左下の大きな斜線。
これ、読点「、」です。
読点がなかったところを☆印で伝えると、
上は普通に書きました。
そして下はなんかぐちゃぐちゃって書いてる。
Z……
私の目線に気づいたのか、
Zを消し(消えてないけど)
「もっと大胆に書くね」
と書いたのがこちら。
……
うん
うん
ま、いっか
花まる
わかってないわけではないもんね。
言われたことをきちんとできるだけでは、
大人になってから逆に苦労する。
「大胆に書く」と「自分で決めて」書いたのだから、
これでよしとします。
それを許してくれる習い事でもあるし。
こんな我が子は、授業参観に行くと、
ほぼほぼ図鑑を読んでいました。
最近話してくれたのは、
「そういえばボク、2年生の3学期から(授業中に)本を読み始めたんだよ」
ということ。
そうなんだ……
ちょうど私も、
授業中に本読んでちゃだめなのかな。
大人になって、『あの頃授業中ずっと本を読んでいた』って、
それはそれである話なんじゃ
と、思い始めています。
私は面白いことをしようとするとき、
“枠”からはみ出ようと考える。
どうやったら飛び出せるかな、と。
でもね、我が子はそもそも“枠”がなさそう。
それが彼の持ち味、魅力なのです。
今月末に面談があるので、
担任の先生ともまた話してみようかなぁ。
ちゃんとした先生なんだよなぁ。
フリースクールを勧められるのかしら。
支援級の先生がそんなようなことを言ってたんです。
それはマイナスの意味ではなく、
支援級のような少人数だとできるし、むしろ積極的なのに、
「もったいない」っていうこと。
支援級の先生が普段の授業を見学した時、
「Kくん、もっとできるのにもったいない」
って思ったみたいです。
私も同じことを思ったことがある。
そのうえで、授業中に図鑑に熱中できるのも、
本人が教室にいるのが苦しくてそうしているのでなければ、
(少なくとも今は主体的に図鑑や本を読んでいる様子)
このままでもいいんじゃないかしら
今チェックしているフリースクールがあるのですが、
中学からあったらいいのに、って言ってるので、
本人的には今じゃないってことなんだろうなぁと。
そのうえで、クラスの中での様子など、
気になったこともあるにはあったので、
2学期、3学期とよ~く見極めて、
家族で相談しながら進路を決めます。
いずれにしても、
答えは一つじゃないし、
枠がないならなくていい