#66崔から紹介を受けました、2回生外野手の#62兼岩慶太です。には日ごろから、雑な絡みをしてツッコミを聞く前にどこかに行くという大変失礼なことをしています。もちろん反省はしていません。これからもする予定ですが、飽きたらやめます。僕の気分次第です。これからもよろしくね。


本題に入る前に崔くんからの紹介には誤情報が多々含まれていますのでそれを訂正したいと思います。まず、僕は思想が強いわけではありません。そして政治事件の動画を見て爆笑するほどやばい奴ではありません。とんだデマです。遠征に行った二回生を実家に”誘った”わけではないです。実家の庭は人工芝ではなく天然芝です。体が細いのは本当です。そのうえ先日胃腸炎になり5キロやせてしまいました。実家はそんなに太くないです。胃腸炎前くらいの太さです。
さて、これを読んでくださっている皆さんがネットリテラシーの重要性を再認識し、崔くんが将来ジャーナリストにならないことを心の底から強く祈ったところで本題に入っていきましょう。

先述したように僕は外野手なのですが、同時に連盟の学生審判という役割も担っています。実は入部当初は選手ではなく学生コーチでした。そして初めて練習に参加したときに近田さんから学生審判のお話をいただき、特に断る理由もなかったので「やってみます」と答えました。こうして僕の愉快な審判ライフがスタートしたわけです。審判として活動し始めたのは去年の春季チャレンジリーグの立命館戦の時でした。その試合で審判をしたわけではないのですが、連盟の審判委員長の方と京大OBの審判の方とお話しさせていただき、次のチャレンジリーグから三塁審をやり始めました。最初の方は楽しく審判をやっていたのですが、オープン戦で数をこなすにつれて一つ大きな問題が発生しました。それは「試合が後半になったり大量失点等で試合がだれてくるととても疲れてしまい、早く終わってほしくなる」というものです。その問題を「際どい判定は基本的にアウトにして試合進行を早める」というテクニックで解決していました。(もちろんチャレンジリーグではやっていません)試合で一生懸命プレーしていた人たち、本当にごめんなさい。


全く関係ないですがミニトマトを食べている#13窪です。かわいいですね。

僕が学生コーチでいる間は吉Gでオープン戦があるときは基本的に塁審をしていましたが、年末に選手転向してからはしばらく審判から離れていました。次に審判として活動したのは三月に行われた審判講習会でした。この日はとにかく大変でした。まず近大Gまで行って帰るのがしんどかったです。そのうえ松屋でご飯を食べている間に京都市に自転車を持っていかれてしまいました。今思い返すだけでも結構腹が立ってきますね。


これも全然関係ないですが成人式のときのです。なんか腹立ちますね。

とまあこんな感じでいろいろありましたが、この春リーグから何試合か三塁審をやらせていただいてます。このキセキを書く前に審判をやったのは雨の中だったため感想を聞かれても特にないです。判定機会もほぼなかったですしね。という感じで僕の愉快な審判ライフを振り返ってきましたがいかがでしたでしょうか。あ、そうそう、もしこのキセキを面白くないと批判する人がいれば、僕はその人が学生審判制度を批判しているとみなし連盟に報告させていただきます。

次は2回生連盟委員の#Staff小山君です。昨年、僕が好きな「World of Warships」というゲームを彼もやっていることが発覚し、年末によく一緒にやっていました。また機会があったらいくらでもやりたいですね。それはそうと彼はそれ以外はかなり謎に包まれた人間です。いったいどんなことを書いてくれるのでしょうか。彼のキセキにも注目してください。

#69南光から紹介を受けました、2回生内野手の#66崔 賢宇(さい ひょぬ)です。

南光は今年の3月に入部したばかりですが、今年の開幕戦でリーグ戦デビューし、140キロをたたき出していて、すでに大物になる予感が漂っています。イケメンで性格もよく、同期ともすぐに打ち解けた彼の今後の活躍にご期待ください。

