みなさんこんにちは!

テルテルです。

前回の若旦那の若旦那の京都案内 二条城編 前篇に引き続き今日は若旦那の京都案内二条城編後篇参ります!

ー概要ー
名称 世界遺産 元離宮二条城 (二条城、二条亭、二条離宮)

アクセス
市営地下鉄東西線二条城前下車すぐ JR京都駅からは同じく地下鉄烏丸線で烏丸御池(からすまおいけ所要時間およそ10分)で乗り換え太秦天神川(うずまさてんじんがわ)行きに乗り一駅(2分)


入城時間 8時45分~16時(閉城 17時)

料金 大人 1030円 中高生 350円 小学生 200円団体(30名以上)  830円 収蔵館入館料 200円
(詳しくホームページで確認ください)

まず、二条城は先の前篇でもお話しした様に、実戦で活躍することなく、どちらかというと徳川の京都における万が一の備えかつ、将軍滞在可能な設備を持ち、天皇や公家に見せる為の儀礼的な側面もあるお城として築かれたお城です。

しかし、流石徳川の城というべきいくつかの見所もあり、現代に唯一現存する御殿建築の二の丸御殿は圧巻です。

二条城前駅を降りてエレベーターで地上へ上がるとまず目に飛び込んでくるのは、二条城の写真で最も見かけるであろう東南隅櫓が見えてきます。

全国でも数少ない寛永年間から現存する大型の櫓です。

西南にも同じように隅櫓がありますが、大通りに面した東南隅櫓は一回り大きく作られております。因みに西北隅櫓と東北隅櫓は大火で焼失しており、再建はされていません。

漆喰塗りの壁は塗り直され、綺麗になったお堀に映えてカッコいいです!

石落とし(一階の壁の出っ張ったところ ここの隙間から鉄砲や弓矢を射掛けたり、石を落とせる)や見栄えが良くスッキリした千鳥破風(ちどりはふ)が洗練された寛永期の建築様式を伝えます。

ちょっとマニアックですが、入母屋破風や軒下の垂木も防火と見栄えの為の漆喰塗りを施され、二階の屋根部分の垂木は一本一本見えているのですが、一階部分の垂木は省略されており、垂木に見えるように波型に竹を束ねた所に漆喰を塗るというこの頃のトレンドを取り入れているのがいいですね!よく見える二階部分と差をつけているあたりが格調の高さを出したかった為だとわかります。

夜間はライトアップもされ、延々と続く堀と石垣が城郭の雄大さを感じさせるおすすめ写真スポットです。


二条城東南隅櫓

尚、この部分の石垣は家康公時代のものが殆どで、角はきれいに整形された石を用いる算木積みですが、基本的に自然の石を割って整えた平面と、石の角を落として隙間を極力無くした特徴を持つ打ち込みハギという石垣です。家康の時代では最先端でしたが、少し後の同じ徳川の城で同じく天下普請を行った大阪城や江戸城でも見られる切り込みハギという完全に隙間なく積める整形された石垣は城郭の西半分や家康公の孫家光公が大修築した箇所で多用されています。

今は石垣上は土手になっていますが、白亜の城壁が延々と繋がって大層立派やったでしょうね。

大手門

大手門は後水尾天皇御幸時は天子を見下ろすのは無礼ということで一時期櫓部分の無い、薬医門に改められましたが、櫓門として後に復活しています。

最近修築され金細工が施された部分が再現され大変豪華です。

さてここで、大手門右手にある券売機あるいは窓口で切符を買って入城できます。

門扉は筋金が施され、防備も固いです。
当時、鉄砲などの火器が発達し、門も鉄で補強しなければいけなかったのでしょうね。

大手門細部

因みに、女性の乳房に見えるこれは乳鋲(ちびょう)と言われる釘隠しで、実際に乳房に模して作らせてあるとも言われ、あるお城のガイドさんは「幼い城主の為に乳房に模して作らせてある」なんて紹介してはりました。ホンマかいな…

