神さまからのダメだし? | KANSAI SANPO

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~最悪の男が歩く関西の最良~
  +伊勢神宮125社巡り

 

 

15年以上ブログをやっていますが、わからなくなりました。

神社が好きで神社参拝記録の記事を書き始めたはずなのですが、

いつしかブログのための参拝になり

やがてウケを狙うようになりました。

どんな神社を紹介すれば喜ばれるか、どんな写真をアップすればウケるかなど。

今はなぜ神社に行くのか、なぜブログを書いているのか。。。

 

(ただし、ここアメブロはもっと軽い気持ちで続けていたブログですが)

 

 

 

 

 

 

ブログを始めた頃は、

 

現在のようなFacebookやtwitterのようなSNSはありませんでした。

mixiなどもやっていましたが、私にとってネットでの交流はブログが主でした。

当時の私なら、写真のような美しい参道に出会うとウキウキしたことでしょう。

記事がウケたかどうかは、いただけるコメントの内容と数でした。

神社ブログを始めた当初は、1日の訪問者が数人だったり

けっこう心が折れそうな毎日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基本的に神社好きなので、行きたい神社や憧れの神社がたくさんあります。

 

それらの神社に参拝する際、せっかくなので周辺の神社にも参拝します。

 

そういった神社の中には、思わぬ素晴らしい出会いがあったりします。

 

しかし「ついでに寄った」「時間に余裕があったから」的な感覚で参拝すると、

 

つい「ブログネタのため」みたいな気持ちがよぎったりすることがあります。

 

そういう気持ちの時ばかりではないのですが、

 

しばしば思わぬアクシデントに遭遇します。

 

それは単に偶然かも知れませんし、

 

あるいは私自身の罪悪感のなせる業かも知れません。

 

しかし神社巡りをし、神さまと触れ合ってきた人間として

 

それらのアクシデントはやはり神さまからのメッセージだと思いたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気で来る気があるのか?」

「本気でやる決意があるのか?」

という「お試し」だったり、

「顔を洗って出直してまいれ」

「大切なことは何か考えてみろ」

そんなお叱りのようなメッセージだったり。


具体的なアクシデントの例としては、

あと少しのところで想像もしていなかった積雪に遭った。

苦労して到着したが、カメラを忘れて来ていた。

ナビなどの情報に翻弄されて予定の時間に到着出来なかった。

自信満々で乗ったはずが、実は全く別方向に向かうバスだったetc。





 

 

 

 

 

大津市にある融神社(とおるじんじゃ)。

平安時代の貴族で、光源氏のモデルとも言われる源融公を祀る神社。

ここへの参拝は正に「出直してまいれ」と言われたようです。

初「訪問」は2018年の11月。奇しくも私の還暦の誕生日。

のどかで静かな田園地帯に鎮座する神社には、けっこうな人数の先客がいました。

近くに養護学校があり、そこの生徒さんたちが来られていたようです。
 

 

授業の一環なのかレクリエーションなのかはわかりませんが、

解放感たっぷりに楽しんでいた様子を見て参拝を遠慮させていただきました。

駐車場に車を止めただけで、鳥居すらくぐらずに帰りました。

2度目の「参拝」は2019年10月。

美しい参道と静謐な境内に酔いしげりながらシャッターを押したところ、

まさかのバッテリー切れ(デジカメのバッテリー)。

3度目の正直よろしく、やっと2020年8月の参拝でブログ掲載の準備が出来ました。

考えてみれば、「出直してまいれ」と言われても仕方ないのです。

「時間があれば」と訪問予定候補として準備したこの神社でしたが、

実は神社名と住所をスマホにメモしただけでした。

あろうことか、御祭神も調べずに訪問しようとしていたのです。

そしてその神社名も「ゆずるじんじゃ」だと思っていました。

神社入口の御由緒を見て、初めて御祭神の名を拝見したのですが

その時の私の正直な印象は・・・。

「あぁ、『とおるじんじゃ』なんや」

「御祭神は源融公(みなもとのとおるこう)。だから『とおるじんじゃ』ね」

「源融って聞いたことない武将やな」


こりゃ「出直してまいれ」と言われるわけです。

罰が当たらなかっただけ良かったです。
 

 

 

 

 

 

 

 

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