祈りの姿 | あきらのブログ 一期一会 

 

 




























 

そういえば、空海展を奈良国立博物館で開催されており、その展示物を観に行く予定でした。生活圏が奈良市なのに、奈良国立博物館が、月曜日が休館日とは知りませんでした。

 

でも、行く前に、春日大社にお参りしました。一の鳥居からお参りしました。本殿前の拝殿で、静かに手を合わせていました。こうやって、平和に参拝できる事に感謝していました。

 

 

奈良国立博物館は残念ながら休みでしたが、僕は、興福寺の中金堂にお参りしたことがありませんでした。工事をされていたが、落慶法要があったのは、もう、6年前でした。こういうものは、緣というものを感じます。

 

初めて見たお堂は、一瞬、薬師寺のお堂を思い出し、中には、国宝の四天王像や、重要文化財の大黒天、吉祥天、薬王・薬上菩薩など、凄く、歴史を感じる仏様でした。

 

本尊の釈迦如来坐像は、国宝でも重要文化財でもないが、綺麗に金の光沢が神秘さがあり、木造仏であるが、とても、力強い力を感じました。

 

蟹満寺の釈迦如来も坐像で素晴らしい仏様ですが、興福寺の中金堂の釈迦如来坐像も、伝統ある興福寺の本尊であり、素晴らしい仏像でした。

 

その後、朱印を貰いに、南円堂に行くと、白装束の西国巡礼の団参でした。納経所に、写経を奉納されており、一緒に、心経を唱えました。朱印を貰おうと思ったが、般若心経の写経もなく、なんとなく、団参の人々の写経を奉納されている姿を見て、朱印帳ですが、『偽経』になると思い、朱印は辞退しました。

 

やはり、興福寺でも、南円堂は、多くの人々に、拝まれている仏様だと思いました。白装束の団参を見て、祈りとは、本当に尊いものだと思いました。

 

今日は、年金の日で本当に、物価高騰で、虎の子渡しの生活です。仕事をしていたが、国民年金だから障害年金は、厚生年金に比べると、半分に満たない額です。僕も、最初の仕事は、軌道工事の仕事で、よく働くから、特別に、厚生年金を入れてもらいました。でも、病気退職です。その後は、警備員生活で、いくら働いても、国民年金の壁は超えられない時代でした。企業が劣悪でした。最後は、パニック症で仕事出来なくなりました。パニック症て、暴れるとかではなく、急性期は、呼吸が出来なくなるとか心臓が苦しくなる症状が出て、救急車で僕は運ばれているが、とても、難治な病気です。今は安定しているが、半径50km以内の行動制限があります。名古屋の伯母さんの告別式もいけませんでした。未だに線香一本あげてないです。ただ、自己責任で、伊勢神宮と高野山に行きました。神仏をとにかく信じました。

 

なった時に、当たり前に生活していたことが全て出来なくなります。治る人もいますが、僕は、治っていません。寺社の神様仏様に救いを求めているのが現状です。パニック症が治っても、僕は、47歳のおじさんで、大した資格もなく、仕事はないと思います。薬を飲んでいる状態で、仕事で、車の運転の仕事は無理です。昔は、10年通院した医師が、少年鑑別医を兼任する主治医であり、僕は、大型自動車・大型自動二輪免許など持っているので、免許証はコピーされました。普通自動車二種などの無能な僕でも取れそうな資格などをとれば、タクシーの運転手という選択肢もありますが、医師が、君の薬の量は少ないから、仕事でないのなら運転は許可するが、仕事でしたら、公安に報告すると、厳しいことを言われています。

 

障害年金は有難いけど、これだけ、物価高騰で、月に7万の年金で、47歳のおじさんで、食べるには、『9円(食えん)』というのが現状です。まずは、病気を治して、居場所を探すことが大事です。僕は、最終学歴が、高校も、中卒ぐらいの農業高校であり、無学です。努力が足りないと反省しています。

 



 

#失われた世代(就職氷河期)