当苦しんだ様子、自身のプライドの為に1か月も要したのですから。
彼らの教義である男系価値観を曲げることは容易ではないんでしょうね。
それにしても森先生は大人でいらっしゃる、私なんて人間が出来てないから、ざまあと罵ってます(笑)
谷田川惣さんから、私の批判について応答していただきました。江戸中期、伏見宮貞敬親王が皇位継承候補でなかったことについては、「今のところ」という留保つきながら、たしかにそうしたことを示す一次史料はないということでした。認めていただいたことは、たいへん勇気のいることで、敬意を表します… https://t.co/eoNI5heing
— 森暢平 (@mori_yohey) June 10, 2024
孝明天皇譲位のところは、私は「究極的に他系に皇統を移すつもりは孝明天皇にはなかった」と言ったのみで、伏見宮家には皇位継承の資格がなかったと書いたつもりはありません。この点は、江戸初期から中期の四親王家の在り方、後西天皇などの例を踏まえて議論する必要があります。江戸期の天皇が子供を法親王にせざるを得なかったのは、むろん、財政的な側面があるためです。当時の天皇も、可能ならば、四親王家の継承権を、自分の御子に譲ってほしかたったはずです。しかし、制度と財政がそれを許しませんでした。それを一気に解決したのが、四親王家を廃止した明治の改革です。その準備は、光格天皇以後の朝廷、そして水戸学などの政治思想にあるわけです。こうした点は、江戸時代の皇位継承をどう見るかに関わる点で、もっと詳細に語りたいところですが、twitterでの議論には限界がありますので、ここまでで留めます。
わざわざ世襲親王家を設けたことが直系にこだわらない証だと言う男系固執もいるし、谷田川も同じようなことを書いていたけど
森先生がおっしゃるように、そもそもそんな考え方が歪で、天皇が継承権を傍系ではなく自分の子供に譲りたいと考えることは普通だと思う。その考えが叶わなかった当時の制度。よほどのことがない限り、まともな制度改革が進まない・出来ない国なのは今も昔も変わらないのか。