部員ブログ「私がここにいる理由」 | 京都大学サッカー部スタッフブログ

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こんばんは。三回生マネージャーの村上千理です。
いつもブログの中の人をしていますが、自分のことを書くのは初めてで変な感じがします。拙文ですが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。



大学に入学したのは、一昨年の四月のこと。時の流れは早いもので、もうすぐ二年半が経つ。二年半前の私は、自分が今、サッカー部でマネージャーをしているなんて思いもしなかった。
私は中学高校と吹奏楽部で、音楽漬けの毎日を送っていた。習い事も含めて運動経験がなく、もちろん部活のスタッフをしたこともない。そんな私をこのチームに引き合わせてくれたのは、サッカーだった。
私の地元はジュビロ磐田のホームタウン、磐田市。生まれたころからサッカーは身近な存在で、自然に好きになっていた。そんなこんなで、大学から始めたTwitterのホーム画面をジュビロの写真にしていたことがきっかけで、いくつかの偶然が重なって先輩の目に留まり、私はこのチームに出会うことができた。

ただ、最初にこのチームと私を繋ぐきっかけをくれたのはサッカーだけれど、マネージャーとしての私の原動力は、サッカーへの愛というよりは、このチームへの愛である。

「なんでマネージャーやってるの?」

そんな疑問は今まで何回も投げかけられたし、自分にも何度も問い直してきた。なぜ、頑張って勉強してやっと入れた大学で、自由な大学生活の中で、週6日もグラウンドに通い続けているのか。

正直、私にも分からない。

そんなことを言ったら、「ただ惰性で続けているのか」とか「じゃあ続ける意味ある?」という声が聞こえてきそうである。もちろん、なりたいスタッフ像や、やりたいことといった目標は私なりに持っている。けれどそれが今、私がここにいる理由かと問われれば、少し違う。それはこのチームにいることで見えてきたものであって、そのためにここに入ったわけではない。

私がここに居続ける理由は、ただ、ここにいたいと、ここしかないと思えてならないからだ。

これは言葉で説明しうるものではない。いわば麻薬のようなもので、一回味を知ってしまったら、もう抜け出せない。勝利の爆発的な歓喜、嬉しそうなみんなの姿を見たときの喜び、かけがえのない仲間がいることの幸せ。逆に、敗北に湧き上がる悔しさ、プレッシャーや重圧、自分の無力さを痛感するもどかしさ。このチームだからこそ、今までいろんなものを味わってこれたし、これからも味わっていくのだろう。そしてそれは、今までの私にとっては未知のものだった。一つ一つがこれほどまでに嬉しいものだとは、一つ一つがこれほどまでに悔しいものだとは、知らなかった。この世界に出会わせてくれた京大サッカー部に感謝している。



そして、まだこのチームは発展途上であり、生きている。それぞれが無限の可能性を持った多様な人間が集まるチームで、莫大なエネルギーと可能性が渦巻いている。それがどのように進むのか、舵をとるのは1人1人の部員であり、私である。自分の力でチームを成長させられるなんて驕りはないけれど、自分の成長と共に、チームの成長がある。そこにも大きな魅力があるのだと思う。


最後に。もちろん、何か目標をもって部活をすることはとても大切だ。でないと、ただ惰性でやって、やることだけに満足してしまうことになるから。しかし、例えばプレイヤーならば、子どもの頃はただ純粋にサッカーが楽しくて、そして好きで夢中でボールを追いかけていたと思う。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、好きという気持ちは大きなエネルギーを生み出すものだ。それと同じように、私も好きという気持ちを大切にしてこの部活に向き合っていたい。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。今後とも応援よろしくお願いします。