軽く自己紹介させていただきますと、兵庫県出身で、中高は甲陽学院中学、高等学校に通っていました。ちなみに、甲陽学院高校硬式野球部は今でこそ県大会一回戦勝ったらネット記事にされるほどのレベルですが(僕らの代は6年ぶりに夏の県大会1回戦を突破したためしっかりネット記事になりました)、かつては春8回、夏4回甲子園出場経験があり、また第9回大会において甲子園優勝したこともある古豪です。甲陽学院に関しては面白い歴史やエピソードがたくさんあるのでもっと書きたいことはありますが、ここでは割愛して今後入ってきてくれた甲陽学院出身の人に託したいと思います。
名前からわかる方もいらっしゃるかもしれませんが、国籍は韓国です。しかし生まれも育ちも日本なので日本語しか話せません。ただ今年の部員紹介では頑張って韓国語を覚えて自己紹介したのでまだ見てない方はぜひ見てみてください。(頑張った割に伸びなかったのでお願いします...)

そろそろ本題にうつりたいと思います。
下宿先選びでよく大学の近くに住むとたまり場になるからやめておいたほうが良いといわれます。現在僕は京大まで自転車で数分の場所に住んでいます。最初はたまり場なんかなるわけないだろ、と思う時期もありましたが、野球部の同期に家の場所がばれた瞬間、見事にたまり場になりました。なにかみんなで集まってやりたいことがあれば僕の家が候補に真っ先に上がることがあるくらいに、です。
なので、今回はそんなたまり場の一年間のキセキをお送りしたいと思います。

まず、僕の家で最初に同期で集まったのは、昨年の7月です。その日は練習があった日なのですが、前日に#23松原が、豚足があるからみんなで集まって食べたいといったところから始まりました。そこで僕は「俺の家広いから10人くらいなら集まれるよ」と話してしまい、その場の何人かで話し合った結果、僕の家で豚足パーティーをするという結論に至りました。しかし豚足だけではさすがにみんなのおなかは満たせないということで僕の家にたこ焼き機があったため、たこ焼きもすることになりました。(結果的にたこ焼きがメインにはなりましたが笑)


これはその時の写真です。最初話していた時は7,8人くらいかなと言っていたのですが結果的に12人くらい集まってタコパをしました。練習後だったので20時くらいにスタートして、普通にわいわい盛り上がっていたのですが、一つ問題が発生しました。その日は、7月の下旬だったこともありかなり暑い日でクーラーもかけてはいたのですが12人いたこととたこ焼きを焼いていたこともあり部屋が全く涼しくなりませんでした。窓を開けたりしてなんとか暑い中やっていたのですが、途中で#37和輝がすこし軽い熱中症気味になってしまい途中で帰ることになりました。幸い家に帰ってクーラーをつけたら回復したみたいだったので、よかったですが、あまりに暑かったため、次の日から崔の家はクーラーが効かないという事実と異なることを言われだしました(普段はしっかり涼しいので問題はないです)。結局タコパは12時くらいまで続きました。

そのあとは大勢で集まるとかはなかったですが夏休みに入るとオフの日や朝練の後とかに数人が僕の家に集まって何かすることが増えました(#32髙井#34金澤#36拓歩などがよく来てました)。僕の家にSwitchがあるため、みんなで午後から集まってマリオカートや桃鉄をしてそのままご飯を食べて解散したり、夜の南川さんのセッションに行ってそのまま外食して帰るみたいな生活をしていました。ある日にはみんなでカレーを作って食べたり、ある日には何人かで集まっていたら、突然#6田澤#27山下が訪問してきて、ソファーで二人仲良く寝るだけで帰った日もありました。

