#14菅野くんから紹介を受けました#Mgr吉岡真依です。彼のどんな時でもひたむきに練習に打ち込み、努力を続ける姿に何度も元気をもらいました。真剣に練習に向き合い続ける姿勢を尊敬しているし、心から菅野の活躍を応援しています。グラウンド外でも仲良くしてくれて、優しいしとにかく面白いし、同期にいてくれて本当によかったなと思っています。辛くてしんどい時もたくさんあったと思うけど、ここまで続けてくれて、本当にありがとう。


いよいよ最後のキセキを書く時が来ました。
この4年間で数え切れないほどの経験や出会い、思い出ができて、挙げたらキリがないですが、振り返りながら書いてみたいと思います。良ければぜひ読んでみてください。


小学校まではクラシックバレエに打ち込み、中学校ではバスケ部、高校では創作ダンス部に入り、全国大会に出場しました。最優秀賞を取ることを目標に週6日とにかく部活に没頭する学生生活を送っていました。兄と同じ高校に入りたくて受験したものの失敗し、落ち込みながらも始まった女子校生活でしたが、大切な仲間と毎日大好きなことに没頭できた日々は何にも代えられない経験となりました。たくさん怒られて、悩んで、暑すぎる練習場で毎日汗をかきながら練習して。それでも踊ることが本当に好きで楽しくて、舞台に立って観る人に感動や幸せを届けたり、人を笑顔にできることが何よりも嬉しかったです。


そんな部活漬けの生活を送ってきたからこそ、大学に入学したときは部活動選びに本当に悩みました。京女の部活はどちらかというと緩め、インカレサークルの体験にも行ってみましたが、ここで4年間過ごすのは何か違うなと思い、、大学でもせっかく部活をするなら高校並みの本気度で打ち込みたいという気持ちがありました。


そんな時、以前からの父親の勧めと、兄の高校野球部の後輩だった宮島さんのお誘いもあって、京大野球部のマネージャーに興味を持つようになりました。近くの皇子山球場で行われていたリーグ戦を見に行ってみたり、吉田グラウンドに行って練習見学もさせていただいたり。お父さんは高校野球が大好きだったし、兄も弟も幼い頃から野球をしていたので、野球自体は身近に感じていたものの、自分が野球部に関わることになるとは思ってもいませんでした。でも、沢山の選択肢がある大学生活の中で、体育会のこの硬式野球部を選び、大学でも本気で部活に打ち込んでいる選手にとても熱いものを感じたんです。私もそんな仲間と一緒に本気で野球部に打ち込みたいたい、そしてマネージャーという支える側の経験にも挑戦してみたいという気持ちが強くなり、入部を決めました。


↑今年の阿南合宿での4回マネのお気に入りショットです📸


入部してすぐは、とにかく目の前の仕事に必死になって、会計やマネージャーの仕事をひたすら覚えながら部活に励む毎日でした。
マネージャーの仕事では覚えることが多くて常にメモが手放せませんでした。それでも、パソコンの扱い方やメールの作成方法、敬語の使い方、企業の方とのやり取りまで、基礎的なことから一つひとつ学んでいく毎日は、新しいことばかりでとても新鮮でした。リーグ戦での尊敬する先輩方や同期の菅野・玉越の活躍を真近で見てとてもワクワクしたし、本当に毎日部活に来るのが楽しいと思える毎日でした。



⇧1回生のチャレリでの同期マネージャーとの写真です。なんだかみんなめっちゃ幼いですね笑 

入部してすぐだったけれど、2回生は菜緒さんだけだったので、「私たち1回生で頑張って、菜緒さんの分まで動こうね」と、1回生ながらに意気込んで話していたのを覚えています。急に後輩が3人も増えたのに、私たちを1番近くで見守り、育ててくださった菜緒さんには、感謝しかありません。


2回生になってすぐ、大好きで、とても慕っていた先輩が休部することになり、不安からのスタートでした。直属の先輩で、仕事の面でもとても優秀で頼りがいのある先輩だったので、一緒に活動できなくなることが悲しくて、これからのことも心配で、ひどくショックを受けたのを覚えています。2回生になりたてで会計の最上回生になるなんて考えてもいなかったけれど、近田さんやマネージャーの先輩方のおかげで、なんとか前を向いて、自分なりにやるべきことを考えながら頑張ってこれたのではないかなと思います。初めての阿南合宿の収支報告書作成や保護者の方への振込案内、入部金や部費の案内、打ち込み作業、リーグ戦のお金の管理。次から次へとやることに追われてどれも初めての日々でしたが、去年の動きを確認しながら今何をすべきかを自分で考えて動く、とても良い機会になったと思います。


私が野球部で頑張ったことのトップ5くらいには入るであろうイベントの1つがGivingCampaignです。琴子さんに憧れて、2回生でGivingCampaignの主担当に挑戦しました。会計マネージャーでもあったことから、部の資金難をより身近に感じていたので、このイベントを通して得た資金で選手の練習環境が良くなったり、選手のために何かできるといいなと思ったのも、挑戦した理由の一つです。詳しく話すとかなり長くなるので割愛しますが、最終結果は京都大学内1位、全国2000団体以上の中で9位、企業賞も6つ獲得し、当初の想定を上回る資金を集めることができました。10日間 、SNSでの発信や、部員や保護者、OB・OGの皆様への投票依頼、他大学との交渉など、常に周りへ働きかけながら、絶えず変動するランキングページとにらめっこする毎日でした。この結果を得られたのも部員の皆さんのおかげで、特に当時の4回生はとても協力的で一緒になって戦ってくださったことが本当に心強かったです。本当にやりがいのあるイベントでした。マネージャーは直接勝利に貢献することはできないけれど、それでもこういう形で選手を後押しできたり、少しでも選手が良い環境で野球に打ち込めるようになるなら。それだけで、嬉しかったし、頑張った意味があったと思えました。


↑ 3回生の時の写真ですが、お気に入りのGivingCampaign授賞式の写真を載せます📸


そしてこの年は、初めて自分のチームの勝利を見ることができた年でもあります。
勝ちをチームに届けてくれて、この景色を見せてくださった先輩方には本当に感謝しかありません。試合終わりに選手があんなに笑って笑顔でいたことも、自分のチームが勝つという、あんなに心躍る瞬間も、すべてが初めてのことで、今でも目に焼き付いていますし、本当に忘れられません。




3回生では、相変わらず授業数も多く、さらには大学の学外実習もスタートし、正直ハードな毎日でした。初めての遠征主担当にもなりました。主担当になったものの、最初は何から手をつけたらいいのか、何も分からない状態からのスタートでした。それでも、旅行会社さんとの打ち合わせや見積りを何度も重ねて比較したり、宿泊先や航空券の手配、現地での移動や試合を含めたスケジュール確認、試合出場のための書類作成など入念に準備を進めていきました。北海道の遠征ということでワクワクして楽しみにしていたはずの遠征なのに、遠征上手くいくかな、誰か飛行機乗れなかったらどうしようと心配性が爆発し、気づいたら心から楽しむ余裕なんてなくて、行きの飛行機でも激しく酔ってしまったのを覚えています笑。 七大戦の準備は手配なども含めて、遠征の1年前から始まる長期にわたるものでしたが、ゼロから遠征を作り上げる経験は、他ではなかなかできないことで、本当に貴重な経験になりました。




一方でリーグ戦は、全敗という悔しい結果に終わりました。私が入部した1回生の頃、細見さん・中井さん・陶二さん・谷口さんなど、当時の2回生陣がリーグ戦で活躍する姿を、ベンチの外からずっと見ていました。他にも米倉さんや松尾さん、中野さんなど頼れる先輩方ばかりで「この先輩方ともっと長く一緒に戦いたい」。そう思わせてくれるくらい、憧れの存在ばかりの代でした。だからこそ、この代で最後まで勝てなかったことは、今でも思い出すたびに本当に悔しいです。





新チームになってからは、キャプテンの#1松本と#2坂井くんを筆頭に色々な取り組みがあり、マネージャーながらもチームの雰囲気が徐々に変わっていくのを、日々の練習やミーティングの空気の中で肌で感じていました。先輩方のように、周りから特別な期待をかけられるような代ではなかったと思います。それでも、チームを内側から見ているとなんだか今までとの感覚とは違って勝てる感覚を強く持てていました。そしてリーグ戦が開幕し、初めてのベンチ入りも経験しました。スタンドからの応援とはまた違って、選手と一緒に戦えているような感覚と、選手が活躍する姿を1番近い場所から応援できることがとても嬉しく、何度も胸が熱くなりました。



最後に
試合に出たり、舞台で踊ったり——今までは自分が輝く立場ばかりの学生生活でした。でもこの4年間を通して、自分ではない誰かのために動くこと、サポートすることに、こんなにもやりがいを感じられるようになりました。気づけば、誰かのために動きたい、支えたいと自然に思えるようになっていました。
これは大学生活を通しての一つの成長だと思うし、マネージャーというポジションを経験していなければ、こんな自分には出会えなかったと思います。
国家資格取得を目指す学科に進学した分、授業数はかなり多く、学外実習や模試の勉強にも常に追われる日々。部活一本に集中したくてもできず、部活と学業とのバランスに悩むこともありました。それでも、近田さんの温かいご理解、同期マネージャーのサポートと応援、そして何より、家族が支えてくれたおかげで、学業にも部活にも最後まで全力で向き合うことができました。

