【夏の風物詩】
印象に残っているのはどこでみた花火?
数年前に言った大阪の淀川花火大会ですね♪
人が多すぎて見に行かず、近くの飲み屋で飲んでました
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暑い日が続いてますが、体調は崩されていませんか??
雲ひとつない晴天が続いていたかと思いきや、今日はいきなりの雨です
水不足解消、涼しくなってありがたいなと思ってみたり
【もう、花火の季節が近いですね】
梅雨に入ったであろうとはまだ言われてませんが、暑い日が続いてますね
大分県では令和初の猛暑日(気温35.0度以上)を26日に観測し、全国的にも真夏日(30,0度以上)になっています
参考:朝日新聞デジタルより
花火といえば夏!夏といえば花火!
今年の花火大会はどこに行かれますか?
ちなみに、行かれますか?
【花火の歴史】
「たーまやー!」
ってよく聞きますね
どういう意味かご存知ですか?
そう、昔「玉屋(たまや)」さんて花火師さんがいてたのです
実はこの「玉屋」さんも暖簾分けのようで、おおもとは「鍵屋(かぎや)」さんという花火師さんの元からだそうです
東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋として1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出したことが始まりです。
1733年、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍徳川吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて20発前後の花火が披露され、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。
6代目鍵屋であった清吉さんが1810年に暖簾分けをして『市兵衛』と改名し、店を構えました。
このことがきっかけで江戸では2大花火師の時代を迎え、両国大川(隅田川)を挟んで上流を「玉屋」下流を「鍵屋」が受け持つようになりました
このとき!
掛け声の「たーまやー」が生まれました。
実は同時に「かーぎやー」も生まれています。
今ではなかなか知られていないのはなぜでしょう??
・花火の技術が勝っていたこと。
・語呂が良いので掛け声を掛けやすかったこと。
・江戸っ子気質がそうさせたこと。
と言われています
こんな狂歌があります。
「橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と いわぬ情なし』」
これは、実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示したもの。
「情」に「錠」をかけており、
「鍵屋の声がねぇのもしかたあるめぇ。錠がねぇんで口が開かねぇ」
という詠み手の洒落を含んでいます。
そう、「たーまやー」で一世を風靡した玉屋さんは、当時の重罪を犯してしまい、一代で家名断絶となってしまったのです
【今は、「かーぎやー!」】
「鍵屋(かぎや)」はその後もさまざまな花火を開発して日本の花火界をリードし、現在は女性当主が鍵屋15代目として活躍中です。
なので、打ち上げ花火が当たっている時にする掛け声は、ぜひ「かーぎやー」と言ってください
参考:
【終わりに】
花火の季節が近づいてきています
今年はどこに行けるのだろうと思いながら毎年行けていないのが現実です
良いタイミングで仕事があってちょうど行けないのです
今年は行けたらいいな