こんにちは。脇から紹介を受けました4回生内野手の義村聡志です。彼とは1年間同じ家で生活し、3年間同じポジションで野球をしました。同じ家で過ごした1年間では僕が忘れていた家事当番も何事もなかったようにサラッとやっておいてくれる爽やかナイスガイであります。彼は僕から学ぶことが多かったと言ってくれましたが本当は逆です。僕の苦手な守備については手取り足取り教えてくれましたし、何よりレギュラーで自分が1番上手いにもかかわらず常に色々な人に意見を聞き、自分に活かせるものは何かを探している姿勢を見て、僕も先輩、後輩なんて気にしてる場合ではないと思い、アドバイスをもらいにいくようになりました。1つ下のかわいい後輩ですが、常に僕の前を歩み続けた戦友です。3年間すごく近いところで彼を見てきたので自信を持っていいます。これからも彼に期待しておいてください。



#8和田くん同様、去年と一昨年とネタキセキを書いてきた訳でありますが、今年は最後なのでアッっっついキセキを書きたいと思います。

これまでのキセキも一生懸命書いたものだったので良かったら見て下さい。


さて以下長くなりますが、これまでの大学野球人生を振り返ってみます。




一回生の春の僕です。


よく見てみるとPitcher & Outfielder となっています。当時は二刀流という言葉が流行っていた時であり、京都大学の大谷翔平とも呼ばれてい…………


ませんでしたね。はい。

もちろん、皆さんの予想通り、大谷翔平とはあまりにも程遠い出来栄えでありました。内野の守備が下手くそであった為に外野をやっていたところ、アンダースローで投げられることを買っていただき投手もしていた訳でありますが、投げ方のクセが治らず外野の返球もアンダースローになっているという始末。挙げ句の果てには得意だと思っていたバッティングも高校の頃より速い大学生の球速についていけずどうしようもありませんでした。


そんな出だしで始まる大学野球。もちろん地獄であります。投手としては、初めの方は良かったコントロールも次第に打者の背後を通して、キャッチャーに横っ飛びをさせるようになりました。野手としては、まるで華麗なセカンドゲッツーかのようなスナップスローで外野からバックホームをしていました。試合に出場する機会はみるみるうちに減っていき、全体練習ではAチームの練習確保の為に参加できない練習が増えていきました。


再起を図ろうと一回生の2月の終わりから3月の始めにかけての高知合宿を最後に投手と外野手を辞め、ギリギリ投げ方的に許容範囲だということで三塁手に転向しました。しかしもちろん前提にあった通り、内野守備は下手っくそであります。流水の如く軽やかにゴロを捌く先輩や同期に対し、僕の守備はETC。股下ゲートをボールが通過する毎日でありました。


底辺で野球をしていた最初の1年間でありますが、写真のプレースタイルの欄にもある通り、必死にコツコツと努力を積み重ねてはいました。毎日打撃について研究し、遮二無二バットを振ったし、#26宮田に守備を教えてもらいながら何球も何球もノックを受けました。しかし、こういう時にこそ、なぜ自分はこんなにも努力をしているのに試合で使ってもらえないのだという感情に陥ります。まさに#8和田くんの言う通り、「努力は結果を曇らせる」です。自分の実力に目を向けず、他人の結果や、指導者からの評価ばかりを気にして「今日はあいつが打たなかった」「あいつより俺の方が練習しているのに」「怪我で休んでいたやつが俺より先に使われるのはおかしい」……。他人の目を気にしていたり、自己満足のためであったり、ただシンプルに毎日長い間練習しているだけでした。僕はそんなことには気づかず、全くの見当違いですが、こんなに練習をしても見てもらえないところで野球を続けても意味がないなと思い始めました。2回生の時の春リーグが終わったぐらいの時でした。



 2回生の夏、オープン戦真っ盛りの中、BCの試合にさえ連れて行ってもらえない日や、たとえ連れて行ってもらえてもまともな結果が出ない日が続きました。同級生や後輩がどんどん試合に出る中で自分は取り残されている気がしました。留学や勉強、サークル活動で頑張っている野球部以外の友人達を見て自分は大学生活を何に使っているのだろうと思いました。気づけば野球以外の大学生活を探し始めていました。

 ある日、よっぽど顔に元気がなかったのか近田さんが練習中に話しかけてくださいました。感情が高まっていて何を話したか、何を話してもらったのか、ほとんど何も覚えていません。しかし泣いてしまったことは覚えています。多分上で述べたようなどうしようもないことを言っていたのだと思います。パンクしかけであった気持ちが楽になりました。その時は本当に救われました。それでも僕の根本は何も変わっていません。自分が何のために何をしているのか分からずにいました。今の気持ちが楽になっただけでまたしばらくしたら辞めたくなるのだろうと思いました。



