この4年間は、かけがえのない時間でした。本当に、本当に楽しかったです。
このかけがえのない4年間をくれた部活、そして関わってくれたすべての人に感謝しています。ここで培った「誰かのために」という気持ちを、これからの人生でも大切にしていきたいです。


忙しくて大変で悩むことも多かったけれど、それ以上に先輩方や同期、後輩のみんなと行った遠征や阿南合宿、リーグ戦で選手が躍動する姿を見るのが何よりも好きでやりがいになっていました。
この京都大学硬式野球部で過ごした4年間が、自分にとって本当に最高の大学生活でした。正直、忙しくて大変で悩んだことも多くありました。それでも今こうして振り返ると、そんな大変さも含めて全部が愛おしく思えます。先輩方や同期、後輩のみんなと行った数々の遠征や阿南合宿、日々練習に打ち込む選手と常に周りを見てサポートに動くマネージャーの姿、リーグ戦で選手が躍動する姿。そのひとつひとつを見ているのが、何よりも好きで、私にとってのやりがいでした。
ベンチ入りしてスコアを書けたとき、選手が活躍する瞬間やガッツポーズする瞬間をシャッターを切って写真に収められたとき、ボール拾いやマシーン入れなど選手の練習のお手伝いができたとき、マネージャーのみんなと協力しながら活動する時間。華やかな瞬間ではないかもしれないけれど、そのひとつひとつが、私にとっては楽しくてかけがえのない時間でした。



マネージャーというチームの裏方を経験し、沢山の仕事をこなす中で本当に沢山の方々に支えられてこのチームがあるということを身をもって感じました。リーグ戦はもちろん、七大戦や双青戦、東京遠征など遠方の試合にまで足を運んでくださる保護者の皆様。引退後も変わらず応援に来てくださったり、多くの差し入れをくださったりと、サポートを続けてくださるOB・OGの先輩方、どんな結果の試合の後も、変わらず声援を送ってくださる応援団の皆様、チームの勝ちを信じて毎日ひたむきに動き続けるマネージャーのみんな。選手を誰よりも近くで見て、支え続けてくださる学生コーチの方々。そして首脳陣の皆様。


正直に言うと、「絶対に恩返しがしたい」というような立派な覚悟だけで頑張れた4年間ではありませんでした。結果が出なくて悔しくて、何のために頑張っているのか分からなくなりかけた日もあります。それでも、スタンドからの声援や、いつも変わらず応援に来てくださりマネージャーにも笑顔で接してくださる保護者の皆さま、温かい声をかけてくださるOBの先輩方、毎日必死に野球に打ち込む選手を見る度に、また前を向くことができました。そして4回生になった頃から、そんな方々の存在を思うたびに、「恩返しをしなければ」と、自然に思うようになっていました。このチームで勝って、保護者の皆様やOB・OGの皆様、ファンの皆様など応援してくださっている全ての方々へ勝利を届けることが、一番の恩返しになると思います。負けが圧倒的に多いチームです。それでも、勝つことを信じて、ずっと待ち続けてくださる方々がいます。その人たちと一緒に、このチームが勝つ瞬間を見たい。このチームで勝ちを必ず届けたいです。 


家族へ

保育園の頃から大学生になった今まで、私がやりたいことに全力で応援して、支えてくれて、本当にありがとう。その時々で興味を持ったことに挑戦させてもらって、数え切れないほどの経験を積むことができました。その一つひとつが、間違いなく今の自分を作ってくれています。家族の支えがなければ、ここまでやってこられなかったと思います。いつも優しく、温かく見守ってくれて、本当にありがとう。

そして、お兄ちゃんと弟が、それぞれ野球に本気で向き合ってきた姿を、ずっと誇らしく思ってきました。簡単なことじゃないと分かっているからこそ、2人のことを尊敬しているし、本当にかっこいいと思っています。

社会人になったら、今度は私が恩返しする番です。

たくさん親孝行できるようにこれから頑張ります🔥


近田さん

私がこの部で4年間活動を続けてこれたのは、間違いなく近田さんの温かいご理解があったからです。授業や実習の影響で活動形態がイレギュラーになることも多かったですし、部活外で挑戦したいことができたときも、いつも笑顔で受け入れてくださり、頑張ってねと背中を押して応援してくださったことが嬉しかったです。選手だけでなく、マネージャーのことも気にかけて大切にしてくださり、本当にありがとうございました。近田さんのもとで4年間マネージャーとして活動できて、本当に良かったです。 


#52平山さん、#53赤尾さん
お二人は、私がとても尊敬する代の先輩方です。西村さんの代が引退されるときが一番さみしくて心細かったのですが、平山さんと赤尾さんが、引退後も学生コーチとして残ってくださると知ったとき心の底からほっとしたのを覚えています。お二人の野球部にかける思いや野球への姿勢は、下回生の頃からずっと、見習うことばかりでした。平山さんと赤尾さんがいてくださるだけで、安心感が全然違いましたし、本当に心強かったです。
引退までにまたワードウルフしましょうね🐺


琴子さん

直属の先輩でたくさんお世話になった琴子さん。

琴子さんの下で働きたい、そう思って会計を選びました。GivingCampaignの担当に挑戦したのも、琴子さんのように頑張りたいと思ったからです。活動が被ることも多く、マネージャーの仕事の多くは、琴子さんから教えていただきました。

琴子さんの温かさとお人柄の良さ、優しさに包まれていると、先輩なのになぜか本当に居心地が良かったです。引退後も、晴翔と一緒に定期的にごはんに連れて行ってくださり、真面目な部活の話も、将来の話も、楽しいコスメの話も、何でも話せてたくさん笑える時間が本当に楽しくて仕方ありませんでした。この部活に入って、琴子さんのような素敵な先輩に出会えたことが幸せだなと感じます。



3回生マネージャーのみんな
これからマネージャーを引っ張って行く立場になり、責任も、やることも、悩みも、きっと今まで以上に増えてくると思います。でも、そんな時こそ、お互いのことを大切にして、理解し合い、助け合いながら、頑張ってほしいと思っています。同期のマネージャーが多いのは本当に恵まれていることです。一人で抱え込まずに、その存在を頼ってください。最後まで、同期のみんなを大切にして頑張ってね。みんな確実に成長しているし、頼りになるし、色んなお話もできて笑顔溢れる楽しい後輩でした。


#Mgr祥生くん、#Mgr春佳ちゃん
本当にチーム想いで、真面目で、部活に対して熱い2人。その姿は本当に素敵だし、常に周りを見て動けるところも、すごいなといつも感心しています。ただ、その分ちょっと心配な気持ちもあって。無理をしすぎず、自分たちのことも大切にしながら頑張ってほしいなと思っています。
まさか、食物栄養の後輩が入部してくれるとは思ってもいませんでした。大学に通って授業やタスクをこなすだけでも、なかなかハードな学科だと思います。なのに、プラスで教職も取って部活も取るなんてガッツありすぎだよ春佳ちゃん、、笑 サポートする気は満々なので、テストでも実験レポートでも何でも頼ってね。
2人が後輩として入ってきてくれて安心でした。ほんとにありがとう!


#Mgrゆめりちゃん、#Mgr清花ちゃん
いつも明るくてよく笑う、笑顔が素敵なゆめりちゃん。仕事覚えもタイピングも本当に早くて、仕事を教えるたびに驚かされています。1回生とは思えない仕事ぶりで本当に頼りになっていました。ゆめりちゃんらしく、これからも頑張ってね。
ほわほわとした雰囲気で、いつも見るたびに癒される清花ちゃん。広報として沢山の仕事をこなしてくれて、部活に真剣に取り組んでくれていることが、本当に嬉しいです。SNS企画も頑張ってくれてありがとう!


晴翔
はるかと一緒に活動した2年間はとんでもないくらい楽しかったです。はるかが入部してきてくれたときから、笑うことが一段と多くなって、一緒にいるだけで自然と笑顔になれたし、2人ともツボが浅くて涙出るくらい爆笑する時間が大好きでした。お姉ちゃんのような安心感もあって、晴翔がいてくれることが私にとって、とーっても大きな存在でした。一緒にマネージャーできて本当に本当に楽しかったよ!ありがとね。


連盟・放送委員の3人へ
透き通るような美声で数々の試合放送を届けてくれた#Staff環ちゃん。今こうして私たちがマネージャーとして活動できているのは、間違いなく環ちゃんが入部を決めてくれたおかげです。放送委員として野球部を支え続けてくれて、本当にありがとう。

いつも周りを明るくしてくれて、心が綺麗な#Staff美啓ちゃん。美啓ちゃんの優しさに触れるたびに、なんだか心がじんわり温かくなって、救われたことが何度もありました。かと思えば1人で海外へ飛び立つ行動力もあって、そのギャップにいつも憧れていました。

人となりも仕事のこなしも完璧すぎる#Staff嘉田くん。連盟の部屋に嘉田くんがいてくれるだけでリーグ戦の安心感がまるで違いました。就活でも本当にお世話になって嘉田くんの優しさと人柄の良さには感無量です。ただただ、尊敬しています。


#Staff芳野くん

本当に選手想いでチームのために何ができるかを常に考え、沢山の取り組みを提案し、形にしてきてくれました。新しいことを提案すれば、当然いろんな意見が飛んでくることもあったと思います。それでも自分が考えたことをここまで形にできる人はなかなかいないと思うし、本当にすごいなと思っています。最初は驚いたし、最後に一発殴りたいランキングにも思わず投票してしまったけれど(笑)、この4年間、本当に本当にお世話になり、様々な場面でたくさん頼らせてもらいました。同期に芳野くんがいてくれて、本当に良かったです。VIVANT語りと別班遊びも楽しかったよ。


#Staff大西くん
笑顔で毒舌を発する一面も垣間見えるけど、その根っこにはいつも優しさがあって、その優しさと安心感に何度も助けてもらいました。いつも明るくて挨拶も笑顔満点で、後輩からもとても慕われていて、視野が広くて周りをよく見ているし、グラウンドに響く活気あふれるアップの声出しも含めて、いいところばかりです。毎回緊張するベンチ入りも、大西くんが横にいてくれるおかげで、安心して試合に挑むことができています。本当に、たくさんありがとう!