僕的にはみんなで集まってゲームしてご飯食べるというのが普通の大学生っぽくてうれしかったので、結構オフのたびに人を呼んでいたためたまり場になっていることはそこまでいやではなく、逆にめちゃくちゃ楽しんでいました。
ただ、このころから僕の家に寝泊まりする輩が出てきました。二浪の金澤君です。彼は当時、三条(自転車で15分くらい)に住んでいるにもかかわらず、自転車を持っていなかったため、帰りが遅くなったり、帰るのがめんどくさいと思ったりしたときに京大側に住んでいる部員の家に泊まっていました。京大近くに住んでいる僕の家にも当然彼は泊まりに来て、タダで僕の自炊飯を食い、シャワーを浴び、寝て、翌日もそのまま居候する生活をよくしていました。彼は当日に急に泊まりに来ると言ったり、片づけをしないところ以外は特に問題はなかったのでそこまで嫌ではなかったです。ちなみにこのころ彼は僕の家と髙井の家と#30高山の家をはしごして居候して自分の家に全く帰らない時期があったそうです。(帰るのは洗濯するときくらいだったらしいです)。
ただ彼も夏休みの終わりくらいに#5脇田さんから自転車を譲ってもらったおかげでやっと自分の家に帰るようになりました。(自転車の乗り方に関しては僕と髙井が一から教えました)
こういうことがあったため、このころから僕は“お母さん”と呼ばれ始めました。ちなみに金澤も同期最年長が部員に手取り足取り私生活のお世話をしてもらっていたことから“おじいちゃん”というあだ名がつけられました。

後期授業が始まり、秋のリーグ戦も終わり、新チームが発足したころ、毎週水曜日の練習が全体での朝練になりました。下宿している人たちは朝早くてもグラウンドに行けるので特に問題はなかったのですが、実家暮らしで電車通学している人たちは始発で来ても間に合わないため、前日から部員の誰かの家に泊まる必要が出てきました。もちろん僕の家にも泊まる人がいます。落とし物をして先輩のせいにしたとの噂のもつ#25白井くんです。彼は必ず前日までに連絡をくれて、バスタオルも持ってきてくれて、さらにはお世話になったからと年末に菓子折りを持ってきてくれたりと、とても律儀です。なのでいつでも泊まってくれて大丈夫なのですが、彼が先に寝ると彼の鼻による夜の大演奏会が開かれて眠りづらくなるのでそこだけ何とかしてほしいとは思っています。今年も朝練があると思うのでできるだけ彼より早く寝るようにはしたいと思います。


これは11月祭の野球部企画の参加賞だったチョコバットが郵送されてきたときの写真です。誰の家に届けるかってなったときに、#13窪が真っ先に僕の名前をあげやがりました。まああれだけ近いと当然でしょう。ちなみにこの写真に写っている金澤君はしっかりこのあと泊まっていきました。そして翌朝僕の作ったフレンチトーストを食べて帰っていきました。




12月24日には彼女のいない同期何人かで集まってクリスマスパーティーを開催しました(上の写真はその時の写真(まだしか来てない時)です)。夜ご飯を食べた後にそれぞれが飲み物やら食べ物やらを持ち寄って集まりました。僕は、なんとなくやる気になったので人生で初めてケーキを作りました。




スポンジは買ってきたのですが、マスカットを中に入れて、クリームを頑張って作って、塗りたくって、クッキーでデコレーションして、作りました。初めてにしてはなかなかうまくできたんじゃないかなと思います。(2時間かかりました)このころからことあるごとに“パティシエ”と呼ばれ始めました。
そしてパーティー自体はみんな用事があったりしたので来る時間はばらばらだったのですが、がピザを買ってきてくれたり、和輝が飲み物を持ってきてくれたりして、22時から水ダウの名探偵津田を見ていたら、バイト帰りの髙井が来たり、と徐々に人が集まってきて結局7人くらい集まりました。そして全員集まった23時くらいに、最後僕のケーキを食べて解散しました。(ケーキはものすごく好評だったので来年もぼっちならまた作ろうかなと思います。)

春休みは夏休みほどは集まらなかったですが、南光の入部直後に鍋パをしたり、ある日には巻き寿司したりとちょくちょく集まりました。
僕のたまり場の一年間のキセキはこんな感じでした。家が近くかつ何人か集まれるスペースさえあれば、こんな感じでたまり場になってしまうのでたまり場になるのが嫌な人は家選びを慎重にすることをお勧めします。
ただ先ほども述べた通り、集まってわいわいするのは嫌いじゃないので、今後とも同期のみんなはぜひ来てください。

