古事記奇譚 その6 ~ニニギノミコト 3 ~ | KANSAI SANPO

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~最悪の男が歩く関西の最良~
  +伊勢神宮125社巡り

 

 

 

器量が悪い(端的に言えば「ブス」)という理由で、

 

イワナガヒメを帰してしまったニニギノミコト。

 

しかしコノハナノサクヤビメとは仲睦まじく…

 

とは行かなかったようです。

 

 

 

■子安神社(こやすじんじゃ・手前)皇大神宮・所管社

      御祭神   木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

 ■大山祗神社(おおやまつみじんじゃ)皇大神宮・所管社 

御祭神   大山祗神(おおやまつみのかみ)

 

 

 

ある日、コノハナノサクヤビメはニニギノミコトに妊娠したことを告げます。

 

 

(コ)「尊い天つ御子の子を孕(はら)みました」

 

 

ここでニニギノミコトはとんでもないことを言ってしまいます。

 

(私としてはとっても下品な言葉で「口語訳」したいのですが、

ドン引きされる…と言うか、品位を問われかねないので自粛します)

 

 

(ニ)「たった一夜のアレなのに、妊娠ってありえへんし」

 

 

これは言ったらアカンやつですよね。

 

たった1度の過ちで「悲劇」が起こることは、わりと身近でも聞くことです。

 

しかし昔は「排卵日」が関係することは知られておらず、

 

「ナニの回数」が妊娠の条件だと思われていたのかも知れません。

 

日本書紀の雄略天皇元年紀にも、次のような記述があります。

 

 

(以下、私の勝手な口語訳です)

 

天皇は皇后のほかに、三人の妃を立てた。

三人目の童女君(おみなぎみ)はもとは采女であった。

天皇が一夜を共にされただけで孕(はら)まれ、女子が生まれた。
天皇は疑われて養育されなかった。

その子が成長した姿は天皇そっくりであった。

物部目大連(もののべのめのおおむらじ)は天皇に申し上げた。

「「私が女の子の歩くのを見ると、その姿がよく天皇に似ておられます」

天皇は、言われた。

「みなそのように言う。しかしその子は私と一夜を共にしただけで身籠った子だ。

一晩で子供を生むとは異常なので、疑っているのだ」

「それでは何度召されましたか」と大連が問うた。

「7回イタした…」と、天皇が答えられた。

「…な、なんと」

「うむ。その時の朕の〇ンは元気だったのである。そのチ〇は朕のものでありながら別人格のようであった」

 

「お妃は清いお心で一夜を共にされたのです。それを疑うとはなんたることでしょう」大連が進言した。

続いて大連が言うには

「孕みやすい女子はフンドシを触っただけでも妊娠すると聞いております。

それを一晩中床を共にされたにもかかわらず、みだりに疑いをかけられるとは」

天皇は物部目大連に命じて、女の子を皇女とし、母親を妃とされた。

※一部の表記に、私が「挿入」した部分があります

 

 

 

こんなことが日本書紀に書かれているはずがないだろう。

 

そう思われるかも知れません。

 

しかし、本当にこんなことが「大真面目に」書かれてあるのです。

 

ウソだと思われるといけないので、この記事の最後に

 

この部分の「原文」と「日本書紀・上」(宇治谷孟 著 講談社学術文庫)からの

 

引用文を載せておきます(余分な「意訳」があることは認めます・笑)

 

 

 

更にニニギノミコトの「暴言?」は続きます。

 

 

(二)「それは私の子ではあるまい。国つ神(そこら辺の輩)の子ではあるまいか」

 

 

これは現代のSNSなら「大炎上」間違いなしの大暴言ですね。

 

当然のことながら、コノハナノサクヤビメは「ブチギレ」ます。

 

 

(コ)「私が孕んだ子が国つ神の子ならば、無事に生まれないでしょう。天つ神の子であれば

 

    無事に生まれるでしょう」

 

 

そう言って、出入口のない産屋にこもってその産屋に火を放って出産された。

 

そして無事に三人の御子が生まれました。

 

長男 火照命(ほでりのみこと)=海幸彦

次男 火須勢理命(ほすせりのみこと)

三男 火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦

 

コノハナノサクヤビメは三人の御子を産みました。

 

火を放った産屋で燃え盛る焔の中で火照命が生まれ

 

更に燃え盛る産屋で生まれたのが火須勢理命。

 

産屋の焔(ほのお)が衰え始めた時に生まれた火遠理命。

 

 

かくしてコノハナノサクヤビメの「潔白」は神話では証明されました。

 

しかし、みんなスルーしてしまっている「謎」がこの部分にはあるのです。

 

古事記神話で、このあとに続くのは「海幸彦・山幸彦」の神話です。

 

つまりニニギノミコトとコノハナノサクヤビメの長男と三男のエピソードです。

 

最も燃え盛る焔の中で生まれた次男、

 