#42藤田
藤田は親しみやすくて1回生の頃からとても話しやすい存在でした。マネ室に来たと思ったら、まっすぐお菓子を狙いに来る。分かりやすくおもしろい一面もあるけど、グラウンドではとてもしっかりしているし、相談事に対しては自分の意見もしっかり伝えてくれます。オープン戦でもスコアや試合のプレーについて、わからないことを聞けばいつも丁寧に教えてくれて、気づけば本当にたくさん頼りにしていました。



入部してすぐは分からなかったけれど、年を重ねて経験が増えていくたびに、スタッフがこんなにもいてくれることのありがたみを、どんどん感じるようになりました。学生コーチにも、放送にも、連盟にも、それぞれ同期がいてくれて、困ったときにすぐに頼れる仲間があらゆる方面にいてくれる。それは本当に恵まれていることで、決して当たり前のことではないし、この素敵で頼れる6人が、私たちマネージャーの周りにいてくれたことが、本当に心強かったし、みんなのおかげで4年間安心して活動できました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。心の底から、ありがとう!


#Mgr若葉ちゃん
若葉ちゃんの丁寧で着実な仕事ぶりには、尊敬の気持ちでいっぱいです。多趣味で知的好奇心に溢れているところも本当に素敵で、若葉ちゃんと出会えたおかげで、私自身の世界もすごく広がりました。そして何より、1年間主務を務めてくれて、本当にありがとう。
4春の立命戦後、負けたことが悔しすぎて、若葉ちゃんと大号泣してしまったこともありました。若葉ちゃんのこのチームにかける思いの強さを改めて実感したし、同じくらいの熱量で、同じ想いを持ってくれている子がそばにいる。それだけで、少し安心できる気持ちもありました。残り3節は絶対に勝って、笑顔満点で喜ぼうね⭐️


#Mgr一華
仕事に対してとても熱心で真面目な一華。大学も、部活の行き帰りも同じだったので、この部で1番一緒にいた時間が長かったんじゃないかなと思います。電車やバスの中での他愛もない話も、部活の相談も、気づけば全部一華に話していました。本当に優しくて温かくて、いつも味方でいてくれる一華には、たくさん救われました。部活のことも、部活以外のことも、何でも気兼ねなく相談できる同期が隣にいてくれる。それがどれだけ心強いことか、一華といるうちに何度も実感しました。本当にありがとう。


この部に入って良かったことの1つに、間違いなくこの2人との出会いがあります。高校までは全く違う部活をしてきた3人だけど、野球部に対して真面目で、同じ熱量をもって部活に打ち込める2人が同期にいてくれたことは、本当に心強かったです。ひたすら部活のことで3人で悩み続けることもあったし、話し合いでLINEが永遠に鳴り止まない夜もあったりしました。今思えば、あんなに真剣に悩めたのも、それだけこのチームのことが本気で好きだったからなんだと思います。
正直、たまに意見がぶつかってしまうこともありました。思っていることを飲み込んで、なあなあにすることだってできたはずです。それでも、思ったことや部に対して良いと思ったことを、ちゃんと本音で伝え合って話し合えたのは、4回マネというお互いを信頼しきった関係だからこそだと思うし、3人それぞれが本気で部活に向き合っている証拠なんだと思います。
2人は愛嬌も良くて、挨拶も笑顔満点でハキハキとしていて、本当に素敵です。どの立場から言ってるんやってなりそうですが、リーグ戦や遠征などで外部の関係者と接する機会があっても、2人と一緒に歩いていると誇らしい気持ちになります💫
大学の授業や学外の実習で部活に行けない日も多く、2人には負担をかけてしまったことがたくさんあったと思います。それでも嫌な顔せず、いつも応援してくれて、サポートしてくれた2人には感謝しかありません。
「この2人と同期でよかった」。そう思う瞬間が、この4年間で数えきれないほどありました。本当にありがとう。




同期のみんなへ
この4年間、楽しいことばかりじゃなくて、辛いことや悩むこと、上手くいかないことの方が多かったり、しんどい時も沢山あったと思うけど、それでも前を向いて、最後までこの部で頑張り続けてくれて、一緒に戦い抜いてくれて、本当にありがとうと伝えたいです。
私が最後まで頑張れたのは、紛れもなく同期の存在があったからです。みんながオープン戦やリーグ戦で戦う姿、グラウンドで夜遅くまで練習している姿を見るのが好きで、そのひたむきに野球に打ち込んで努力し続ける姿に、何度も元気をもらいました。毎年恒例のBBQやくれしま後のボーリングはもちろん、練習後に話す何気ない時間も、本当に楽しくて大好きでした。
正直、辞めようか迷った時も何回かありました。それでもその度に、同期と最後まで頑張りたい、同期のみんなが引っ張るこのチームで絶対に勝ちたい、勝って喜ぶ姿、笑顔が見たい、という想いがずっとあって、その気持ちが繋ぎ止めてくれていました。
下回生の頃は、先輩方からの意見やご指摘がたくさん耳に入ってきて、正直不安に感じていたこともあったけれど、新チームがスタートしてチームを作り上げていくみんなの姿は頼もしくて、心強かったです。
いつも暖かくて優しい人たちばかりの、本当に素敵な代だと思っています。同期のことが大好きだし、出会えて本当によかったです。大袈裟だけどかけがえのない仲間だと思っています。だから、引退しても社会人になってもずっと仲良くして欲しいです。
リーグ戦も残すはあと3節。泣いても笑っても、このチームで戦えるのは本当に最後の最後です。今まで数え切れないほどの練習を積み重ねてきたと思います。自分と、そして仲間を信じてやり切るだけです。私も最後の最後までチームみんなと一緒に戦います。






次は#9森田くんです。
森田くんも、常に努力を惜しまない、尊敬する選手の1人です。夜遅くに部室を出るとき、グラウンドで自主練を続けている森田くんの姿を何度も見てきました。とても優しいし、努力家で、視野が広くて周りを見る力に長けているし、ミーティングなどでのチームに必要な声掛けも見ていて本当にすごいなと思っているし、尊敬するところばかりです。
4年間の集大成となる森田くんのラストキセキにご期待ください。

#Staff嘉田くんから紹介を受けました#14菅野です。嘉田くんはプレス発表の時に滞りなく司会進行している姿に貫禄を感じました。絶対にシゴデキですね。嘉田くんと話すときは自然と敬語で話してしまっていたのですが、最近はタメ口で話せるようになってきました。関学連のため京大野球部のためにいろいろな取り組みをしてくれて本当にありがとうね。
 
さて、四年間の集大成とも言える吉Gのキセキの番がついに自分にも回ってきました。この四年間、本当にいろいろな感情やいろいろな壁にぶつかり、そしてもがいてきました。最後のキセキは後輩や同期、先輩からもかなりの期待をされているということもあり、流石にスカすことはできないようなので、どのような気持ちで日々を過ごしていたのかについて語りたいと思いますので、長くなりますが最後までお付き合いください。暗くなってしまったらごめんなさい。
 
まず、僕の大学野球生活について振り返りたいと思います。
 
1回生。思い返せばすべてが順調。1回生の頃はただ純粋に野球を楽しんでいました。良くも悪くも「ギラギラ」していたように思います。同期や先輩のピッチングを見て、「勝てるな」と思っていたし、1秋のリーグ戦で投げてやろうとも思っていました。リーグ戦開幕前に水江さんが自分のピッチングを見て「戦力なるかもなあ」とつぶやいていたのを聞いて本当にうれしかった記憶があります。そして秋リーグの開幕戦に登板して抑えることができ、その後も勝っている場面や同点のしびれる場面に起用していただき、抑えることができました。8月のOP戦での初登板から約二ヶ月の間、トントン拍子にすべてが上手くいっていました。思えば、あの頃はチームのことはあまり考えていない、自分が投げて抑えれば楽しいといったような、「調子に乗った」選手だったと思います。だから、1節目の近大節を落とし、2節目の同志社節を落とした後のロッカー室で細見さんと谷口さんが涙を流している姿に衝撃を受けました。そして来年は「こんな選手にならなあかんな」とも思ったし、周りからの期待も相当感じていました。その期待が自分にはとても嬉しかったし、優越感に浸っていたのも事実でした。ただ全く練習をしていないというわけではなく、その冬も水江さんや染川さんと一緒に練習する中でピッチングについて多くのことを学び、わくわくしながら練習に取り組んでいました。
 
