少しだけ加筆修正しました。

 

1779(安永8)年10月29日、後桃園天皇が継嗣をもうけないまま21歳で亡くなったときのことについて著述家、谷田川惣(やたがわおさむ)は、一代前の女性天皇、後桜町上皇と近衛前久(さきひさ)が伏見宮貞敬(さだよし)(当時3歳)を、関白・九条尚実(ひさざね)が閑院宮師仁(もろひと)(当時8歳)を、それぞれ推したと書く。谷田川は「10日間」の議論の末、閑院宮師仁が光格天皇として即位したと続ける(『入門「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか』)。谷田川が書く「近衛前久」は1612年に亡くなっており、「近衛内前(うちさき)」(前太政大臣)の間違いである。

 

>まったくの不見識である。

まったくです。

谷田川さん、この記事読んでますか?

本まで出しているのにこの体たらく、もっと勉強しないとね、
男系固執は根拠もないデタラメと言われても仕方がないですね。

千年どころかあと数十年持つかどうかの風前の灯ですよ。

男系で繋げば安泰だと構えてわくわくするなどと、脳内ご都合過ぎる。

男系固執たちが頼みの旧宮家系も断絶の危機状態。

そこから引っ張ってくるという事は、もう後がない状況が分かってないのか見て見ぬふりをしているのか。

いずれにしても寒気がするうすらポエムを垂れ流しているだけ、

自分の考えばかりで陛下や皇室の方々のお気持ちなど微塵も考えていない、尊王心もない勝手者。