渉成園
こんにちは、お久しぶりです。
プライベートで不幸があり、その関係で精神的にやられてしまい「過敏性腸症候群」という腸の病気になってしまいました…
体調をみながらブログを書いていきたいと思います。
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2月下旬に京都へ行ってまいりました。
その中で、今回は渉成園についてご紹介します💁
概要と歴史
渉成園は東本願寺の飛地境内です。
周囲に枳殻(カラタチ)が植えてあったことから「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれます
渉成園の地は平安時代には、貴族の源融(みなもとのとおる)の邸宅があった場所です。
渉成園の北東、鴨川の近くに「源融河原院址」の駒札があります
源融は、今年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部が書いた『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとなったといわれている人物です。
源融は嵯峨天皇の皇子で、現在渉成園があるあたりには、源融が奥州の塩釜の風景を模して作庭した「六条河原院」があったといわれています
1641年に東本願寺は徳川家光から七条河原町に土地を寄進され、
1653年には徳川家康の家臣・石川丈山によって庭園が作られました
これが、渉成園の始まりです。
その後、1678年に現在の大谷大学の源流となる東本願寺の学寮がおかれ、学問所としても栄えました
見どころ
渉成園には多くの見どころがあります
その中からいくつかご紹介していきます。
高石垣
まずは、入口を入ってすぐにみられる石垣「高石垣」です。
幾何学的な公組が特徴で、細長い切り石や、礎石や瓦など、多種多様な素材を組み合わせて作られています
どんな石が使われているのか探してみるのが楽しいです
傍花閣(ぼうかかく)
とても特徴的な建物。数年前の京都検定にでて、喉まで出かかっているのに答えられなかった悔しい思い出がある建物です(笑)
この建物は、二階建てで左右に山廊があり、横から2階へと上がれます。
傍花閣を実際にみて驚いたのは装飾。
いたるところに装飾がされており、華やかさがありました
侵雪橋(しんせつきょう)
渉成園の庭園を構成する大きな池・印月池(いんげつち)にかかるアーチ状の橋。
侵雪橋とともにみる京都タワーは、京都という街が歴史的建造物と現代が共存することを思い起こさせます。
私が行った日は雨だったので、この橋を渡るのがめちゃくちゃ怖かった
縮遠亭(しゅくえんてい)
渉成園にはいくつか茶室があります、侵雪橋を渡るとある茶室。
茶室の傍らには手水鉢が据えられており、これは源融が塩竈で塩を焼いていたことに因み
「塩釜の手水鉢」として知られています
「塩釜の手水鉢」の奥に視線を移すと、印月池内にたつ石塔があります。
これは源融ゆかりの塔だとされており、源融の邸宅があったことを思い出されます。
回棹廊
アーチ状の侵雪橋と違い、直線的な橋です。
少しだけ張り出していて、唐破風屋根がある事が特徴的です
この張り出した部分に腰をかけて撮影している方が多かったのですが、すぐ下は池で柵などはなく危ないためやめた方が良いです…。
それ以前に歴史的な建造物に腰を掛けたりする事自体、文化財の重要性・貴重性を蔑ろにする行為です。
昨今のInstagramの普及により、
外国人観光客や私と同年代の方によく見られますが、
寺院や神社は撮影スポットではないことを今一度胸に命じて欲しいです。
園林堂(おんりんどう)
さて、愚痴は終わりとし(笑)
今回、渉成園を訪れた一番の目的「園林堂」です。
園林堂は渉成園の持仏堂で、なかなか公開されません。
今回は、京の冬の旅で初公開されました。
園林堂の襖には、板画家・棟方志功による絵が描かれています。
独特の大胆な構図と繊細な筆致で描かれた「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」との作品名の襖絵が公開されていました。
壁側にも描かれており、壁側には椿の花が水墨画で描かれています。
この襖絵を描いた時、棟方志功はほとんど目が見えない状態だったそうです。
その中で描かれた絵は、物事の核心をとらえたかのような、見る人それぞれに思いをぶつけるような印象を受けました。
梅の名所
渉成園は梅の名所としても知られています。
また、桜や紅葉の名所としても有名です
庭園の北側入り口には紅梅と白梅がならび、
園林堂の南側には「双梅槍」という梅園があります。
多種多様な梅の花が咲き誇り、とても美しかったです。
アクセス
📍下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
⏰9時00分~16時00分
🚌市バス「七条河原町」下車、徒歩3分
市バス「烏丸七条」下車、徒歩5分
🚃京都駅より徒歩10分
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