そして新チームが始まり、阿南合宿では玉越と菅野以外は紅白戦で結果を残してくださいといった内容のLINEが近田さんから送られてきて、また優越感に浸っていました。この時もプレッシャーというのは特段感じておらず、「調子に乗って」いる謙虚さのない身勝手な選手と周りからも見えていたと思います。良いときこそ謙虚でなければいけない。本当にそうだと思います。ただ、その当時は同期のみんながAに入るために必死に練習に取り組んでいるのに対して、自分はただ単にのびのびと野球をやっていました。春のOP戦では冬の間スピード強化に力を入れていたこともあり、球速が5キロほど上がり本当に順調でした。練習すれば全部上手くいく、何の挫折もなくここまできていました。
 
しかし、二回春。春季リーグ戦の開幕直前に食中毒で体調を崩してから、感覚が戻っていないまま春リーグを迎えました。そして開幕節。関大の金丸投手から勝ち、勢いのまま2連勝。入部してから初めて見た勝利と勝ち点。しかし、自分は米倉さんや西宇さん、玉越が投げるのをただベンチやブルペンで眺めているだけでした。嬉しさはほんの少しであとは悔しさの方が大きかった。試合後の集合で仲間と喜び合う中でも、どこか心の中では素直に喜べない自分がいました。
次の同志社節を登板し抑えて迎えた、甲子園での近大節。初戦、1-1の場面で登板し四連続四死球で勝ち越しされ2-1で敗戦。二戦目、3-3の場面で火消しとして登板し6失点で敗戦。今振り返ってもごっついですね。本当に情けなかった。悔しいや情けないという言葉では片付けられないくらいの感情でした。自分のせいで試合を壊してしまった。近田さんに信用していただいて二試合連続の重要な場面で登板したのにこの結果。申し訳なかった。そして親にも当たってしまった。情けない。
その後も最終節の立命節でもチームは二連勝したものの、自分は火消しで登板し失点。チームが春4勝したにもかかわらず、自らのピッチングで勝利に貢献することは一度もできませんでした。二回春のリーグ戦は自分の弱さが全て出てしまったのだと思います。それは技術的な弱さだけでなく、精神的な未熟さも全て。この時は技術的なことばかり考えていましたが、精神的な未熟さにもっともっと気づくべきだったのかなと今になって思っています。
 
春リーグが終わった後、どうすれば元の良い状態に戻れるのか、どうすれば元の出力で投げられるのか、そればかりを考えていました。典型的な落とし穴ですね。そうやって力任せに投げて練習をしていた頃、肩を壊しました。そしてそのまま秋リーグが始まり、全節をスタンドで過ごしました。この頃は自分が投げられない悔しさを少しでも紛らわそうと怪我だから仕方がないと考えていました。応援に来てくださる保護者や先輩にベンチを外れた理由を聞かれても、苦し紛れに怪我を言い訳にして、逃げるようにスタンドを後にしていました。#16櫛田がキセキで言っていたように「怪我をするやつが悪い。」、本当にその通りだと思います。でも当時の僕は本当に弱かった。その後のチャレンジリーグ関大戦の先発でも2回10失点。当然の結果です。未熟な精神状態で投げても良い結果は出ないし、出たとしても長続きはしないと思います。そして、チームごとに関しても、同期はチャレンジリーグのMTGなどで主体的にチームの成長のために発言しているのを見て、二回秋に初めてチャレンジリーグに行き、ただ試合を壊してしまった自分とはかけ離れてしまっているなと思ったし、前年の今頃、自分と同じ2回生だった細見さんや谷口さんはチームの敗戦に涙を流していた。本当にハッとさせられたし、1回生の頃に思い描いていた理想とはかけ離れていて、何もできていない自分が悔しくて悔しくて仕方がなかった。
(チャレリ関大戦のMTGで半泣きになってバッテリーの前で謝ったことイジってるの#21渚だけやで)
 
2回生は、リーグ戦で打たれた事実や怪我をした事実、チャレンジリーグで打たれた事実、そしてチームの成長のために何も発言できなかった事実、すべての事実の本質的な部分から目を背け続けた結果が顕著に表れた、そんなシーズンだったと思います。そのような中でも同期や先輩、指導者の方々、家族、友人はいつも励ましの言葉をかけていただき、「菅野がおらな勝てへんぞ」と自分が必要とされていることに元気をもらっていました。本当に感謝しています。
 
そして新チーム始動。新チームというのはいいですね。これだけボロボロの状態でも新チームになれば気持ちを新たにして活力がわいてきて、3回生は自分がエースになってやる、米倉さんに勝ってやる、そう思いながら「ギラギラ」した状態で練習に取り組んでいました。オフシーズン中、本当にやれることは全てやった、そう思っていました。フォーム改善のために動画もいっぱい撮ったし、ありがたいことに水江さんに電話やLINEで何度もフォーム指導や練習メニューを考えていただいた。いろいろな先輩にメニューを聞いたし、肩の怪我予防のためのトレーニングにも励んだし、ワールドウィングも契約した。また、ウエイトもペースと強度上げてやったし、体の操作性改善とちょけ半分でYouTubeをみながらダンスもした。親に高いお金を出してもらって外部指導にも行った。その結果、体重も増えたし、ボックスジャンプや立ち幅跳びは大幅に飛べるようになった。投球フォームも改善したし、いろいろな方の指導のおかげで良い球が投げられるようになっていました。これでいける、そう思っていました。
 
しかし、春のOP戦が始まると結果は散々。ストライクは入らないし、置きに行った球を打たれる。気づけば自分のフォームが分からなくなっていました。ただただ悔しかった。これでいける、そう思っていた分、現実を見ることができなかった。いろいろな方々に支えていただいた分、悔しくて情けなかった。そして、1回生の頃の自分と比べて成長するどころか退化している現実から目を背けたくなった。1回生の頃よりも、高校生、いや中学生の頃よりも退化しているのではないかと思い、自分が嫌になった。
 
ただ、どれだけOP戦で打たれて炎上しても、次の日にはもっと上手くなりたいと思ってメディシンを投げていたし、ウエイトに励みました。結局、どれだけ自分が嫌になっても野球は本当に大好きでした。野球を辞めようという選択肢は一つもありませんでした。この頃は成長のために次の行動を起こすことが少しずつではありましたができるようになっていたのかなと思います。ただ、この頃は#19穣が言っていたように「努力は結果を曇らせる」そのような状態にもなっていたと思います。また、3回の春リーグ戦中に#8佐々木が「絶対春投げろよ」と言ってくれたことは、自分がまだ期待されていて、チームに必要とされているのだと感じてとてもうれしかったというか、頑張ることができました。ありがとう。
 
それでも、結局三回の春リーグも投げることができず、夏のOP戦でも結果を残すことができずにいました。今振り返ってみても3回生の夏は、ほとんど記憶にありません。OP戦に登板しても毎回同じように炎上してしまう、リーグ戦で投げる姿をイメージすらできない。気づけば与えられて練習メニューをこなすだけの日々で、1回生の頃やオフシーズン中に抱いていた「ギラギラ」した感情は消えかかっていました。野球に対するモチベーションは薄れ、心の中の灯火は消えかかっていました。好きで始めた野球を上手くできない、上手くなるために努力することすらできない、そんな自分のことまで嫌になった。やっぱりこの頃が一番しんどかった。
 
そんな状態を救ってくれたのは米倉さんでした。全体練習の終了後に帰ろうとしていたところに自主練に誘っていただきました。CBも一緒にしていただき、考え方や意識することをたくさん教えていただきました。こんな状態を見て誘ってくれたのかは分かりませんが、CBや自主練をこなしていくうちに、練習メニューの意図を教えてもらっているうちに、こんな練習をしてみよう、あのフォームを試してみよう、どんどん意欲がわいてきました。やっぱり野球が好きで、心の中の灯火が消えていない限りはいつでも立ち上がれるし、いつでも上手くなれるチャンスは転がっているのだと思いました。最後のシーズンに自分のやりたいこともたくさんあった中でも後輩の僕に伝えてくださる姿を見て、このままじゃ絶対に終われないと、もう一度、初心に帰り気持ちを奮い立たせることができました。米倉さん本当にありがとうございました。
 
そして自分たちの代が始まりました。同期のピッチャーから投手主任に選ばれました。こんなにも結果も残せていない自分を推す声が上がることがうれしく、もう一度このチームを勝たせられる選手になる。この一年は覚悟の一年にする、やれることは全てやる。妥協は一切しない。そう決めてオフシーズンを過ごしました。ウエイトや自主練はもちろん、練習メニューを決めたり、指摘の声を出したりすることも積極的にして、チームがどうすれば勝てるか、ピッチャーで勝てるようにするにはどうすればいいかについても考えるようになりました。オフシーズンは3回生のシーズン終盤から良い感覚をつかんでいたこともあり、感覚はかなり良く出力も戻ってきていました。
 
このままいける、そう思って迎えた初の実戦。阿南合宿での紅白戦で1イニング8失点。またこれか。自分でもそう思っていたし、チームのみんなからそう思われている気がしながらマウンドを降りました。その日の午後の練習は絶望というよりも同部屋の#18平木に変な気を遣わせないようにどうすれば良いかばかりを考えて平静を装っていました。しかし、精神的に強くなったのか平静を装ったおかげなのかわかりませんが、その日の夜には自主練のために最後まで残って練習をし、近田さんに改善策を聞いていました。落ち込んでいる暇はない。言葉ではそうわかっていても行動に移せなかった自分がひとつ確実に強くなれた瞬間でした。
 
