この記事のコメントのやりとりで「実際継体天皇の時などは無理やり男系で繋いだわけで」というご意見を頂戴したので継体天皇について少し。

よく男系固執は「男系維持の為に必死で継体天皇を探した」と言いますが

当時、乎富等王(継体天皇)以外の皇族がいなかったというのはさすがにありえない。

記紀をみても、同時期に逃亡?したとされている倭彦王以外にも「王」とされる皇族が数人書かれていることから、継体天皇と同じように地方に土着した傍系の皇族はいたとみられることは間違いない。

 

「謎の大王継体天皇」の水谷千秋氏によれば

二世三世となった実質的な皇位継承資格を失った「王達」は地方に生活の基盤を求め、結果裕福な経済基盤を築き土豪としての勢力を皇族のまま培う事があったとされています。

中央の皇統が衰退し、これに変わって地方の裕福な皇族が台頭し、その皇族を担ぎ上げた勢力があったことで継体天皇の即位が容易に説明できる。

そうなると、「男系を維持するため」に必死で男性王族を探していたという説は成り立たない。

 

記紀に記されている通り、中央政権は確かに男性皇族を探し機内に迎えたのだろう、

ただ、血統の上からすると乎富等王(継体天皇)よりも相応しい「王」が他にもいたにも関わらず機内に迎え入れた背景を探るべきです。そうなると「男系を維持するため」に必死で男性王族を探していたという話は男系固執の思い込みによるものでそんな単純な話ではないという事です(^^