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怒涛の6年

旦那のアルコール依存症→精神科外来→離脱せん妄→借金地獄→断酒→スリップ→精神科入院→現在



3年前。
旦那は初めて精神科病院に入院した。

まる二ヶ月に及ぶ離脱せん妄を乗り越え、入院期間は4ヶ月近くにも上った。

7月後半から入院、11月に退院し退院後も軽いせん妄が完治するまで4ヶ月程の時間を要した。

そしてせん妄が治まったとほぼ同時にいとも容易くスリップした。
そしてまた元通りの生活に戻ってしまったのだ。

その時私は
入院なてさせるもんじゃない。
金をドブに捨てるようなもんだ。

もうこれからは好き勝手に飲んで、そんでもって勝手に体壊して死んでしまえばいい。

そのくらいには思っていたお茶

しかし家には母が居る。
母には奴が酒を隠れて飲んでいることを何としてでも隠し通さねば、何を言われるか分かったもんじゃない。

しかしいくら隠すと言っても同じ屋根の下で生活している限りそれは無理だ。

飲んで部屋でよろけて襖に穴を開けまくる。
トイレの中で爆睡して大騒ぎにもなった。

奴がトイレに入った後は、すかさず私はトイレチェックに走った。
スリッパが乱れてないかとか、床を汚してないかとか。

奴の風呂の後もそう、垢擦りタオルがキチンとタオル掛けに掛けてあるか、一々細かい事をチェックしていたのだ。

母の視界に奴を入れないようにととにかく私は毎日必死だった。

極めつけがこの夏の奴のやらかし。

外で飲んで立ち上がれなくなり、知らない人に助けられ、その後も懲りずに外で飲んで通りがかりの人に救急車を呼ばれ、母に目撃までされて……。

私はそれでもう無理だと、限界を突破し遂に気が狂った。

離婚届けをダウンロードし、奴に

離婚するか酒を取るか決めろ!!

と迫った。

そうこうしてるうちに奴は低カリウムで体調不良に陥り、仕事が出来ず退職してしまい。

で、そこで思いついたのが救済施設だったのである。私は決心した。

入院→解毒→そこから家には帰さずに

更生施設に入ってもらおうと!!

奴は仕事をしたがっていた。

社会復帰する為には今のプロセスしか道がないのでは!?

奴にそう言って話して聞かせた。

『一緒に面談行ってみる?』

『うん、良いよ、行くよ』

と言う訳で、すぐに施設に電話して面談のアポイントを取ったのだ。

面談は9月10日。

この面談によって、今後どうなって行くのか、私達の未来がどうなって行くのかと言っても過言では無かったのだ。