それでも、春のOP戦期間は同じような結果が続いていました。そんな簡単に結果は出ません。投手主任として本当に情けなかったです。投手としての決め事を自分自身が守れなかった時、それをMTGで反省する時間、あの瞬間は本当に逃げ出したくなるくらい苦痛な時間でした。他の主任たちはそれぞれの分野でチームの中ではトップレベルの実力を持ってして主任になったのに、自分は2年以上もリーグ戦に出ることすらできていない、そうやって比べてしまい自分が嫌になる。本当に情けない投手主任ですね。そんな中でも、いつぶりかわからないくらい久しぶりに3人で抑えたときや0で何とか切り抜けたときに僕以上に喜んでくれる後輩や同期には本当に感謝しています。先輩や同期だけでなく後輩にすらも助けてもらっていました。みんなのおかげで苦しい時期も乗り越えることができました。
 
そして4回生夏。春季リーグ戦後からは良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。七大戦のメンバーにも選ばれず、このまま引退してしまうのではないか、そんな不安と焦りの中でひたすら練習していました。そんな中、#53ポールさんにご飯に誘っていただき、穣と3人でご飯に行くことになりました。そこで、ポールさんに最後まで絶対にあきらめないように言われ、もう失うものはないと覚悟を決めることができました。投手主任としての理想像と自分の成績とのギャップにも理解していただき慰めてもらいました。ちょっと泣きそうになりました。そして穣からは、「菅野さんが投げているときは絶対に守ろう。」と多くの後輩が言っていた、ということを聞きました。ほぼ泣きました。涙で前の焼肉が見えなかったです。めちゃくちゃ我慢したのでギリギリ泣きませんでしたがポールさんと穣は気づいていたと思います。今までやってきたことは間違ってなかったんだな。投手主任として不甲斐ない結果しか残せていないのにこんなに信じてくれる後輩がいるんだな。そう思うと全部吹っ切れました。MTGをするにしても周りを見て何かを言うときにしても、どこか自身の成績を気にしてしまっていた事は本当に無意味だったんだと思うことができました。
 
そこからは、臼井さんにアドバイスをいただいたことやInstagramのリールでたまたま目にした動画を参考にしたこともあってピッチング自体もよくなってきました。すべてがきっかけでした。そこからは本当に野球が楽しかった。七大戦の裏でゲームキャプテンをしたことやその試合で先発して勝てたこと、同期や後輩、ポールさんが自分のことのように喜んでくれたこと、すべてが本当に楽しくてうれしかったです。この夏は怪我覚悟でバッピもブルペンもアホみたいに投げました。チームで一番投げた自信があります。そして最後のOP戦が終わった今振り返ると、この夏の二か月間は4年間で一番成長できた2か月だったと思います。それは技術的なことも精神的なことも。この2か月の間、先輩方に教えてもらったことや試してみて一度は上手くいかなかったこと、致知で読んだ考え方などの今まで4年間の中でやってきたことが、すべてではないですが面白いようにつながっていきました。本当に楽しかったしあっという間でした。
 
4年間を振り返ってみました。想像以上に長くなってしまいました。すみません。#20太郎と#3藤巻がキセキは長いほど良いと言っていたのでもう少し書かせてください。
 
振り返りの最後に僕が大事にしてきた考えや4年間やってきた今思うことを書きたいと思います。
 
まず大事にしてきた言葉があります。それは
「人間万事塞翁が馬」です。意味はざっくりいうと、良いことが悪いことに、悪いことが良いことにいつ転じるか分からない、ということです。この言葉は2回生のオフシーズンに致知を読み漁っていた時にこの言葉に何度も出会いました。上手くいったときもそうでないときも一喜一憂せずにこの言葉を信じて前を向くことが大事です。僕も「これでいける。」と何度も思い、試合で上手くいかず何度も落ち込んできました。一喜一憂することはしんどいし、それで考えを停滞することはとても無駄な時間です。
そして、成長するタイミングはある日突然やってくるということです。阿南合宿で切り替えて練習したことや臼井さんにアドバイスしていただいたこと、ポールさんとご飯に行ったことなど、成長するタイミングは日々の練習や生活に転がっています。それを見逃さずに粘り強く取り組むことが大事なのかなと思います。その中で常に高い目標を持つことが大事です。それはAとか Bとかの自分の実力は関係ないです。高い目標を持ち高い視座から練習に取り組むことで、その分成長するチャンスは格段に増えると思います。
 
また、この4年間正しい努力は何かということについてずっと考えてきました。努力は必ずしも報われるとは限らないということはこの4年間で痛いほどわかってきたし、正しい努力をすれば報われるということも正しいと思います。ただ、僕は不器用なのでどれが正しくてどれが正しくない努力なんてわからなかったし、やってみないとわからないことがほとんどでした。僕の結論としてはありきたりですが、正しいかはその時は分からなくてもとりあえずやることが大事かなと思います。4年間でいろいろな練習をしてきて、当時上手くいかなかったことが突然繋がったり、意味を成したことがこの4年目にしてやっとわかってきました。あのとき必死に練習したことが結局無意味だったと思ったことも、巡り巡って何年後かに自分の成長に必要だったこともありました。もちろん全てではないですが、今になって2回生のころに教えていただいたことで上手くいったりしています。それが本当に楽しいです。
 
そして、精神的成長なくして技術的成長はないということです。誰にでも絶望することや辞めたくなること、腐りたくなることはあると思います。そんなときにいかに早く立ち上がれるかが次の成長の第一歩なのだと4年間で身にしみて感じました。落ち込んでいる暇はない。そう分かっていることを実際の行動に移せるかが大切です。立ち上がる時間が数週間かかるよりも翌日、数時間、数秒のほうが断然良いし、その点に関して、僕は大きく成長できた点だと胸を張って言えます。先日のMTGの美点凝視で穣が「菅野はどんな良くない結果でも投手主任としてすぐに切り替えてやるべきことをしている。」とほめてくれたことはめちゃくちゃうれしかったです、ありがとう。
 
最後に、今感じていることで一番大きなことは、自分は恵まれている、運が良いということです。この4年間で指導者の方々や先輩方、家族、同期、友人、そして後輩にも支えられてきました。こんな自分に励ましてくださる方々のおかげでここまで走り抜けることができました。これだけ結果も残せずにずっと失敗を繰り返してきた自分がここまで励ましていただき、チャンスを何度もいただいたことは本当に運が良かったと思います。言葉では言い表せないですが本当に感謝しております。
 
いよいよ15年間続けてきた野球も残りわずかとなってきました。最後の4年間は思い描いていた理想とは全然違ったけれど、想像以上に成長もできた4年間でした。支えてくださった方々に結果で恩返しする機会はわずかですが残っています。こんなままでは絶対に終われないし、まだまだ成長して見せます。そして、何よりこのチームで勝ちたい。結果は必ず最後に現れる。これは去年の松尾さんのキセキにあった言葉で、気に入っている言葉です。この言葉を信じてこの一年間走り続けることができました。自分自身の結果もこのチームの結果も、四年間のすべてがこの最後リーグ戦3節に現れると思います。最後、結果も姿勢もすべて見せるので、みんなで勝とう。最後みんなで笑おう。



 
本当の最後になりますが感謝を述べさせていただきます。
 
神崎部長 OP戦でセンターからいつも応援していただきありがとうございました。「良くなっているね。」というお言葉がいつもうれしかったです。どんな時も優しく声掛けをしてくださり本当にありがとうございました。
 
青木総監督 いつもお会いした時に励ましのお言葉や練習法、考え方などを教えていただき本当にありがとうございました。また、チームの勝利には僕の力が必要と4回生のこの時期にも言っていただきました。
 
近田さん 結果が出ないときもいつも試合に使っていただきありがとうございました。苦しい時に近田さんに助けを求めたときは常に前向きな姿勢にさせてくださいました。1回生のころから様々な場面で起用していただき経験を積むことができました。残り少ない時間ですが精一杯結果で返したいと思います。
 
臼井さん 何度も何度も僕のピッチングがどうすれば良くなるかについて考えてくださり本当にありがとうございました。臼井さんのアドバイスのおかげできっかけを掴むことができました。七大戦の裏の試合でも「菅野をAに推薦できるようなピッチングをしてくれ。」と言われたこともとてもうれしかったです。
 
南川さん どうすればよくなるかをトレーニングの面から様々なメニューを教えてくださり本当にありがとうございました。おかげで目標だったインボディ90点も達成することができました。また、投手陣全体のために医健のメニューを考えていただきありがとうございました。
 
#52平山さん 平山さんには的確なアドバイスや鋭い視点での意見を言ってくださいました。平山さんには野球に対する情熱は敵わないなと思いました。特にこの一年間はチームに対する姿勢などを学ばせていただきました。ありがとうございました。
 
ポールさん 試合で抑えれば僕以上に喜んでくれて、ダメなときはそっと背中をたたいていただいて何度も頑張ろうと前を向けました。あのあぶり屋がなければ今の僕はないと思っています。また、Bのメンバーが腐りそうなときやしんどいときに常に的確な声掛けをしていただきました。本当にありがとうございました。
 
水江さん まず結果を残せずにすみません。そして、2回生の一番しんどいときには「お前はこんなんじゃないぞ。」と言ってくださったことで前を向けました。何度もラインで指導していただき本当にありがとうございました。また、終わりなき旅も何度も読みました。僕の精神的支柱でした。
 