さあこっからはいよいよ中に入って参ります!!!
(やっとかいな…)
↑平地に建てられた平城(ひらじろ)でドーナツ状の輪郭式城郭(りんかくしき)です。

1の大手門から入城すると右手に2の番所があります。
番所は不審者のチェックを行うと共に城の警備の兵が詰める詰所でもありました。

目の前に立つ築地塀は御所のそれとほぼ同じサイズで、同じく5本線の入った最高ランクの塀が続きます。
菊の御紋が入った瓦なども見逃せません。

順路に沿い、二の丸御殿へ行きましょう。

途中東南隅櫓を裏から見れます。
やはり見た目を重視しているのか裏面は表と比べのっぺりしてます。

3の唐門がまず見えてきます。

二の丸御殿前の唐門


唐門細部

唐門は家康公時代の安土桃山文化の華々しさを持った最高級の門です。とにかく金ピカ!
二条城から移設されたという信愛の近くの豊国神社の門も似た形式を持っています。

細部にまで彫刻が施され日光東照宮の彫刻にも似た優美さのある色彩が施されております。
これはあくまで個人の感想ですが、これらは京都の建築に施された彫刻とは一線を画して武士らしいしっかりとしたラインが見てとれますが、目は穏やかで京都らしさも感じます。

二の丸御殿

今日のメインディッシュは二の丸御殿!
内部は撮影禁止の為、ご紹介は文字のみなのが残念!
このブログ片手に回られることをオススメします。

家康公が作らせた唯一無二の現存例、御殿建築の最高峰です。

一時京都府庁が置かれていました。

大入母屋の大きさと美しさは心を惹かれます。
また連続する三角形はリズムがあり、これだけでも当時の素晴らしいデザイン性が伺えます。
装飾性の高い縣魚(けぎょ/けんぎょ 三角形の内側の頂点にある装飾)には銅板が貼られています。

大入母屋の左右には菊の御紋が据えられており、天皇家と深い繋がりを持ち、京の都の拠点である二条城に与えられた役割や徳川将軍家の思いが見え隠れします。

車寄せ(玄関)はこれまた金ピカで彫刻が施された豪華な造り。
ここに住めるでという圧巻の広さと高い天井、そしてその奥の段を登ると5遠侍(とおざむらい)です。

遠侍には勅使の間や来客を待たせる広間があります。
手前から柳の襖絵の柳の間、順路で行くと次が虎や豹を描いた襖の遠侍三の間、二の間、一の間と続きます。高位の家臣であるほど奥の間に、先ずは通されます。

廊下は歩くと廊下がキュキュと鳴る鶯張りの廊下です。これはカスガイが動くことで鳴るのですが、とても風流ですし、何よりも間者(かんじゃ スパイ)の防衛にもなります。これをほぼ全面に渡り使用しているのが流石将軍様のお城という所です。

また、ほぼ全ての天井には紋様や花等が絵描かれており、現在でもその素晴らしさが見れることに感激です。これまた個人の感想ですが今も残る青色は何故か西洋を感じさせます。

順路を進み、式台へ(しきだい 表向きの用を承る場所)
手前は松の緑が綺麗な式台の間です。ここで用向きや献上品を受け取ります。順路では後の方に見る老中の間はこの裏手です。老中はここで将軍の代わりに客を迎えたのでしょう。
因みに、式台は明治に少し手直しがなされて東京城(皇居)の明治宮殿を思わせる内装になっています。

そしてその奥は大広間です。

大広間も一から四の間がありますが、順路手前から三の間、そして二の間と一の間は一つの大広間のようになっており、ここであの有名な大政奉還が行われました。人形が置かれて当時が再現されております。
襖絵は狩野探幽により描かれた傑作です。
大きな松の絵は将軍や将軍家の繁栄と永続を願ったもので、優美かつ、武士らしい威厳のある襖絵です。

実は四つの広間に囲まれた真ん中は収納スペースですが、いざというときには兵を詰めさせられる様になっています。

大広間の欄間は緻密な波頭の彫刻が施され、格式の高さが伺えます。また、二重折格天井は最高ランクの形式で、天井の高さや荘厳さに圧倒されるのは間違いありません。

部屋の隅の金具や至る所に、鳳凰、そしてその上には葵の御紋があり、いくつ見つけられたか!みたいなゲームもできそうです笑
正に将軍の城なんですね。天子を象徴する鳳凰の上に葵の御紋が来るところが想像をかき立てます。

