秦 卓弥 2024/04/29 東洋経済オンライン
5年前の反省はなぜ生かされなかったのか――。
「 国内外のお客様からの信頼を裏切る行為であり、ものづくりを担う企業として根幹が問われる、
由々しき事態であると重く受け止めております 」
4月24日、重工大手IHI(旧石川島播磨重工業)の盛田英夫副社長は 苦渋の表情を浮かべながら
そう陳謝した。 100%子会社のIHI原動機が生産する 船舶・陸上向けエンジンの燃料消費率の
データが長年にわたり改ざんされていたことが判明したためだ。
確認可能な 2003年以降のデータによると、とくに 数値の修正が多かった船舶用エンジンでは
出荷台数 4881台のうち、9割近くに相当する 4215台の試運転記録の数値が書き換えられていた。
同エンジンは 公官庁船や漁船、曳船(タグボート)、内航船などに使われている。
「 1980年代後半から 」といった証言も
数値の改ざんが行われた現場は、IHI原動機の新潟内燃機工場(新潟市)と太田工場(群馬県
太田市)の2カ所。会社側が 現場関係者に行ったヒアリングによれば、燃費データをよく見せる
ことや、データのばらつきを整えるために 修正していたという。
また、「 前任者から引き継いだ 」「 1980年代後半から不適切な行為があった 」といった証言も
得られているという。本格的な調査は これからになるが、40年近くもの長期にわたり、大規模な
燃費データの改ざんが行われていた可能性がある。
同日、両社からの報告を受けた国土交通省は、2003年以前の不適切行為の確認も含めた全容解明
と再発防止策の策定などを求め、翌日には 2つの工場への立ち入り検査を実施した。
IHIが品質不正を起こしたのは これが初めてではない。2004年に 航空機エンジンの整備事業で
不適切行為を行い、国交省から業務改善勧告を受けている。また 2019年にも 同事業で無資格検査を
行い、業務改善命令を受けた。
2019年3月の記者会見で、満岡次郎社長(当時)は、「(不正発見に)いいきっかけはあった
ものの、私どもは残念ながら、機会としては見逃してしまった 」と反省の弁を述べている。
(詳細は「IHI、不正発見の機会をみすみす逃した重い代償」)
IHIでは、5年前の不適切行為を受けて 再発防止策を策定し、全社員に対してコンプライアンス
・リカレント教育を実施、そして 現場と経営陣による対話活動などを行ってきた。
こうした活動の すべてが無意味だった訳ではないようだ。IHI原動機では 2023年4月に村角敬社長
が就任し、少人数グループでの話し合いの場を持つ中で、今年2月下旬に声を上げた従業員が出た。
その申告をきっかけに 社内調査を実施し、長年の不適切行為が発覚した。
だが、40年にわたるデータ改ざん、そして 前回の航空機エンジンの品質問題から5年。経営陣が
不正の実態を把握するまで、あまりに時間がかかったと言わざるをえない。
コンプラ意識をグループに浸透させられず
盛田副社長は、「 今回のような長い間 ずっとやってきたことは なかなか言葉に出せない。
どうやって従業員が安心して言えるようにするか。その仕組み作りが必要 」と話す。
IHI社員に取材をすると、「 過去に買収した企業など、グループ全体への意識改革が行き届いて
いないのが実態 」という声も上がる。
今回不正が発覚した2つの工場は、もともと新潟鐵工所のものだ。東証1部上場の名門企業だったが2001年に倒産、事業を切り分ける形で、2003年にIHI(当時は石川島播磨重工業)へ原動機事業
が承継された。
その後、2019年にIHIグループで原動機を扱う複数の会社を再編し、IHI原動機として再出発
している。「 IHIによる管理体制は強まったものの、会社の母体となった新潟の旧体制とIHIの新体制
では いまだに距離があり、適切なコミュニケーションが取れていなかったのではないか 」(同社員)。
特別調査委員会による詳細な調査は これからだが、会社側は今回の問題の背景として
「 コンプライアンス意識の欠如 」や「 職場風土の問題 」を挙げている。グループ全体に深く根差す
問題だけに、再発防止策の策定は 一筋縄ではいかないだろう。
IHI原動機の売上高は740億円(2023年3月期)、船舶向けエンジンは その5割を占める
主力事業だ。同社は 近年、赤字と黒字を行き来しており、2023年3月期は18億円の営業赤字だった。
会社側は、「 今回書き換えがあった燃費消費率は、エンジンの性能を示すものであり、安全性に
直接影響する数値ではない 」(盛田副社長)とするが、国交省は NOx(窒素酸化物)規制の順守を
確認するまで、IHI原動機への証書交付を停止した。事実上、エンジン出荷が停止する見通しで、
業績への悪影響は避けられないだろう。
顧客対応については、過去に出荷したエンジンの交換はせず、顧客ごとに補償の交渉を進めていく
ものとみられる。今後の補償費用など決算への影響については「精査中」とし、明確なコメントは
避けた。
2024年3月期は 690億円の赤字に