米倉さん キセキにも書きましたが、あの時救ってくださったおかげでこのキセキが書けています。先日ご飯に連れて行っていただいた時も去年の米倉さんのキセキにも「菅野のおかげで頑張れた。」と言っていただきましたが、逆です。ヨネさんのおかげです。この洛星3人は本当に偉大ですね。良いこと書いたんで、またご飯お願いします。これからも仲良くしてください。
 
家族 まずこの15年間、何不自由なく野球に打ち込ませてくれてありがとう。お父さんのおかげで野球という素晴らしいスポーツに出会え、最高の仲間に会えました。そしてつらいときの心の持ちようや言葉に元気をもらって、頑張れた。ありがとう。お母さんはどんなときも味方でいてくれて、落ち込んでいたときもLINEをくれて、素直になれないときもあったけど頑張れました。ありがとう。もっともっと活躍した姿を見せたかったけど、投げたときもスタンドの時もこの四年間ほとんどのリーグ戦を見に来てくれてありがとう。最後は投げている姿を必ず見せるのでもう少し応援してください。あと二年はお世話になるけど、これからの人生で親孝行していきます。

同期 直接は言葉にして励ましてくれたりとかはあんまりなかったけど、常に応援してくれているのを感じていました。抑えたときは一番に駆け寄ってくれたし、あかんときはベンチや後ろから一番大きな声で応援してくれてありがとう。あれだけで頑張れていたときもあった。これからもずっとよろしく。個別にはカードで書きます。
 
玉越 良かったときは一番声かけてくれたし、悪かったときは気を使ってくれていたのも感じてた。ほんまにありがとう。玉越に負けたくない気持ちでやってた。楽しかったこともつらかったことも結構一緒に過ごしてきたから乗り越えられた。あと1年は京都おるみたいやし頼むわ。京都2年でもええで。
 
後輩投手
渚 渚に越されるのはめっちゃ悔しかったけど、いつもいい時もあかん時も声かけてくれてありがとう。うれしかった。ずっとプレッシャーのかかる中で投げてくれてありがとう。最後、地球工リレー必ずしよう。
#11谷村 持ってるものはめっちゃ良いし、現実的になるんじゃなくてもっともっと上目指して頑張ってほしい。渚追い越してよ。
太郎 太郎がおってくれて負けてられへんなという気持ちで頑張れた。ありがとう。応援される選手はほんまに強いと思うから、このまま焦りすぎずに。
#31朽網 朽網が野球部を変えてくれようとしている姿勢はみんなわかってる。言葉も行動もどっちも大事。来年は同期たちをしっかりつないでくれ。
#13窪 ええ後輩や。いじりすぎたかな。窪はいい感じで来れているし大丈夫やろ。もっとギラギラしてほしいくらいかな。#69南光追い越せ。
#29堀川 リーグ戦で投げられそうなところでの病気、しんどいと思うけど精神的な方も成長できるチャンスやと思う。さらに強くなって帰ってきてな。
#30高山 怪我とか大変なこともあると思う。そういうことも含めて野球やから粘り強く頑張ってな。常に目標は高くね。
#35木村 怪我はほんまにしんどいよな。でもここが勝負所やで。とにかくいいイメージで。あかんくても落ち込んでる暇はないで。
#38蓮香 ひとつ掴めばすぐ良くなると思う。その分、波もあると思うけど一喜一憂せず頑張って。二回生投手を頼んだで。
南光 必死やん。あんまりいうことないし常に考えて練習しているからそのまま頑張れ。渚に勝てよ。
#43益田 ナメた感じがギラギラしてて良いな。ちゃんと考えて練習しているし、高い目標もってやってな。
#49吉満 150キロ出してな。今は焦りすぎず、怪我しないような体で頼むで。
#61高橋 デビュー戦はさすがに痺れた。リーグ戦も頼むで。でも、引退するまでは負けへんで。
#70髙田 焦らずゆっくりとね。良い体しているしもっと成長して投げる姿見してな。
 
お世話になったキャッチャーも。
#12加藤 めちゃくちゃな球もいつも受けてくれてありがとう。焦っているときはいつもタイムをとってくれて落ち着かせてくれてありがとう。
#27山下 一緒に部室でしゃべるの楽しかったで。何回も盗塁刺してくれてありがとう。こうなると
#6田澤   どんな時も努力し続ける姿勢に刺激を受けたし、前向けた。ありがとう。
 
#7近藤 立ち止まっている暇はないで。平木も言ってたけどほんまに弱音は聞きたくない。ほんまに1年一瞬やで。時間もないし、プレッシャーも相当やと思うけど全部はねのけて、京大野球部を頼むで。
 
 
次は#Mgr真依ちゃんです。彼女はリーグ戦で初登板したときから阿南合宿でダメだったとき、どんなときも応援してくれていました。真依ちゃん含めマネージャーの3人は選手同士では恥ずかしくて言えないことも言葉にして応援してくれました。本当にありがとう。また、ずっと注目選手に僕をあげてくれていたこともうれしかった。開幕節のとき負けて悔し涙を流していた真依ちゃんを見たりして、勝ちたい気持ちを前面に出している姿をうれしく思うと同時に、ほんまに勝たなあかんなと思いました。そんなアツい真依ちゃんのキセキにご注目ください!
 
 
 
 
野球ありがとう
#15北山くんから紹介を受けました、連盟委員4回生の#Staff嘉田です。北山くんは自分と入部の時期が一番近く、勝手にシンパシーを感じていました。偵察などでチームに貢献している彼には頭が下がります。
 
最後のキセキに何を書こうかというのはちょいちょい悩んでいたことなのですが、大学卒業後の自分の進路も決まった今、高校から今までの自分自身について書き記しておこうと思います。自分語りはあまり好きではありませんが、表向きに普段喋っていることは思考したことの10分の1くらいなので、自分が「ここ」にいたということの記録も兼ねて、できる限り思い起こして残しておきます。
分量はだいぶ減らしたつもりですが、それでも1万字近くになってしまったので、時間を無駄にしたい方だけどうぞ。連盟のネガキャンなら誰にも負けません。
 
自分が連盟委員になるきっかけは高校時代にまで遡ります。高校は家から自転車で15分くらいの膳所高校に通っていました。高校の決め手は、小中からの友達が多くいたからという消極的な理由です。体調不良とかで休むと謎の敗北感を感じてしまうので、中学・高校は結局1日も欠席しませんでした。面倒な授業などは山ほどありましたが、友達と喋る場所としての学校が楽しかったのもあります。後に自分を連盟委員に誘ってくれる、OBの宮島とは一年の頃に同じクラスでした。
生まれてこの方、塾や予備校には通ったことがなく、自分の勉強の中心は学校の教材と課題でした。そもそも勉強自体好きでも楽しくもなく、将来への責任感と、試験や課題の締め切りがあるからやっていたというだけでした。そんな自分にとって、コロナによる緊急事態宣言は致命的でした。これを読んでくれている大体の人よりはお兄ちゃんなので、高2の3月から高3の5月いっぱいまで休校でした。この間、特に締め切りに追われることもなかったので、漫画アニメゲームドラマ映画に没頭し、勉強は徹底的にサボりました。
休校が明けて以降、表向きの試験の順位自体は以前とあまり変わりませんでしたが、学力やそのモチベが明らかに落ちているのは内心感じていました。もともと大学自体に魅力を感じておらず、体裁を保つために勉強をしているふりをしながら、心の中では高卒での就職も考えていました。第一候補は長距離ドライバーでした。ネトフリ見ながら運転してお金をもらう生活は、内向的な自分には魅力的でした。
 
そんな考えのやつが受かるほど、大学受験は甘くありませんでした。合格に足りなかった点数的にはあとちょっとだったのと、時間割に縛られるのが嫌だったので、予備校には行きませんでした。1年も勉強したくなかったので、プロ野球のシーズンが終わる秋くらいまではシャーペンを握らず遊び、11月の秋模試の前くらいからリハビリがてら勉強していました。一般的に宅浪は病むらしいですが、自分は悠々自適に過ごしていました。自分的にはネトフリトラックまでの繋ぎくらいの感覚でした。
そんな考えのやつが受かるほど、大学受験は甘くありませんでした(2)。何回か受けてればそのうち受かるだろと思っていましたが、不合格発表の日に母親が仕事を早退してきて、泣いていました。母親を泣かせたのは人生で2回目でした。自分が気楽に過ごしている裏で、家族や友達には心配をかけているのは分かっていたので、ここで初めて後悔しました。
就活がマジで嫌、という理由だけでもともとは医学部を受けていたのですが、就活する覚悟を決めて、志望を工学部に落としました。工学部の合格点には結構余裕があったので、現状維持を目標に、2浪目も勉強は秋から始めました。相変わらず舐めていますが、ネトフリトラックの夢を諦めて勉強した自分に隙はありませんでした。
無事に第一志望の情報学科に合格しましたが、形式的なおめでとうを片付けた翌日に、家族で東京ドームにWBCチェコ戦を見に行きました。落ちてたらどうすんだという話ですが、そんなことは考えない一家です。



 
合格発表の3日後くらいに、宮島から最初の連盟委員への勧誘が来ました。大学ではノンバイ・ノンサーで院まで行って、推薦とかで楽に就職しようと思っていたのですが、この時に思ってもいないのに「スタッフに興味はある」と言ってしまったのが、人生での大きな転機だったようです。人生の1周目じゃ分かるわけありませんでした。
大学に入ってからは、とりあえずGPAを取っておかないと院進含めた今後の選択肢がなくなるのが分かっていたので、1年の春は社会復帰も兼ねて学業に注力しました。90人ほどしかいない情報学科で、この学期は多分次席でしたがここがピークです。3月から毎月、宮島からの連盟への勧誘は来ていました。断れない性格と、入るのに比べれば大学の単位余裕だなという思いから、8月に連盟委員として入部することを決めました。天国と地獄の始まりです。天国は今も捜索中ですが…
 
