出世えびす神社
出世えびす神社は、源義経が源家再興を祈願した神社と伝えられ、元々は蹴上の夷谷に有ったが、500年以上前に土砂崩れが起き、ご神体の恵比寿像だけが三条神宮道付近の夷町まで流れたと言います。恵比寿像は天台宗の開祖である最澄の作と伝わっており、寄木造りでは日本最古の恵美須神像と言われている。明治時代に夷町の金蔵寺という寺院から神社に移され、粟田神社の摂社として祀られた。出世恵比寿神社では、1月9日~11日に恵比寿神像が御開帳される。この間、甘酒の接待が有る。
蛭子船巡行
蛭子社が八坂神社に祀られるようになったのは平安時代。全国の蛭子社の中でも歴史は古く、珍しく北向きに社を構えていることから、「北向蛭子社」とも呼ばれている。現在の蛭子社は、1646年に建造されたもので、3間4面、流造、杮葺きの社殿は、国の重要文化財に指定されている。大阪の今宮戎神社の蛭子様は、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだ時、祇園の蛭子様をその地にお祀りしたことに始まる。その縁から、今宮戎神社からは毎年、祇園祭の折りには幣帛を、大晦日には鯛を奉納されている。
八坂神社三社詣
「三社」とは、
・厄除・災難除 「素戔嗚尊」
・良縁成就・家内安全 素戔嗚尊の六世の孫神「大國主命」
・北向蛭子社 商売繁昌・開運招福 大國主命の御子神「事代主命」
のことで、この祖神・御子神・孫神を新年に参拝することで、より強いご神徳をいただけます。えべっさんが八坂神社に祀られるようになったのは平安時代。全国のえべっさんのなかでも歴史はかなり古く、珍しく北向きに社を構えていることから、「北向蛭子社」とも呼ばれている。
京都ゑびす神社
京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称されている。その起源は1202年に栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられた。ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものだそうです。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。
えびす神社は、ヒルコ神系(総本社は西宮神社)と事代主神系が有り、京都ゑびす神社は祭神が、八代言代主大神・大国主大神・少彦名神と言う事で、事代主神系えびす神社である。
恵比須さんは七福神の中で唯一の日本の神さまで、伊弉諾尊、伊邪那岐命の三男、夷三郎が恵比須だといわれている。夷三郎は小さな船で九州日向の里から小船で流され、流されてたどり着いたのが、摂津国西宮武庫の海で夷神社が有る所と言われている。