ふーー。


さて自分でもこんな話を書くとは思っていませんでした。4回生の吉Gのキセキとは恐ろしいものです。てっきり僕の象徴「声」や「元気」について書くのかなと思っていましたがどうやら違ったようです。今の僕からは自分でも想像がつかないし、こんなことも殆ど誰にも話したことがないので良ければもう少しだけ聞いてください。




 8月中旬、滋賀県での合宿を行い、12回生は26日から始まるチャレンジリーグ(新人戦)に向けて練習が進む中、僕はそろそろ潮時かなと思っていました。というのも当時のサードには12回生だけで#5脇はもちろん、野球エリート#22西川、ただの天才#36松下、守備職人#2八木など、そうそうたるメンバーがいました。大学であと3年野球をしたところで自分が試合に出るビジョンなど見えもしなかったです。しかしどうしたことか合宿中に#5脇、#22西川、#2八木がAチームに合流し、#36松下がセカンドを練習するように指示が出されたのです。驚きました。残りの人間で三塁手は僕しかいなかったからです。つまり僕が次のチャレンジリーグではサードを守るのです。僕が1番下手な三塁手であるのに。


 そして迎えた関西大学との初戦。チャレンジリーグとはいえ、将来はリーグ戦に出場するほどの同世代の投手や野手達です。守備では今まで経験したことのないほどの強烈な打球が僕の横を抜けていき、打撃では全てストレートで1球もボールに当たらずに三振2つでありました。試合は07のコールド負け。僕は全く歯が立ちませんでした。しかし負けて悔しいはずなのに心の中には別の感情がありました。例えコールドゲームでもスタメンとして強豪私学の選手達と1試合戦わせてもらったことで彼らとどれくらいの実力差があるのか、そして入部した時に思い描いていた




という目標からどれだけ自分が離れているのかが分かりました。初めて自分の実力に目を向け、自分の理想との距離を確かめることができたのです。他人と比べる以前に明らかに自分の実力がないことを知りました。そして、目標に対して自分の実力があまりにも離れすぎていたのでこのまま野球を終わることが恥ずかしくなりました。


そうです。

吹っ切れました。

「どうせどん底、昨日の自分より上手くなることだけを考えよう。」


この時ようやく大学野球のスタートラインに立てました。


何も言われていませんし、確証もなく、今まで恥ずかしくて聞けていませんが、僕がスタメンで試合に出られたのは、当時下回生を中心に指揮していた近田さんが、自分の実力も分からず喚いていた僕を無理矢理スタメンにねじ込んでくださったおかげでした。


 

自分の中で「あの時の試合があったから今があります。」と言えるぐらいまで成長した後にお礼を言おうと決めていました。


あの時の試合があったから今があります。

本当にありがとうございました。


(近田さん、もしこの吉Gのキセキを読んだり聞いたりしていたら、明日練習で会った時に恥ずかしいので知らなかった体でお願いします。笑)




さあ、1度吹っ切れたら後はやるだけです!

徐々に皆さんの知っている義村になっていきます!



秋から冬にかけてのオープン戦ももちろん出番は少なかったですが「毎日昨日より上手くなる」。これが本当にモチベーションになり、野球が楽しくなり始めました。周りの環境にも恵まれました。1つ上の先輩の前田さんやキムさんはいつも自主練に誘ってくれましたし、こちらから誘っても快く受け入れてくれました。この時期にノビノビと野球をやることができたのは先輩達のおかげでした。ありがとうございました。




2回生の冬、僕は人生最大の武器を手にします。そうです。スーパーポジティブです!OBの方の紹介でメンタルトレーニング講習の紹介があり、部員から何人か参加できるとのことでした。まだまだ下手くそであった僕は出来ることは何でもやろうと手をあげました。講習の内容は割愛しますが、初めは正直胡散臭いなと思っていたのですが、やってみると僕にハマりました。そして特に率先して実行したことがポジティブな声を出すということです。それも自分が失敗した時や誰かが失敗した時に直ぐです。詳しくは以前にカッコよくまとめてもらったのでもし良かったら読んでみてください。

https://ameblo.jp/kyoto-bbc/entry-12594869825.html



これにてようやく皆さんのよく知る義村の完成であります。吹っ切れて、スーパーポジティブを手に入れたらもう残りはOnly Do!やるだけです。(英語的には多分just do itです。受験生は間違えのないように笑)


この後も2回生の冬の高知合宿ではBチーマーとしてグランドの隅っこにあるサブグランドとは呼べないほどの小さな広場での寂しい練習や、1試合で3回フライを落とすようなプチ地獄は経験しましたが、ようやく少しづつ実力がついてきました。打席に入る前に準備を完璧にしておき、後は打席に立つだけの「オートマティック打法」とも呼ばれたような呼ばれてないような打ち方を見つけると、一気に成長が結果として見え始めました。シートバッティングで何本もヒットを打ち、紅白戦で何本もヒットを打ち、ようやくB戦でスタメンになり、そこでも何本もヒットを打ち、初めてA戦に呼ばれ、運もあってかそのA戦での代打でもまたヒットが続きました。AチームとBチームとの間の何層もの壁を必死によじ登り続け、3回生の春にようやくリーグ戦の舞台に立つことができました。夢の甲子園で打席に入れたり、勝利の瞬間を味わえたりと様々な経験をさせてもらいました。特にリーグ戦の投手の球は圧巻で、とんでもないボールが投げ込まれてきましたが着実に彼らとも勝負をできるようになっている自分を感じました。