次は2回生外野手兼学生審判の#62兼岩慶太です。彼は昨冬に学生コーチから選手に転向した期待の外野手で、ほぼ一年半のブランクがあったにもかかわらず春のOP戦で結果を残し、今春のリーグ戦で見事デビューを果たしました。また、今年からリーグ戦の学生審判もやってくれていてマルチに活躍しています。
2回生唯一の文学部で、思想が少し強いらしく、海外の議会の動画や、政治事件などを夜な夜なスマホで見て爆笑し、傑作を選手に見せてくる趣味を持っています。
そんな彼ですが、今年の関東遠征終わりに、遠征に行っていた2回生9人全員を実家に誘い、人工芝の広い庭でBBQをしたのちに全員を泊めてあげたらしく顔が細いのとは裏腹に実家が太いことがばれたとか。
そんな彼のキセキもぜひご覧ください。

はじめまして、入部3週間足らずでいきなりブログのトップバッターという鬼畜業を課されました、経済学部新2回生の#69南光悟です。

今回はひとまずトップバッターとして安パイな話題を選べたらなぁという邪な考えもあって、これまでの自分の野球人生について振り返ってみたいと思います。1年遅れで京大野球部に入部することを決意した理由などについても書けたらいいなと思います。


さて、僕が野球に初めて触れたのはおそらく幼稚園の時です。あまり記憶はありませんが、少なくとも実家近くの甲子園球場に阪神タイガースの応援に行っていましたし、幼稚園の園庭でキャッチボールもしていたように思います。母のおなかにいたころは甲子園球場のすぐそばに住んでいたそうで、六甲おろしを子守唄にするという英才教育の影響もありしっかり阪神ファンに染まりました。このころはよく家の前で父や兄とキャッチボールをしていました。父はいつもキャッチャーをしてくれて、「9回裏2アウト満塁1点リードカウント3ボール2ストライク」のように細かい設定まで指定してきて、僕を緊張させようとしてきました。何故だかわかりませんが僕はそれを聞くとすぐにニヤニヤしてしまって力が入らなくなりストライクが投げられませんでした。今も勝負所でフォアボールを出してしまうのはその性分が治っていないからだと思います。せっかく訓練してくれた父さん、ごめん。おそらくこのキャッチボールがきっかけで自分はピッチャーなんだと勝手に思っていました。

小学校に上がるといよいよチームに入団しましたが、4年が終わるころまではサッカーもしていました。5年になると試合で忙しくなるという理由で野球かサッカーかを選ばなければならなくなりました。ここが僕のここまでの人生の3つの大きな分岐点の1つ目です。2つ目は京大を選んだこと。3つ目は京大の野球部に入ったことでしょう。おそらく。余談ですが僕はバントが苦手です。6年の時のバント練習で20球くらい連続で成功せず、泣きながらなんとかピッチャー前に転がって監督に許してもらえたこともありました。その経験も踏まえて中高ではめっちゃ練習しました。かなり自信もついていました。が、高3最後の大会の大事な場面では一発で決められず、監督にサインを取り消されました。残念ながら信用されていなかったようです。まあヒット打ったんでいいでしょう。ということでDH制万歳!!

中学では変化球を覚えました。これは大進歩でした。ピッチングってこんなに楽しいのかと感じました。
中3になるころまではストレートとカーブの2球種でやりくりしていました。今投げているほかの球種は様々な変遷を遂げて現在の形に至りますが、カーブだけはその時から握りもリリースの感覚も何も変わっていません。僕の最古参です。なのにこれまで組んできたキャッチャーはこの子を忘れがちです。あまりサインを出してくれず、少し悲しいです。多分もっと練習して試合で使えるようにしろというメッセージなのだと思いますが、高2の時の先輩は「普通に忘れてたわ」と言ってきました。いや、何回バッテリー組んだと思ってんねん。ちなみにこれも余談ですが、サトテルと同じ中学です。ドラフトで指名された冬、ボールやバットなどを寄贈しに来てくれました。その時のサインの色紙には「tigus」と書かれていました。おそらく「tigers」と書きたかったのでしょう。同時期に楽天の小深田選手にもサインをもらったのですが、そこにはしっかりと「Eagles」と書かれていました。さすがです。