1年の秋リーグは周りについていくのに必死でした。昔から野球部の友達はいましたが、実際に野球部、それも怖そうな大学の体育会に自分が入るということで、ただただ怒られたくないという思いしかありませんでした。それまで書いたことのないスコアも、秋リーグ前の夏の甲子園とプロ野球を見て練習してから見学に行きました。
見学に行った秋リーグの初日に、球場の備品が壊れてしまったみたいで4年生がキレていたり、自分1対先輩2の圧迫気味の面接があったり、早朝から晩までの活動だったり、なかなかやばいところに入ろうとしているなと思ったのをよく覚えています。面接でやりたい部署を聞かれた時に、即答で「広報以外でお願いします」と言ったのに、実は最初の部署は広報担当でした。



加入後は、「やります。やり方わかりません。教えてください。」を毎日ひたすら唱えていました。「分からない」と言って怒られないのは最初くらいだ、と当時は思っていたのでがむしゃらに色々手を出していました。どうやら頑張りすぎたようだと気づいたのは1ヶ月が経つ頃でしたが、今更手を抜いたらそれも怒られそうで怖かったです。
リーグ戦後半には、それまでの頑張りが評価され、部署関係なく幅広く頑張って欲しいという先輩方の意向で、審判担当に異動になりました。これを決めてくださったのは、2学年上の近大OBの山下さんと1学年上の同大OGの篠井さんでした。お二人は最後まで連盟委員としての自分の模範でした。今の自分があるのはこの異動・お二人ありきだなと強く感じていて、本当に感謝しています。
 
あまり考えずにただ目の前のことをこなしているうちに、怒ったり褒めたりしてくださった4年生が引退し、年が明けて2月、春リーグの準備が始まります。自分が初めて参加した連盟の会議は、#Staff美啓ちゃんのキセキでも触れられていたこの2月の常任理事会でした。この会議は、自分にとっても3つの意味で大きな転機でした。
会計の先輩が欠席している中で、まだ1回生の美啓ちゃんが、座っているだけの理事に質問攻めにされているのを、自分はただ見ていることしかできませんでした。部署も違うし、自分は入ったばかりだからしょうがないと思う一方で、何も分かっておらず、何の助けにもなれない自分の無力さが情けなく感じられました。何もできない自分が嫌でした。膨大な連盟業務の全てを、1人で把握できるとは思いませんでしたが、それでもなんでもできる自分を目指したいと思いました。せめて自分が連盟にいる間くらいは、学生の矢面に立てる存在・「こいつさえいればとりあえず大丈夫だろう」と周りに思われる存在でありたい。そう思い始めたのがこの会議でした。
この会議は会計面以外でも色々とっ散らかった2時間の会議だったのですが、この会議の議事録を書いた、書いてしまったというのが2つ目の転機です。議事録なんて書いたことはなかったですが、分からなかった部分を理解するためにも何度も録音を聴き、阿南合宿に行くバスの中で何時間もかけて議事録を書きました。これが当時の副理事長2人によくまとまっていると褒められたのが運の尽きでした。以後、雑に法人化した尻拭いをしながら法人運営を任されることになりますが、法学や登記の知識を0から身につけながら進めていくのにはかなりの時間を費やしました。
3つ目はシンプルに、理事とは馬が合わないなということでした。少なくとも1年生よりは長い間連盟にいるであろう理事が、会議でも法人運営でも学生になんの助け舟も出さない姿に腹が立ちました。心の中の干からびたゆいPが、「これがお前らのやり方か」と糾弾していました。いつかなんらかの形で、一矢報いたいと思いました。先輩に迷惑はかけたくなかったので、自分たちの代になるまでは、どんな理不尽も笑って流して耐え忍んで、知識・力を蓄えることを決めました。
自分が出た会議の録音は基本的に全て残しているのですが、最初のこの会議だけは残す気になれなかったので消してしまいました。
 
春になって進級し、2年生になりました。良い意味で一番楽だった1年でした。
4月に春リーグが開幕して、1節わかさに7人も見学が来ました。その全員が連盟に入り、先輩と同じくらいの人数の後輩ができました。1つの代では過去最多です。見学で見た第一印象は、デカかったり、髪が茶色かったり、初対面同士で仲良さそうだったり、(当たり前ですが)選手上がりだったりで結構ビビってました。全員で結託してクーデターを起こされたら真っ先に逃げようと心に決めました。そうは言っても、クーデターを起こされないようにするのがお兄さんの嗜みなので、2節以降はできるだけ全員に声をかけて媚を売っておくようにしました。話してみると、(この時はまだ)みんな素直で良い子だなって感じでした。チョロい先輩です。
審判担当の業務を引き継がれながら、特に担当が決まっていない仕事も積極的に引き受け、チャレンジリーグ、5リーグ、高校野球などの業務も幅広くこなし、怒られることもほぼなく成長できた1年だったと思います。後輩に教えるのも、出来る部分からしていました。自分が何に取り組むにしても、誰かしら頼れる人がいて、責任もあまり感じずに過ごせたというのが非常に大きかったです。連盟の空気も前の年よりはるかに軽くて過ごしやすいものでした。
この年の京大も、春秋で勝ち点を3つ取るなど歴代で見ても上位の成績で、応援している側としても楽しみでした。宮島の登板機会もあり、ヒヤヒヤしながら見ていましたが、抑えた時は本当に嬉しかったです。



 
また次の春が来て、3年生になりました。浪人中を含めても、人生で一番しんどい1年間でした。
この1年で連盟委員に5人の後輩ができました。この年は特にビビりませんでした。というより、自分に下を見る余裕がなかったという方が正しいです。2年間フル単なのに、授業が毎週15コマ+課外で十数時間やらないと終わらない分量の課題があり、夏からは就活も兼ねた長期インターンを始めました。どうしても時間は足りなかったので、プライベートの時間から削られていきました。
連盟の業務は、審判の部分はOBの花谷くんもいてくれて、前の年と同じ感じで良かったのですが、それ以外の部分がかなり負担でした。1学年上の先輩はいましたが、理事の仕事が雑になった分、先輩方も大変そうで、なかなか頼ることができませんでした。春リーグは美啓ちゃんが留学でいなかった分まで、来年に備えて気負っていました。帰ってきてくれてからは本当に気が楽になりました。
自分が1年の時、連盟加入の面接で、「平日は授業に行かせてください」と言ったのをよく覚えていますが、3年になって以降は平日のリーグ戦も、(はぶられた以外の)会議も、授業を飛んでまで全て出ました。いつの間にか授業よりも何よりも、連盟業務を最優先にしている自分がいました。自分がいなくてもどうとでもなっていたと思いますが、自分がいないせいで何かあったらと思うと休めなかったです。「なんでもできるように」という願いは呪いでしかありませんでした。
8月のプレス発表の頃に、連盟委員が使用していたYahoo!メールが使用できなくなりました。そもそも複数人で使う仕様ではなく、それまでにも似たような状態はあったのですが、以前使えた復旧方法がこの時には使えなくなっていました。15年来使用していたアドレスなので移行も簡単じゃなく、ベストではないにしてもベターな選択はしてきたつもりだったのですが、防げたとしたら自分だけだったと後悔し、多くの人に迷惑をかけたことを、かなり引きずりました。中学の部活引退の時以来、8年ぶりに号泣しました。周りから見れば「その程度で」と思われるかもですが、自分の選択に起因して、身内以外の複数人に迷惑をかけたのがただただ悔しかったです。結果としては約1ヶ月後に復旧できましたが、連盟に残ったままの古い部分を整理して記録に残すというのは、以後の活動の主眼の1つになりました。
秋リーグと並行して就活も進めていました。院に行く選択肢もありましたが、自分の条件に合う数社だけ選考を受けて、ダメだったら4年の7月に院試の勉強をして、連盟業務にできるだけ時間を割ける道を選びました。結果として割とすぐに就活を終え、その後の研究室選びも一番自由に時間を取れるところにしました。まさかそんな選択をするとは入学時の自分は思ってもみなかったでしょう。
 
しんどかった秋リーグが終わって自分たちの代になりました。
残り1年でやりたいと思ったことは山ほどありましたが、一番は連盟委員の業務とその環境の整備でした。コロナ禍以降、ろくに引き継ぎもされずに、雑に繰り返しているだけの業務や無駄な部分というのは数多くあります。1人の連盟委員ができるのは最大でも4年分の仕事で、真に自由に動けるのは最後の1年くらいです。何かをなすには短すぎますし、先例を学んでいるだけで時間切れになります。だからこそ、連盟の事情や全体像を早いうちから把握できる仕組みを残したり、定型業務の負担を減らしたりできれば、今後の連盟委員は新しいことや他のことにも取り組みやすいかなと思っています。地味な仕事ですが、新しい企画などに前を向いて取り組んでいきたいという学生は今後もいると思うので、自分は後ろを向いて、そういった人たちを支えられればと思いました。
また、自分のしてきた活動の引き継ぎも、自分に与えられた役割でした。どの学生、どの理事よりも、連盟業務とその理解に時間を費やした自負はありますが、必要な部分をきちんと引き継げなければただの自己満足にすぎません(まぁ未遂で終わっても3年前に戻るくらいかという諦観もしてはいますが)。「膨大な定型業務がありながらも必ず4年で全員入れ替わる」という組織なので、自分の引き継ぎだけでなく毎年の引き継ぎを、簡単だけども精度良くできるような仕組みも残したいなと思っています。自分の名前なんかは残ってほしくないですが、自分のしたことが改良されながら、10年後の連盟委員の役に立つ形で残ってくれれば、自分の最後の1年に意味があったと思えるんじゃないかと思っています。それに意味があるのかは、今はまだわかりませんが、来年以降への祈りみたいなものです。
そんなことを考えながらでしたが、冬はあまりモチベを保てませんでした。理由は色々ありますが、ただ目の前のことをこなすので精一杯でした。気温が上がるとマシになりましたが、仕事も増えてきました。
 