3回生の春にリーグ戦を経験したらもう安心。後はついに念願のAチームライフ……













なんてことは一切なく、Aチームにはすでに下回生が多くスタメンやベンチ入りしていたこともあり、この時から、僕の残りの2年はずっとAチームとBチームの狭間でベンチ入りをするかしないかの瀬戸際での勝負をしていくことになります。毎試合毎試合次に打たなければ試合に出られないというデッドラインが見えますし、同じようにその瀬戸際で勝負をしているほとんどが共に練習する同期でした。


僕らの学年はこれまでの吉Gのキセキを呼んでもらえば分かるのですが、Bチームでの苦い経験を積んでいる選手が多いです。けれどもだからこそ、チームの大局を見れる選手が本当に多いです。


#17山口は京大野球部に今までなかったウエイトルームを作成し、トレーニングの文化を部全体に広めてくれました。グランドが一切使えない自粛期間中もzoomを通じてのトレーニングやストレッチを毎週欠かさずに行ってくれました。#9合田は怪我をしてまともに動けない時でも歩みを止めずに練習し続け、進化し続けているから周りも負けじと頑張れるし、誰もやりたがらない大量のゴミの管理もしっかりとやってくれています。#26宮田は人の良いところを見つけてすぐに褒めて元気をださせるし、自分が試合に出ない時でもスタンドやベンチではみんなの1番前に立って大声でチームのムードを作ってくれます。#7山田は外野からファーストへコンバートしたことによる都合で下回生チームをまとめることになった時も完璧にまとめてくれていました。#6 眞海 はいつも影でこっそりチームの為に動いています。大抵のことは眞海に聞けば分かるし、何ならすでにやってくれていることが多いです。


個人的な想いはここでは書きあらわせないほどあるのでこれくらいにしておきます。彼らとは4年間ポジションは違えどほぼ同じ土俵に立ち、夜遅くまで共に自主練をしながらアドバイスを出し合い、この中の誰かが試合に出ればこの中の誰かがベンチアウトになるということを分かりながらもお互いの打席に対して全力でエールを送りました。


今や100人を超える野球部の中にも僕たちと同じように、悔しい思いを抱えながらも自分の夢や目標に向かって毎日必死になって努力を続けている部員がたくさんいます。コロナ禍における大学からの活動制限のしわ寄せはほとんどスタンドの彼らにいってしまっていますが、それでも歯を食いしばりながらもチームの勝利を願ってスタンドで応援してくれている想いは拍手に乗ってしっかりとグランドまで伝わっています。コロナで大変な中でチームの運営が滞りなく出来ているのは主将、主務の尽力はもちろん、スタンドの選手達がしっかりとチームをまとめてくれているからです。「努力は結果を曇らせる」これは確かにその時々にはそうだと思います。けれども、僕は「努力はどんな形であれ、いつか必ず自分に返ってくる」と思います。下回生はこれからもきっと何回も何回も苦い思いを味わうと思います。それでもその辛さから何とか逃げずに「結果がでるか分からないけどやる努力」をやめないで下さい。これがきっと「強い京大」に欠かすことのできないワンピースです。僕も野球漬けの4年間にどんな結果が最後に待っているか分かりませんが、引退までの残り1週間全力で頑張り続けたいと思います。そして笑って引退したいです。


 最後になりますが、僕のチームについての様々な意見を全部正面から受け続けてくれた主将#1嘉一、主務#柚香子ちゃん、いつもありがとう。

同期のみんな、心底楽しく野球ができました。ありがとう。

 そして1番の感謝は、大学生活を野球に注ぐにあたって何の不自由もなく支えてくれたお父さん、お母さん、本当にありがとう。良い報告を持って帰れるように最後までやりきります!!


 次は野球を愛し野球に愛された男#3立平です。この4年間誰よりも練習をした男です。彼とはコロナによって約5ヶ月にも及ぶ活動ができない期間の中、雑草だらけの鴨川のほとりで飛ばないカラーボール打ったり、ノックにみたてて手で転がしたボールを捕ったり、地味な練習を何度も何度も繰り返し続けました。辛い自粛期間、何なら4年間僕がしんどい時はいつも目の前で立平が黙々と練習していました。彼のおかげで頑張れた日が何度あったでしょう。いつでもどこでも誰とでも練習を続けた実力者#3立平の土にまみれた男臭いキセキに期待。



↑20201011日執筆


↓20201012日執筆


リーグ戦で勝った日にこんなに長いキセキを出してすみません!

最高です!!!次も勝ちましょう!!!!

ネクスト!!!!!!!!!


(小学校4年)