古事記奇譚 その7 | KANSAI SANPO

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ちょっとふざけた感のある「古事記奇譚」と題したこの一連のブログでは、

 

記紀神話の神々の「人間くささ」についてお話ししました。

 

 

「神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

 

 

これは20世紀を代表するイギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーの言葉です。

 

戦後70年余。私たち日本人は神話を学ばなくなりました。

 

戦前は学校で記紀(古事記・日本書紀)神話を教えていたそうです。

 

神話にはその民族の精神・文化・価値観のルーツが描かれています。

 

戦後に学校で神話を教えなくなったのは、GHQ(占領軍)の指示だったそうです。

 

理由は「歴史書ではなく創作物である」「非科学的」というもの。

 

しかししかし欧米では、神話を学校で教えているそうです。

 

しかも欧米の子供たちは日曜日毎に教会に行き、聖書を学んでいるそうです。

 

ギリシャ神話や旧約聖書などの神話には

 

史実とは思えない創作や非科学的な「物語」が展開されています。

 

なのでGHQが言う「歴史書ではなく創作物である」「非科学的」というのは、

 

神話を教えない理由にはならないのです。

 

古事記奇譚 その6の最後で、

 

GHQが「日本人の強さのルーツ」として恐れたとも言われる

 記紀神話の偉大さについてお話ししたいと思います。
 

と、書きました。

 

「日本人を骨抜きにする」という施策を数々実施したGHQ。

 

「神話教育の廃止」もそのひとつだったと言われていますが、

 

その理由は何なのか…。

 

 

 

 

 

「神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

 

 

その真意はともかく、GHQは記紀神話に「日本人の団結力の強さ」を見たとか。

 

その「根源」は何なのか。

 

それは西洋の神話と記紀神話の違いを知る必要があるようです。

 

残念ながら私は西洋の神話のことはよく知りません。

 

しかしながら、記紀神話ならではの特徴については知っています。

 

日本の神話の最大の特徴は「神代と人代がつながっていること」だと考えます。

 

 

 



神話を読んで私が感じたのは、日本の神々は人に「罰」を与えないこと。

 

例えば旧約聖書では、労働は神が人に与えた「罰」だとのこと。

 

しかし日本の神々は違います。

 

高天原で天照大神は稲を育て、機織りもしているのです。

 

そしてこれまで散々ご紹介した、日本の「完璧でない姿」をした神々。

 

この「完璧でない」ことこそが、日本の神々の神髄のような気がするのですが

 

腑に落ちてないのでアウトプットすることが出来ません。

 

達観されている方がいらっしゃったら教えてください。

 

と、言うわけで

 

日本神話の神髄と重要性についてはまたの機会に…ということでご勘弁を。

 

その言い訳と言うか、誤魔化しというか

 

次に、神話で気になった「謎」について深掘りしてみたくなりました。

 

今まで気にもしなかった神話のなかの「謎」について。

 

 

 

橿原神宮(御祭神・神武天皇)

 

 

 

 

それは…

 

1.「国譲り」はいつだったのか

 

2.天孫降臨はなぜ「次男坊」のニニギノミコトなのか

 

3.天孫降臨は出雲ではなく、筑紫の高千穂だったのか

 

4.コノハナノサクヤビメが生んだ三兄弟の次男は?

 

5.神武天皇はなぜ大和を目指したのか

 

 

次回からはこれら、日本の歴史にとってどうでもいい「謎」について

 

ちょっとばかし語らせていただこうと思います。