あわれしるこころ | あきらのブログ 一期一会 

 


 





そういえば、僕は、醍醐寺の近くの精神科入院している時に、テレビ番組で、『五大力様』をされていました。

 

当時、2010年2月3日からの入院でした。本当に入退院を何度も繰り返す日々でした。

 

Sをしても救われない。そんな気持ちから、仏様のように、尊い夜回り先生の本に、飛騨千光寺の円空仏様の話があり、これは、高山市まで行かないといけないと想い、高速バスに乗り、安いビジネスホテルに1泊して、タクシーで、飛騨千光寺にいったことを、昨日のように、覚えています。

 

住職不在で、役僧が変わりに傾聴してくれて、円空仏様に祈りをささげていました。微笑をしている姿が、希望をくれました。

 

帰りのバスの時間もあり、長くはいれないので、お詣りは短く、夜回り先生の手紙も渡した記憶があります。

 

その時に、役僧は、その本読んでないと言われたが、でも、夜回り先生は、住職は知っているから、渡しておくと言われていました。

 

役僧は、僧侶なので、Sを聞くと、お金宗教と回答でした。答えが分かったようで、その後、退会しています。

 

高野山にもいきなさいと言われて、帰りました。

 

僕の大師信仰の始まりの原点は、この飛騨千光寺の円空仏様だと思っています。

 

 

 

醍醐寺は、小雨程度で、傘は要りませんでした。僕は、昼すぎに、お札さまを新しいのと交換しました。この日だけ、購入できる有難いお札さまで、部屋の扉の上に貼っています。

 

少しだけ、観音堂に行きました。静かに写経を納経して、手をそっと、合わせました。母の分の線香とロウソクも供えました。

 

源氏物語は今話題だけど、テレビ番組は、殆ど見てないです。でも、本は一冊買いました。それも、読んでないです。

 

まだ、買った本で、読めてない本があり、それも、まだ途中です。漫画のフリーレンは、面白い本だなと思います。

 



僕は、頭が悪いから、難しいことは分からないけど、大切なことは、『あわれしるこころ』だと思います。

 

その人の身になって思い、みることでしょう。僕は、石清水八幡宮の参詣の時に地震が来た時に、僕が、被害最小になるように真剣に祈りました。

 

次の日は、コロナ感染で、10日寝込みました。祭りの当番が当たった年に、10日間も、本棚の仏壇にまともに座れず、祭りは宮司不在は、当日知り、よく成功したと思います。隣町の宮司様が相当、拝んでいたと思います。生まれてから、一番感動した祭りでした。

 

代参など、僕は、本当の意味では、母ぐらいまでしか出来ないように思います。そこまでの境地に入れないと思います。たまに、家族の護摩木を兄弟、甥姪、知的障害の叔父さんを全て書いて提出する場合もあるが、本当の意味では、母ぐらいしか届いていないように思います。

 

望まれていない代参は、お互いの陰徳を落とすので、僕はしないです。ただ、追儺は、鬼でも、助けてやることが大切と、中源寺様の地藏菩薩様の慈悲に涙が出そうになりました。









逆縁も 洩らさで救う 願なれば
准胝堂は 頼母しきかな

准胝観音様
おん しゃれい それい そんでい そわか

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#観音堂のおじさん

#心の返し場所