IHIのグループ全体の売上高は約1.3兆円で、IHI原動機が占める割合は5%程度にすぎない。
しかし、IHIグループにとって、今回の品質不正発覚のタイミングは 最悪だ。
IHIは 昨年、国際共同開発の航空エンジンプロジェクトで 約1600億円もの巨額損失を計上、
5月8日に公表する 2024年3月期決算は 690億円の最終赤字に転落する見込みだ(詳細は
今後は 国の防衛予算が膨張する中で、防衛・宇宙分野などでの受注や投資拡大が見込まれる。
IHIは、日本、イギリス、イタリアで進める 次期戦闘機の国際共同開発プロジェクトに、
戦闘機用エンジンの担当企業としても 参画する。
巨額赤字からの再起をかけるタイミングで 品質不正の問題が再燃したことは、顧客の信頼や生産・
開発現場の士気を大きく損なう事態にもつながりかねない。子会社の不正の代償は 決して 小さく
はない。
2023/12/01 東洋経済オンライン
重工大手・IHIの井手博社長は 9月以降、日本各地にある工場を行脚していた。相次ぐ不祥事に、
社内で かつてない動揺と不安が広がったためだ。
9月12日朝、機械式駐車場装置の談合を繰り返した独占禁止法違反の疑いで、公正取引委員会が
IHIの子会社に立ち入り検査を実施した。
同日夕方、さらに 衝撃的な発表が行われる。IHIが 開発に参画する航空エンジン「PW1100G-JM」
について、損失が 大幅に膨らむ可能性が適時開示で示されたのだ。
この時点では「 当社の当年度業績への影響を正確に評価することは難しい 」としたものの、
プロジェクトへの参画比率の高さから、過去最大級の損失が生じることは 市場・業界関係者には
明らかだった。「 航空エンジン事業は IHIの最大の稼ぎ頭。 当時は、会社が傾くかもしれないと
思った 」。IHIの社員は そう話す。
その後 IHIは 10月下旬、2024年3月期の営業利益計画を 900億円の黒字から800億円の赤字
に下方修正することを発表。最終損益は 900億円の赤字で、過去最大の規模となる。
エンジン部品に異物混入が発覚
PW1100G-JMは、国際共同開発エンジンだ。
アメリカのエンジン大手、プラット&ホイットニー(P&W)の親会社RTX(参画シェア51%)を
筆頭に、日本航空機エンジン協会(JAEC)を通じて 日本の重工大手3社(同計23%)や、ドイツの
MTUエアロ・エンジンズ(同18%)が主体となり開発。 それぞれの頭文字(PW、J、M)を
エンジン名に取っている。
低燃費と騒音低減を売りに、2016年から 販売を開始した。エアバスの中小型機「A320neo」
「A321neo」などに搭載されている。
だが、2015~2021年に製造されたエンジンの部品に ごくまれに異物が混入していたことが判明。
今年9月に P&Wが技術検討を行った結果、検査・整備回数を急増させる方針となった。
その影響は甚大だ。約3000台のエンジンが検査対象となり、スペアエンジンが不足。エンジンの
取り下ろしから取り付けまで 250~300日かかる見込みで、2024年上半期には、運行復帰できない
エアバス製の機体が 600~650機に上るとみられている。
RTXが 9月に公表した追加検査プログラムでは、世界各地でのエアライン会社への補償や
追加整備費用により、全体の損失額が 最大70億ドル(約1兆円)に膨らむことが明らかにされた。
同エンジン開発では、「RRSP(リスク&レベニューシェアリングパートナー)」方式が採用
されている。これは各社の参画シェアに応じて 開発・量産・販売に関する収入や費用が分配される
契約で、今回の1兆円の損失も 参画シェアに応じて各企業が負担する。
冒頭のIHIは、日本勢の中で最も大きい約15%のシェアで参画している。同社は 今期、エンジン関連
で 約1600億円の損失を一括計上する。
次いで 5.8%のシェアで参画する川崎重工業も 580億円の損失を計上、2024年3月期の営業利益計画
を従来の 780億円から400億円に半減させた。三菱重工業(シェア2.3%)は 200億円弱の損失を
計上したものの、影響は 相対的に軽微で、通期の業績計画は据え置いた。
落ち度はなくても損失は負担
今回のエンジン損失をめぐって、ある重工の経営幹部は「(欧米のエンジンメーカーに)負担
ばかり押し付けられるのは 割に合わない。もっと エンジンプロジェクト全体の意思決定に入らない
といけないが、それも難しい 」と本音を打ち明ける。
エンジントラブルの最大の原因は、P&Wが手がける高圧タービン・コンプレッサーのディスク
(回転盤)にあった。RTXのグループ企業が製造した粉末冶金(金属粉末を成型し高温で焼結する
ことで精密部品を作る技術)素材に 異物が混入していたためで、日本の重工各社が提供する
低圧圧縮機モジュールやファン、燃焼器に問題は生じていない。
日本の重工企業が 国際共同開発のエンジン事業で巨額損失を出すのはこれが初めてではない。
ボーイング787向けに ロールス・ロイス(イギリスが本拠)が開発を主導したTrent1000エンジン