いよいよ高校に上がります。中学の時もそうですが、なんとなく、自然と、野球部に入っていました。選んだというより、入らない選択肢がないという感じでした。親に強制されたわけでもなく、自然と野球部にいました。高校時代はとにかく怪我だらけでした。腰、肋骨、足の甲、薬指。高校時代の半分は怪我との戦いでした。しかし運のいいことに大会の期間は元気なことが多かったです。怪我をした後、病院や接骨院、マッサージなど本当に多くの場所に通いました。当然ですがお金も時間もかかります。送り迎えも含めて本当に親には感謝しかありません。最後の夏にマウンドに立てていたのは本当に両親のおかげです。最後の夏は悔しい結果に終わりました。後輩の前で泣きたくなかったと言っていた2つ上の代のキャプテンの言葉が思い出されて、何とか泣かないようにしていましたが、残念ながらダメでした。高校時代1番の思い出は、高1の秋の大会です。チーム内で新型コロナウイルスが大流行し、地区大会直前に元気なメンバーが10人だけ(1回戦の後9人に)となってしまいました。自分はというと、しっかり布団の中でした。そんなチーム状況でしたが、残ったメンバーが必死のパッチを見せ県大会の切符をつかんでくれました。あとで聞いたところによると、生き残っていたエースの先輩は2試合を完投したのですが、1回戦の前日には39度近い熱があったそうです。絶対陽性でした。気合で2試合を投げ切ったと言っていて、ちょっと引きました。

いよいよ受験を終え、無事に京都大学に入学し、野球部の新歓に行き、完全に入るムーブをしておきながら直前でビビってしまいました。留学行きたいなーとか、気楽に野球したいなーとか、いろんなことを考えているうちに野球部に入るのをためらってしまったのです。ちょうど1年ほど前、櫛田さんにご飯に連れて行っていただきました。その時も野球部に入るのは断ったのですが、解散する直前に#16櫛田さん「1年後くらいに結局野球やりたいってなってそうやけどな」と言われたのを今でも覚えています。案の定でした。さすがの未来予知能力です。1年間、サークルでゆるく楽しく野球を楽しみ、大学生活も満喫しました。1月ごろ、キャッチボールをしながら変化球で遊んでいると、楽しくて仕方がなくなりました。これを本気で練習して、プロが注目するような選手相手に投げ込んで、バチバチの真剣勝負ができたらどんなに楽しいやろうか、としばらく考えていました。そのころはまだ本気ではなかったですが、なんとなくジムに行く回数が増えたり、ストレッチを再開したり、キャッチボールで高校までのルーティーンを思い出してみたりしているうちに、硬式野球部にひかれるようになりました。1年前、あれだけきっぱり断った自分のことを受け入れてくれるのだろうかという不安と、もう一度あの本気の舞台で勝負したいという思いがぶつかってしばらく揺れていましたが、中高の監督などに背中を押されて入部する決意をしました。

入部して一番感じているのは、今までの野球人生で、今が一番楽しいということです。150キロを投げるピッチャーからどうやって点を取るか、甲子園に出ていたバッターをどう打ち取るか。野球の醍醐味はまさにこの野球部に詰まっています。
京大野球部に入ってよかったなと心から思います。ハイレベルな環境で自分の本気をぶつけて戦えるという経験は、誰でもできるものではありません。残り3年弱、必ず成長します。必ずリーグ優勝します。

次は#66崔賢宇くんです。愛すべきいじられキャラな彼は、笑った顔がある芸人に似ていると言われたりします。いったい誰なんでしょうか。この時期にすでに新入生にもいじられる彼のおもしろいキセキにご注目ください!