蘇鉄の間(南洋の蘇鉄を描いた廊下 日本の別称、扶桑国ふそうはこの蘇鉄を指すともいわれており、はるか南の蘇鉄を見れる=日本中が将軍の物であるというメッセージ?)を抜け、将軍が表向きの用をする建物、6黒書院(くろしょいん)へ。

ここまで入れる方はそうそういなかったはず。
所謂お目見え以上の大名や旗本しか入れない空間でした。襖絵も牡丹や花鳥風月を描いた風流な物が多く、それまでの襖絵とはここで趣きが変わります。

そして、最後の建物が7白書院(しろしょいん)
将軍がプライベートな時間を過ごす場所です。

渡り廊下も装飾が少なく落ち着く造りになっています。ここでも人形で当時の様子が再現されております。

順路に沿い反対側を周り玄関へ戻ってきます。

本当はもっと詳しく解説したいのですが、長くなりすぎたり、写真が無いのでちょっともどかしいですが、是非ご自身でこの素晴らしい二の丸御殿を見られてください!!!

二の丸庭園

8&9の広大で本格的な庭園、二の丸庭園を抜けると20本丸櫓門が見えてきます。

木橋の奥の櫓門は総鉄板張の最高に厳重な扉で、二条城は只の儀礼的な城ではないことがわかります。
万が一、二の丸部分へ侵入を許しても堀と石垣に囲まれ、この門の前の木橋を落とし、天守閣や城壁の狭間(さま 鉄砲や弓矢を射掛ける穴)から敵を狙い援軍を待つことができるのです。

また、ここはテルテルの一番好きなスポットです。
本丸櫓門は本丸を焼き尽くした天明の大火で唯一焼失を免れた建物で、二階部分の前面には窓が無いのが特徴的です(全国に例がない)。
後水尾天皇行幸時には二の丸御殿黒書院、臨時で建てられた行幸御殿から漆と絨毯で飾られた豪華な渡り廊下が伸びて、この門の二階部分を通って本丸御殿遠侍まで移動できたそうなんです!!!窓が無いのはその名残りですね。

昔の二条城の威容が目に浮かびます。


本丸櫓門
櫓門門扉

本丸櫓門の奥
虎口(こぐち)と呼ばれる形状で防御は凄く固い。
カクカクとしか進めず、前に立ちはだかる石垣の上には城壁があり、そこからの射撃、また側面や曲がった先でも射撃を受ける絶対絶命のトラップ。

そこを抜けると本丸に到着です。

本丸部分は家光公の時代に増築され、より本格的な城郭に仕上がっています。

現在、19本丸御殿は修理中で見れませんが、現在の本丸御殿は明治に桂宮様の御殿を移築したもので、二条城は離宮となった名残りです。

本丸御殿の中でもメインの御常御殿は二階建で風格があり、修理が終わるのが待ち遠しいです。

家光の本丸御殿は先程も述べたように大火で焼失しており、長い間再建はされませんでした。(100年以上後に14代家茂公上洛の為に仮御殿が建てられた)



天守台を望む

22天守台が順路の先にあります。

天明の大火で焼け落ちましたが、天守台には伏見城から移築された五層の天守が聳え立ち、後水尾天皇もここから京の都を見下ろされたと伝わります。

天守台の細部を見ると焼け焦げて少し割れた石があり火事の凄まじさがわかります。

天守台のみとはいえここからの眺めは最高です!

眺めを楽しんだ後、本丸を抜けると休憩所があります。お手洗いもあります。

北中仕切り門

23の近辺、北中仕切り門は本丸をぐるっと囲む二の丸を東西に仕切る門なのですが、石垣の中にある特異な門です。切り込みハギを使った丁寧な造りで私の知る限り現在の門ではこの様な門は全国でもここだけです。
門自体は筋金が張られた4脚門で脇の土手を利用した虎口のような造りです。

ここで仕切ることで、二の丸が一気に完全に落ちることを防ぎ、西側にある本丸の裏手から攻め手を繰り出し、二の丸東部分を奪還することも可能です。

この後は順路に沿って進むと大手門まで帰ることができます。

途中、大正天皇の大礼(即位式)の際に饗応を行った24清流園がありお時間のある方は是非ご覧くださいませ。

他にもご紹介したいところが色々ありますが、紙幅の加減でここまで!

長々とお付き合いくださり本当にありがとうございます!!!
チュー

大好きなあなたへ

テルテル