今日のモヤは、自分のモヤです。
アメーバを開いたら、spotlightに気になる記事が紹介されていた。
「彼女を褒め続けるとどうなるのか?」を実験したというコラムだ。
日々キレイだ可愛いだ言い続けていると、彼女が化粧品や服を見直してキレイになる努力をするようになったというもの。
いいな。幸せの連鎖だと思う。
いいことづくめで、みんなが幸せになれそうな。
さて。
私は夫に感謝や労いの言葉をもらうことがないといつも愚痴っているが、では逆に自分が夫に感謝や労いを言葉にして伝えていただろうか。
そのつもりになっていて、実はないことに気づく。
そうか、私はねだるばかりで自分は何も動いていなかったのか。
1つ反省を始めると、次から次へと反省反省また反省…
例えば。前回のモヤで吐き出した金曜日イライラの件。
本音は、そんなことわざわざ言わなくてもわかって欲しい。だって毎週のことだし。
でももし前日に、私がたった一言「明日は教室だから朝の準備協力してね」と言えていたら、きっと夫の行動は違っていたと思う。
一言伝えるだけでイライラが少なくなるなら、その方がよっぽどいい。お互いに。
イライラが減るし、もしかしたら朝の会話も増えたかも。今日はどんなことするの?とか、夫も少しは興味を持ってくれたかも。子供と接する時間が増えたかも。
私は自分で家族の繋がりを断ち切っていたんだね。
毎日を大事にして生きたいと思っているのに、雑にルーティン化して流していたのは、私だった。
そしてたぶんそれは、夫も同じことなんじゃないかなと思う。
家族でいることが、流れ作業になっている。
思えば、もう長いことゆっくり話なんてしていない。向き合っていない。
私がこんなことを考えるように、夫も考えることがあるのだろうか。
それすらわからないでいる。
夫婦なのに。
こんな関係で、私は「妻」でいていいのか。
夫にちゃんと顔を見てもらったのは、いつが最後だろう。
私を求めて、必要としてくれないと、ここにいていいのかわからない。
私がよく言う「感謝して欲しい」の根底にこんな思いがある。
現在専業主婦の私は、出産を機に退職したけれど家計を考えたら本当は働くべきで。
わかっていたけど、親も頼れない育児にいっぱいいっぱいだった。保育園事情や自分のスキルのなさもあいまって、主婦であることに甘えた。
そしたら事あるごとに「穀潰し」「ニート」「内職しろ」と言われ、本当に傷ついた。
当時は、体のあちこちがずっと痛くて、髪はバッサバサバ抜けて、毎日おっぱい出しっ放しで抱っこにおんぶ、尽きない世話と家事、遊びにも行けない、友達もいない。風俗行って帰らない夫に気づかないフリしてご飯も食べずに待っていた。思い返しただけでゾッとするようなもう二度と戻りたくない地獄のような日々。
後からそんなつもりはなかったと言われても、今はもう言われなくても、この地獄の日々と一緒に消えない思い出になった。
お金を稼がないって罪なんだ。
だからこの日々は私への罰なんだ。
ごめんなさい。
もっと頑張るから、どうか私を必要として。この家で家族でいさせて。
今でもそう思っている。
モモがごはんを食べて「おいし」って言うと"嬉しい"よりも"よかった"と感じる。
よかった、私はモモに必要とされてる。と。
私はあのときからどこか壊れたままだ。
こんな思考、おかしいし気持ち悪い。わかっていても変えられない。
もっともっと頑張らなくちゃいけない、もっともっとちゃんとやらなくちゃいけない。
でも全然できなくて、すぐイライラしてきて、気付けば絶対になりたくないと思っていた自分の母のようになっていて、どんどん自分がキライになっていく。
でも、こんなこと考えていることが知られたら、きっと離れていってしまう。
だから隠して、我慢して、忘れて、生きなければいけない。
私は家族が欲しい。愛すること愛されることが当たり前の場所が欲しい。
だから、感謝されたいとねだってしまう。
感謝こそが、私がいて許されるための言葉だから。
ただの愚痴っぽいように聞こえて、実はすごく根が深いんです。
でも、求めるならまずは自分が口にしよう。
夫が求めているかは定かでないけど。