悲しい出来事があっても、
すぐに、平気、と言ったり
笑ったりしていませんか
程度の差こそあれ、
通常のことではない様なこと
例えば、
職場で無視された
大きな声で、沢山の人の前で怒られた
家で
親やパートナーから傷つく様なことを言われた
など
傷つく様なこととは、
体型や容姿などすぐには変え様のないことを
馬鹿にすること
自分の好きなことや大切にしていることを
ないがしろにしたり、踏みにじること
自分の給料や職業を馬鹿にすること
などなど
数え挙げたらきりがありませんが、
核となるのは、
自分そのものや、大切にしていることを尊重しないこと
自分が尊重されないと、悲しくなるのは当たり前のことです
しかしながら、幼少期からその様な環境にずっと置かれていると、そんな風に自分が扱われることが普通、となってしまっています
悲しいに決まっている様な出来事にあっても、
悲しめない
それどころか、笑って誤魔化してしまう
そんなことが何年も何十年も続いたら、
何が悲しくて、楽しくて、怒ってもいい事なのか
わからなくなるのは当然のことです
先日、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』
を読み直していて愕然としたことがあります
以外、抜粋
ここまでに描いた反応には、数日で変化がきざした。被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。これまで述べてきた激しい感情反応のほかにも、新入りの被収容者は収容所での最初の日々、苦悩にみちた情動を経験したが、こうした内なる感情をすぐに抹殺しにかかったのだ。
ご存知の通り、夜と霧は、アウシュビッツに
収容された方のお話です
日々、死と隣り合わせの生活、人としての尊厳が守られない日常が舞台となっています
そこでの生活に順応していく段階で、人々は内なる感情を抹殺しにかかる、とあります
収容所と機能不全家族は、人の感情を抹殺させるという点では、環境が似ていると考えられます
それほどに、酷いことなのです
私自身、髪質や容姿、出自など、家庭や職場で
散々いじられることがありました
以前の私の対応は、
薄ら笑いを浮かべる
でした
薄ら笑いを浮かべることで、その場を取り繕い、自分を守っていると勘違いしていたからです
しかし、40年以上も経って、
そんなことはおかしい、とやっと気づきました
自分の尊厳が守られない時には、怒ることが当たり前なのです
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