【参考意見】様 2020年6月25日投稿
>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より
博士の南無天理王命で気付くことであろうが、南無とは仏教語であり日本古有の言葉ではないということも知られたであろう。
何故に天理王命なる神道の神と云うているもの(同じ天理教学者でも、日本の神ではないと言う者がある。また余も後述するであろうように、日本古典の神であるとするには、天理教の神と日本古典の神との相違が、あまりに甚だしいのは事実である)に、
仏教語たる「南無」なる語を冠したか。
これについて余は、次の二点を提示し得ると思う。
1、教祖が若くして浄土宗の信者であって「南無阿弥陀仏」と称え、おそらく南無の意義を、廣池博士的ならざる意味に於て理解していたのであろう。
2、教祖の生前は、両部神道の影響甚だ大なるものがあった為に、仏語を神名の上に冠したりとて、当時にありては新しい神様の名だとしか思われないで、それに対し何等の不思議も感じなかったことであろう。
という点に存する。
ところが天理王命も天理ではなくて、
天輪王の尊とか、
天龍王の命とかと言われた時があったのである。
* 神名の変遷については「転輪王明神」(慶応三年吉田神祀管領より認可)や「転輪如来」(明治十三年転輪王講社)などもあります。
ある研究者によると、20以上の呼び方の変遷があったようです。
また、おふでさきには「かみ」「おや」「つきひ」という記述になっていますので、「理が神である」という考えに立てば、申請や役所に届けるだけの「神名」など意味のないモノと考えるべきかもしれません。
これによりても廣池博士等の説は、大なるコジツケであるという以外の何らの判定も無いではないか。
天理であればこそ博士のコジツケも、なるほどと人をして肯けさせもしようが、
天輪王となれば博士は、これにどんな解釈を施すのか。
天が輪であるとでも言うのか。
呵々、天理教もまた、天龍教だの、天倫教だのと云った時があるではないか。
または天の将軍と云った時もあるのではないか。
「市兵衛は茲ぞと、尚も丹精を凝らして祈祷した。
教祖の御容子は、ますます荘重を加え給う。
両眼は日月の如く輝き、手にせし御幣は左右に上下に凄まじく打ち振るう。
『お降りの神様は、どなた様で御座います』市兵衛は直ちにお尋ねする。
『我は天の将軍』凛々しい御聲には一座の者、思わずハッと慴れ伏した。
すると市兵衛は直ちに『天の将軍とは、どなた様で御座います』と押し返してお尋ねする。
教祖は『元の神、実の神である』と答え給い」
(天理教同志会編集部発行「天理教祖」42頁~43頁)
これによって見ても、天理教の神は、種々なる名を変えたものであるということが、理解されたであろう。
さて、前にも一寸述べたが、廣池博士の論によって明らかなる如く、天理教の神は実在するものではない。
ということと、神の創造について、も少し述べることにする。
さて、これを説くに際して、天理教徒の主張を聞こう。
「教祖は、筑前の質問に対して、流るるが如く答え給う。
話は進んで遂に、神の本体論に及んだ。
『十柱の神の御守護、八ツの埃聞けば、なるほど一々道理じゃ。
然らば其の神々の御姿とは如何様なものか、人間のようなものか』
こういう面倒な質問には、おそらく速やかな返答はできまい。と、高を括って発した質問。
もし似せ者ならば、この辺で旗を巻くであろうと、勝敗を一挙に決せんとする質問。
筑前の聲には一入、力が入っていた。
その調子は急であった。
『理が神、誠一つが天の理』
何の淀み給うところもなく、直ちにスラスラと答え給うた」
(天理教同志会編集部発行「天理教祖」111頁)
また、
「天保九年十月二十六日、即ち旬刻限の到来になり元なる地場に、
あらわれ給うた神様は、これを天理王命と申しあげるのであります。
天理王命とは、
国常立命、面足命、国狭槌命、月読命、雲読命(またの名豊斟渟尊)、
惶根命、大食天命(またの名大日霊命)、大戸辺命(またの名大苫辺命)、伊耶那岐命、伊耶那美命
の十柱の神様を総称して申し上げるのであります。
総称とは十柱の神様の御守護を抽象して称えたので、
これは丁度、物には体と用に分かれてあるように、
その用は多方面であっても体は一つであると同じようなものであります。
今一つ例えて申せば、
吾々の精神作用は知識、感情、意志と三つに分かれてありますが、
意識というのがこの三つの機能を統一すると同じ理由であります。
このように天理王命の御守護は十方面に分かれてありますが、
この十の御守護を一つにしたものが即ち、天理王命であります」
(地場思潮社発行「天理教とは如何なる宗教か」6頁)
それから、もう一例は、前掲のものであるが、叙述の必要上、採録することとする。
「始めは南無天理王命といえり。南無は神の本体にして、即ち宇宙の形を指す。
天理は宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す。
而して神も人間も泥海の内または暗黒の中より組織せられて
今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと云うにありて
其の説は今日の所謂進化説に一致せり。
其の十種の神とは、此根本神霊の任務の分類なりという。云々」
(三省堂、日本百科大辞典第7巻74頁中段天理教の項参照)
さて、以上三例の外に、教祖は何と云っているかというに、
十柱の神の名前を、御神楽歌にも御筆先にも述べていぬようである。
そして教祖が、神を指して用いた言葉は、次のようなものである。
1、つきひ
2、かみ
3、てんりんおうのみこと
4、おや
5、理、または誠
等である。
これによって如何なる帰結が導き出されるか、余は第一例より順々と検討していくこととする。
(続く)