最後の4月を迎えて4年生になりました。どんな1年だったのかはまだわかりません。
3人の1年生が連盟に入ってくれました。美啓ちゃんが「純粋で素直で心が洗われる」と言っていたのが印象的でした。まるで純粋で素直じゃない人がいるかのような。後輩たちに直接ビビることは今年もなかったですが、わかさでたまたま見かけた選手登録名簿に、早生まれの選手が「2008年」生まれと書いてあって三度見しました。ビビりました片手じゃ足りません。とっとと引退することを決めました。
春リーグ、5リーグ、大阪大会、甲子園と忙殺されているうちに、気づいたら9月でした。4年間で一番雑ですが一番早かったです。やりたいと思ったことの半分くらいしかできていませんが、果たして引退までにどれだけできるのでしょうか。
理事と揉めまくって逆に避けられたり、口の悪さが中学の頃くらいに戻ったりと、色々ある日々を過ごしていますが、最近はちゃんと楽しいです。周りに気を遣わせたり、負担を増やしたりしているのは承知の上ですが、それでも一番楽しい1年だと言えそうです。問題が起こっても後輩だけで解決できている姿を見ると、嬉しくも寂しくもあります。お別れの時は近いです。




京大野球部としても、今のチームで勝利を掴んでほしいなと日々応援しています。
 
たくさん書き連ねてきましたが、総じて楽しかったと言える大学生活でした。大学野球の勝ち点の仕組みも知らなかった自分が、将来にまで影響するくらい一番力を注ぐことになるとは、入学した時は思ってもみませんでした。自由度の高い大学生活を、野球に捧げている選手たちがいて、それを支えている人たちがいること。大学に入らずネトフリを見ているだけの自分では知る由もなかったと思います。その大学野球に自分も携われて良かったと、心から思っています。
京大野球部、連盟委員でいられたからこそ、自分は大学生でいられました。高校生の自分に「大学も悪いものじゃないぞ」と、今なら胸を張って伝えられます。そう思うきっかけとなった、関わったすべての人に感謝しています。
 
お世話になった人へ
多すぎるので一部だけです。
両親へ
こういうのはあまり読まないだろうけど、いつの日か目にするかもなので一応記しておきます。
3姉弟の中で一番迷惑をかけた自信がありますが、かろうじて真っ当に生きられているのはあなたたちのおかげです。3人の中で一番どうしようもなかったクソガキは、立派な23歳児になりました。あなたたちの息子でいられることを誇りに思います。うちに関する今後の面倒ごとと財産は全て自分が貰い受けるので、ゆっくりと余生を過ごしてください。
 
OB宮島へ
連盟委員に誘ってくれたこと、本当に感謝しています。色々と文句を書き連ねましたが、今は楽しかったと心から思えています。自分の人生にとっても、良い意味で転機となる誘いでした。自分にできることがあればなんでも言ってください。それはそうと、球場に来にくい理由があるみたいですが、1回くらい見に来てください笑
 
OB筧くんへ
自分が入部を決めてから8月に歓迎会をしてくれて、そこからの1年半はスタッフ側に筧くんがいてくれるだけで本当に頼もしかったです。自宅のリビングでずっと使っている充電器が御社の製品だと最近気がつきました。またご飯奢ってください。
 
OB花谷くんへ
自分が審判業務を取り仕切るのは今年で3年目くらいだと思っていますが、それでも花谷くんがいてくれた時は相談もできて過ごしやすかったなと思っています。就職したら自分の方が年上なので奢ります。
 
#Staff芳野へ
入部した時から何かと一緒に作業することが多くて、自分以上に深く考えてて、それを横文字でアウトプットするやつだなと思ってました。言語化能力は流石の一言です。色々と話し相手になってくれてありがとう。
 
#Staff大西へ
いつも明るく声をかけてくれていたのが内心結構嬉しかったです。大西の笑顔と口の悪さにはちょっと癒されていました。また焼肉行きましょう。
 
#Staff環ちゃんへ
毎回たくさん話しかけてくれるので、話しやすかったです。周りに左右されずに明るさを貫いていたのはすごいなと思っていました。残り3節、勝ち放送できることを願っています!
 
美啓ちゃんへ
この4年間で一番助けてもらって、一番相談に乗ってもらったのが美啓ちゃんでした。美啓ちゃんが担当してくれていた部分は、手放しで信頼していて、なんの心配もしていなかった反面、もっと手伝ってあげられれば負担を減らせたかなぁと思った部分もあります。色々と悩んでいたことに対しても、もっとどうにかできればと後悔しています。それでも、同じ代に美啓ちゃんがいてくれたから自分も頑張ろうと思えました。無理やり自分の仕事を引き受けてくれた時も嬉しかったです。本当にありがとう。気を遣わせてばっかで申し訳ないけども、今はちゃんと楽しめてます!口悪くてごめんなさい!
 
#Staff阪野へ
問題児その1です。と言いつつも、自分が全体で手伝いを呼びかけた時とかは、真っ先に連絡をくれていたのが阪野でした。色々とありがとう。最近は余計なことを言うようにしているので、あえて伝えますが、人の心は理科のような再現性には乏しいです。毎回同じようには行きません。締め切りを過ぎる人がいたり、ちゃんと伝えても忘れられたり、分かってもらえないことがあったり、それでも「良いよ」ってサラッと言いながら、カバーしていくのが人付き合いです。会計面だけでなく、新しいことを始めるにしても、来年はリードしていく立場になると思います。周りを許せるゆとりを持って、「自分の送る言葉には必ず受け取り手がいるんだ」ってことを意識してほしいなと個人的には思っています。応援しています。
 
#Staff小山へ
問題児その2です。と言うと、傷つきながら怒るのは分かっていますが、期待もしているのでストレートに言います。持論ですが、n+kが1以上の人は、一度挫折を経験して乗り越えている分、強気になりがちな気がしています(n=2が言うなというのはごもっともだが)。この古びた組織で自分の主張を通そうと思うと、1人だけでは限界があります。学生でも理事でも、根回ししたり、賛同してもらったりして初めてうまくいく部分もあります。正論棒で殴るだけじゃダメなのは、今年の自分の姿からでも分かってもらえたと思います。目的のための手段として、(最終的に自分は捨てましたが)謙虚さが生きてくる場面もあります。日頃の行いというやつです。立派な大きな目標のために、やらないといけないこと・やりたくないことも着実にこなしながら頑張ってください。遠回りでもやるべきことから一歩ずつです。期待しています。
 
連盟の同期へ
遅れて入ってきた自分を温かく迎えて、たくさん教えてくれて本当にお世話になりました。自分たちが見てきた連盟の代の中で、一番バランスよく、分業しながら頑張れたんじゃないかと思っています。自分が急に無茶振りで振り回すことがあっても、受け入れてくれて本当にありがとう!みんな優しくて、とても楽しい連盟になっていたと思います。あとちょっと頑張ろう!
 
連盟の後輩へ
割と読んでくれているみたいなので最後に書いておきます。個別に伝えたいことは山ほどあるので別の機会にして、全体的な話をします。
まずはこの1年間だいぶ好き放題してごめんなさいと、そんな自分を受け入れてくれてありがとう。チャレのスコアの添削とか、急に送りつける長文とかは、自分がいなくなった後のためにも読んで欲しいという期待と、読んでくれないだろうなという諦めをセットで送っていたので、読んでくれていることが何かの拍子にわかった時は本当に嬉しかったです。
正直、この1年で連盟の辞め方までちゃんと考えたのは、(2008年生まれにビビったのを除いて)3回ありました。良いのか悪いのか今は分かりませんが、どれも未遂で終われました。3回とも辞めたくなった理由は違いますが、辞めるのやめた理由は同じでした。
自分がいなくなっても、必ず連盟は回っていきます。それまで重しになっていた自分が消えて、その分まで新しく誰かが頑張ってくれるはずです。だからこそ自分が連盟を辞めない意義は、その「誰か」の負担を減らすことでした。自分が残って、自分のこれまでをちゃんと引き継げれば、自分の時の負担よりはマシなものを引き継げると思っています。ちゃんと良いものを引き継ぎたい、そう思わせてくれたのは後輩のみんながいてくれたからです。なかなかにみんな個性的ですが、どの代も誰も欠けることなく無事に終わって欲しいなと、(辞めたがってた奴のセリフじゃないですが)わがままながら思っています。
とても楽しかったです。本当にありがとう!!

次は#14菅野くんです。怪我に悩まされながらも、投手主任としてチームを引っ張る彼のキセキにご注目ください!