火須勢理命(ほすせりのみこと)のエピソードは記紀神話にはありません。

 

これは「天孫降臨」が長男ではなく、次男のニニギノミコトの話であったのと同様

 

何らかの事情や意味があるのではないかと妄想しているのです。

 

「海幸彦・山幸彦」の神話

 

 

 

 

多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)

奈良県磯城郡田原本町

古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)を輩出した多氏ゆかりの神社

 

 

 

 

以上、少々おふざけが過ぎたかも知れませんが

 

次回以降は、GHQが「日本人の強さのルーツ」として恐れたとも言われる

 

記紀神話の偉大さについてお話したいと思います。

 

 

 

 

 

雄略天皇元年紀

 

■原文

元年春三月庚戌朔壬子、立草香幡梭姬皇女、爲皇后。更名橘姬皇女。是月、立三妃。元妃葛城圓大臣女曰韓媛、生白髮武廣國押稚日本根子天皇與稚足姬皇女更名𣑥幡娘姬皇女、是皇女侍伊勢大神祠。次有吉備上道臣女稚媛一本云、吉備窪屋臣女生二男、長曰磐城皇子、少曰星川稚宮皇子。見下文。次有春日和珥臣深目女曰童女君、生春日大娘皇女。更名高橋皇女。

童女君者本是采女、天皇與一夜而脤、遂生女子、天皇疑不養。及女子行步、天皇御大殿、物部目大連侍焉、女子過庭、目大連顧謂群臣曰「麗哉、女子。古人有云、娜毗騰耶皤麼珥。此古語未詳。徐步淸庭者、言誰女子。」天皇曰「何故問耶。」目大連對曰「臣觀女子行步、容儀能似天皇。」天皇曰「見此者咸言如卿所噵。然、朕與一宵而脤産女、殊常、由是生疑。」大連曰「然則一宵喚幾𢌞乎。」天皇曰「七𢌞喚之。」大連曰「此娘子、以淸身意奉與一宵。安輙生疑、嫌他有潔。臣聞、易産腹者、以褌觸體、卽便懷脤。況與終宵而妄生疑也。」天皇命大連、以女子爲皇女、以母爲妃。是年也、大歲丁酉。

 

■現代語訳(宇治谷孟 著 講談社学術文庫)

 

元年春三月三日、草香幡梭姐皇女(クサカノハタビヒメノヒメミコ)を立てて皇后とされた。
この月に、三人の妃を立てた。
一番初めからの妃は、葛城円大臣(カズラキノツブラノオオオミ)の娘である韓媛(カラヒメ)という。
白髪武広国押稚日本根子天皇(シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコノスメラミコト・清寧天皇・せいねいてんのう)と稚足姫皇女(ワカタラシヒメノミコト)をお生みになった。
この皇女は伊勢神宮の斎宮(いわいのみや)となられた。

次に、吉備上道臣(キビノカミツミチノオミ)の娘である稚姫(ワカヒメ)という人があり、二男をお生みになった。
兄を磐城皇子イワキノミコといい、弟を星川稚宮皇子ホシカワノワカミヤノミコという。

次に、春日かすがの和珥臣深目(ワニノオミフカミ)の娘が童女君と(オミナギミ)いう。
春日大娘皇女カスガノオオイラツメノヒメミコをお生みになった。
童女君はもとは采女(うねめ)であった。
天皇が一夜を共にされただけで孕まれ、女子が生まれた。
天皇は疑われて養育されなかった。

女の子は歩けるようになった。
天皇は大殿おおどのにお出でになり、物部目大連(もののべのめのおおむらじ)が侍していた。
女の子は庭を歩いて行った。
目大連は群臣を顧みて言った。
「麗わしい女の子だなあ。古の人がいった。『なひとやははに(お前はお母さん似か)』と。清らかな庭を静かに歩くのは、誰の娘なんだろう」
天皇が言われる。
「なぜそんな風に尋ねるのか」
目大連は答えて、
「私が女の子の歩くのを見ると、その姿がよく天皇に似ておられますので」
と申し上げた。
天皇は、
「この子を見た人が皆言うことは、お前が言うところと同じである。けれども、私と一夜を共にしただけで身籠ったのだ。一晩で子供を生むとは異常なので、疑っているのだ」
と言われた。
大連おおむらじが、
「それでは一晩に何度呼ばれましたか」
と尋ねた。

天皇は答えて、
「七回呼んだ」
大連が、
「乙女は清らかな身と心で、一夜床を共に致しました。どうして軽々しく疑って、その人の潔らかな身を疑われるのですか。私は聞いておりますが、孕み易い人は、襌が体に触っただけでも妊娠するということです。それを一晩中床を共にされたにもかかわらず、みだりに疑いをかけられるとは」
と申し上げた。
天皇は大連に命じて、女の子を皇女とし、母親を妃とされた。