部員ブログ『「読み」の魔力』 | 京都大学サッカー部スタッフブログ

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数年前、メンタリストを名乗る男性がテレビ上に映し出された。彼は5枚並べたカードのうちの1枚の「あたり」を相手へ質問しただけで言い当て、したり顔で言い放った。

「これがメンタリズムです。」

それを何の気なしに眺めていた僕は、「どうせヤラセなんじゃないか」などとどこか冷めた懐疑的なことを言いながらも、内心は興味をそそられ始めていた。マインドコントロールなんてヤバいんじゃないか。何に向けてかもわからない意味不明な心配をした。


人の心が分かればどれだけ楽だろう。
勝負の世界では生身の人間同士が競うのだから、必然的に自分も相手もそれぞれ意思を持って、その意思に拠ってプレーする。相手の心が分かれば勝負が有利になるのは言うまでもないだろう。ここで僕は、別に人心掌握術を習得してサッカーに役立ててやろうと思っているわけではない。そんな超次元サッカーは僕には荷が重すぎる。僕が話したいのは、もっと単純な「読み」についてである。

僕が「読み」に取り憑かれたのは中学生の時だっと思う。周りより成長が遅かった僕は、背が低く華奢で、足も今よりずっと遅かった。競り合いで負け、ぶつかり合いで負け、スピードで負け続けた。どうしたらいいものかと頭を悩ませた。考えついたのは、相手の行動を読み先手を打つことだった。相手より先に考え準備することで少しずつ相手と渡り合えるようになっていった。「読み」は体格的なハンデを少し埋めてくれた気がした。「読み」が当たったときの気持ち良さは計り知れないものだった。僕は「読み」に魅せられていった。

与えられた情報を組み合わせて、次の行動を予測する。ここに、「読み」の醍醐味があると思う。サッカーで言えば、戦術、時間帯、点差といった大局的な情報から、目線、予備動作などの個人の小さな動きまで、全てが「読み」の材料になり得る。これらのピースをパズルのように組み立てて、「読み」を作り上げる。きっとその工程が僕は好きなのだろう。

僕が虜になった「読み」の世界からは、おそらく当分抜け出せない。自分の経験を増やし、人の動きを見て、「読む」力を鍛えて勝負の世界を生き抜いていきたい。



2回生プレーヤー 朝田遼