こんにちは!カカです。
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の続きです。
#わが子のイヤイヤ期 次女ふーの場合
1対1で過ごしていたのと、一人目という事もあり、多少イヤイヤされてそれなりにグッタリさせられた長女ネンのイヤイヤ期。
その後幼稚園、小学校と上がり、今度はイヤイヤ期ならぬ反抗期を迎えなかなかに手ごわかったネンと3歳離れで爆誕したのが次女ふー。
ネンほど人見知りもせず、基本的にほわ~んとした性格だった彼女のイヤイヤ期は…
…。
アレ…?
ありましたっけ??
いや、あったはず。
あった筈なんですが、正直あんまり覚えていないです。
なんでこんなに覚えていないんだろう。
と考えたら、それはたぶんイヤイヤ期を中国で過ごしたからではないだろうか。
夫の仕事の都合上、ふーは1歳半からの幼稚園に上がるまでの時期を中国の地方都市で過ごしました。
現地での生活が(私も家族もみんな)イロイロと大変すぎて、なんかもうイヤイヤなんて別に…って感じだったのではないだろうかと推測。
移住して1カ月過ぎたあたりから、いわゆるお手伝いさん(現地では「アイさん」と呼ばれる家政婦的な事を職業にしている人)に週3日の午前中に来てもらっていたのも大きいかもしれません。
我が家のアイさん(50代女性)には洗濯・掃除が終わった後お昼ご飯までの間、ふーの子守もお願いしていました。なので、日本では私一人で育児していたネンと比べて、私の方に(子育てに関して)心の余裕があったのかもしれません。
さらに、ふーが2歳半になってからは現地のインターナショナルスクール(とはいっても、英語ではなく中国語がメイン言語の外国人向けスクール)併設の幼稚園に、同じ日本人村に住んでいるお友達(仮称Aちゃん)と二人で行っていました。
幼稚園の先生は全員中国人(日本語わからない)。
まわりの子供はほとんどが中国人、数人がそれ以外(ロシア人とか)。
そんな環境に、ろくに中国語も喋れない状況で放り込まれた彼女
(しかし、簡単な言葉は中国語を聞いて理解できていた模様)。
なかなかにサバイバルな幼少期を過ごしていらっしゃる。
もはやママ相手にイヤイヤしている場合ではなかったのかもしれない。
Aちゃんがいたから、送迎バスにも嫌がらずに乗ってくれていました。
もちろん、全くイヤイヤが無かったわけではなくて。
特に洋服に関しては、私の着せたい服は全く着てくれませんでした。
なので服に関しては私もさっさと諦めて、毎朝全てのコーディネイトをふー本人に決めさせていました。
どんなに色柄が合わなくても、ふーが着たいといったものはそのまま着せていました。
Aちゃんママには、しょっちゅう、ふーの服と靴下の組み合わせを突っ込まれていました。
「私なら、そのコーデはさすがにやめさせるよ…。コーデとはなんたるかを教えてあげるべきでは? ふーちゃんの将来の服のセンスが心配…。」
と何度言われた事か。
(Aちゃんママはサバサバ系のとても良い人です。嫌味ではなく、本気で心配してくれて言ってました)
朝、ふーと戦うのが面倒だし言っても無駄だと思っていたので
「いいのよ。本人が着たいっていうから、もう諦めているの」
と、スルーしていました。
ふーの年だと幼すぎてお友達同士でお洋服がどうのという話になる事は無かった。
どちらかというと、現地の中国人キッズのほうがよっぽど派手派手でぶっとんだ色の服を着ていらっしゃった。
また、私自身も他のママさんの目に「あのママ(私)、センス悪いな~」と思われていたらどうしよう、などという気持ちにも全然ならない。(←それもどうなのか)
でも、大丈夫。
はっきり言おう。
イヤイヤ期におかしな(←)組み合わせの服を着ていても、大きくなった今、ちゃんと可愛い普通のコーデを自分でできるようになっているので、全く問題ありませんよ!
むしろ、自分でコーデ考える練習を幼少期よりしてきているから、自分で服を選べるようになったんじゃないのか、くらいに思っています。(超絶前向き)
親の思い通りにコトを運ぼうとすると、子供は却ってイヤイヤ言うのであろう。
そして、思い通りにしようと苦労するのは時間の無駄だし気力の無駄。
それに気付いた、30代半ば in チャイナ。