でも、内製していた中圧タービンブレードに不具合が発生し、参画していた 川崎重工が
2018~2019年度に 総額約200億円の損失を計上している。
なぜ 近年、日本の重工各社の間で 航空エンジン事業での損失が相次いでいるのか。
航空エンジンは 20年以上をかけて 投資コストを回収するプロジェクトだ。エンジン本体の開発投資
や値引き販売がかさむため、販売後10年間は 赤字。増産期に入って 生産コスト低減が進み、
スペアパーツの需要が伸びる 11〜15年目で ようやく単年黒字化が見える。そこから さらに10年で
累計損益が黒字化する。
巨額の開発投資が必要な一方、資金回収までの期間が長い。だからこそ、リスクを分散する
RRSP方式の契約が結ばれる。
航空エンジン市場は、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)とP&W、ロールス・ロイスの
欧米3社が事実上独占している。ビッグ3は中核技術を手放さない一方、それ以外の部位では
グローバル水平分業を積極的に推し進め、日本の重工各社の高い技術力を取り込んできた。
実態は対等なパートナーにあらず
PW1100G-JMエンジンでは、重工3社で設立した JAECが「プログラムパートナー」として
2割以上の高シェアで プロジェクトに参画、P&Wと対等な立場で開発・販売を進めてきた。
だが、前出の重工幹部は「 パートナーと言うと一見対等な関係のように聞こえるが、実態は まだまだ
ビッグ3の下請けやサプライヤーに近い 」と話す。
「 参入障壁が高い事業で、プロジェクト終盤には 多くのリターンを得られるものの、近年は LCC
(格安航空会社)の台頭や脱炭素への対応もあり、新型エンジンは 安くて燃費がよいものが求め
られる。とくに(ビッグ3が手がける)高圧部分での開発リスクは 相対的に高く、RRSP方式で損失を
押し付けられるケースが増えている 」(同)
川崎重工は コロナ禍での収益悪化を機に、非航空ビジネスの収益力強化へ舵を切った。
2021年に分社化した モーターサイクル事業(バイクやオフロード4輪車など)が短期間で稼ぎ柱に
成長。今回のエンジン損失で 航空部門は深い痛手を負ったものの、2023年度通期での黒字は維持
する。
一方、参画シェアが高く、航空エンジンやスペアパーツが稼ぎ頭のIHIの経営への打撃は大きい。
2023年度上半期(4~9月)は 1375億円の最終赤字に沈み、自己資本比率は 2022年度末の22%から14%に低下。企業財務の健全性を示す デットエクイティレシオ(負債資本倍率)は 同1.14倍から
1.98倍に急悪化した。焦眉の急は 財務の改善だ。
「 “豊洲の大家さん”じゃないと あの経営判断はできない。びっくりした 」
別の重工幹部が そう語るのは、IHIの配当政策だ。川崎重工は 年間配当を80円から40円に減配する
一方、赤字になったIHIは「一過性の損失である」として、年間100円配の期初計画を維持した。
財務が悪化する中でも 強気の安定配当を維持できるのは、IHIに不動産があるからだ。
本社を置く豊洲では、造船工場跡地を オフィスや商業施設として開発。豊洲地区の投資用不動産で
約2300億円、それ以外で 約1100億円の計約3400億円を所有する(時価ベース)。帳簿価格は低く、
約2000億円の含み益があり、過去の業績悪化時も 不動産売却でしのいできた。
コスト削減や一部投資の見直しを最優先に行うほか、今回も「 固定資産(不動産)の売却も
視野に入れている 」(IHIの福本保明・取締役財務部長)。しかし、本業で損失を出すたびに
不動産売却で補填し続けるのは、健全な経営とは言いがたいだろう。
福本氏は、「 エンジンプロジェクトに 15%で参画する会社として、パートナー間での連携が
十分だったのか、いまの資本は 十分なのか、しっかり考えていかないといけない 」と語る。
対等なパートナー関係を築けるか
今年2月、三菱重工が スペースジェット(旧MRJ)の開発中止を発表したことで 日の丸ジェット
実現の可能性は潰えた。日本企業の航空事業部門での成長戦略は 見えづらくなっている。
航空機産業のビジネスに詳しい立命館大学経営学部の山崎文徳教授は、「 欧米企業が市場を独占
する構図の中で、 日本企業にとって 航空機やエンジンの完成品プログラムに参画して 欧米航空局の
認証取得に取り組むことや、コア技術に入り込んで対等な交渉ができるパートナー関係を築けるか
が重要だ 」と指摘する。
コロナ禍が ようやく落ち着き、航空機産業は 暗いトンネルを抜けた。航空エンジンは 年3%の
成長を続ける有望市場であることは間違いない。
IHIの井手社長は「 今回の事案は 設計ミスではなく、技術的チャレンジの中で発現したもの。
リスクをどう分散するか考えていく必要はあるが、航空エンジンの成長性にはなんら変わりはない 」
と強調する。
日本企業が 航空機ビジネスの操縦桿を握る日は 来るのか。重工各社の再起が待たれる。