岸田首相はなぜアメリカに隷属したがるのか

  背景にある深刻な「ナルシズム」と「白人コンプレックス」

        2024/04/23   古賀茂明   AERA dot.

     岸田文雄首相の訪米は、本人が自覚しているのとは違った意味で 「歴史的」なものだった。

    岸田首相の米国議会での演説を熟読していただけば、どれほど大変なことが起きたのかが

    わかるはずだ。 

 

   私が その演説(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2024/0411enzetsu.html参照。

以下、「 」は 演説からの引用)をみて、一番 驚いたのは、岸田首相が、演説の締めくくりで、

日本は「 米国の最も近い同盟国 」だと断定的に言ったことだ。

   本来なら、最も近い同盟国の一つという表現を使うべきところだが、そうではなかった。

米国に 最も近い同盟国といえば、あらゆる戦争に ほぼ無条件に米国と共に参戦してきた英国である。

それを差し置いて、最も近い同盟国というのが どういう意味を持つのか。

 

 日本は、平和憲法の制約下にある「 控え目な同盟国 」から「 強く、コミットした同盟国 」へと

「 自らを変革してきました 」という岸田首相の発言と重ねれば、英国のように、あるいは それ以上

の勢いで、日本が 米国と共に世界中の戦争に関わっていくという意味になる。

 さらに、日本が 米国の戦争に参加する対象地域は、朝鮮半島だけでなく、東シナ海や台湾海峡、

さらには、南シナ海も含まれる。だが、実は、さらに それを超える話を岸田首相はしている。

日本は 今や「 自信を深め 」て「 米国の地域パートナー 」から「 グローバルなパートナー 」へ

成長したというのである。

 

 岸田首相は、「 今 この瞬間も、(中略)自衛隊と米軍の隊員たちは、侵略を抑止し、平和を

確かなものとするため、足並みをそろえて努力して 」いると言った。自衛隊と米軍は すでに共同で

戦っているということだ。

 そして、『自由と民主主義』という名の宇宙船で、「 共にデッキに立ち、任務に従事し、そして、

成すべきことをする、その準備はできています 」と語ったが、「 成すべきこと 」とは、米国の戦争

に自衛隊が参加するということに他ならない。

  「 米国と肩を組んで 共に立ち上がった日本 」は、決して 米国を独りにはしないと約束し、

「 日本は 米国と共にある 」と宣言した岸田首相だが、それでもまだ足りないとばかりに、演説の

最後に、こんな「誓い」の言葉を述べた。

   「 日本が 米国の最も近い同盟国としての役割を どれほど真剣に受け止めているか。このことを

    、皆様に知っていただきたい」

   「 信念というきずなで結ばれ、私は、日本の堅固な同盟と不朽の友好を ここに誓います 」

   「 今日、私たち日本は、米国のグローバル・パートナーであり、この先もそうであり続けます 」

 

 この前のめりの姿勢には驚くばかりだが、重要なのは、これが 岸田氏個人の演説ではなく、

日本国民を代表する首相としての宣言であるということだ。

 さらに、岸田首相は、記者団に「 日米が グローバルなパートナーとして、いかなる未来を次世代

に残そうとしているか。メッセージを米国民、世界に向けて伝えることができた 」と述べている。

 つまり、首相の言葉は、日本国民を代表して 米国大統領や連邦議会議員だけでなく、米国民 及び

世界に対しての誓約となったのだ。

 

 岸田首相の演説は、今後 長期間にわたり 日本の対米外交政策を縛ることになる。

 それが どういうことか、想像してほしい。

 世界中の どこかで戦争が起きて、米国大統領から日本の首相に、「 米国と共に戦ってほしい 」と

要請があった時、断ることができるだろうか。

 そんなことをしたら、大統領だけでなく、米国議会、さらには 米国民から、「裏切り者」と

レッテルを貼られ、報復的な仕打ちを受けるリスクがある。 米国の要請を断ることは、非常に難しく

なったのだ。

 

 安倍晋三政権によって 憲法違反だった集団的自衛権が 憲法の解釈変更によって合憲とされ、

いわゆる「安保法制」によって認められたのが 2015年9月。 当時は、日本の「存立危機事態」に

当たらなければ、発動できない と政府は約束し、米国に言われたら 自衛隊が どこにでもでかけて

米軍と一緒に他国と戦うというようなことになるはずがない と言われた。

 しかし、最近では、台湾有事なら、当然のこととして 自衛隊が 米軍と共に戦うという前提の

シミュレーションが堂々と行われている。いかにして 日本が巻き込まれないようにするかという議論

はなく、いかに円滑に 米軍との共同戦争を実施できるのか という方法論が詳細に議論されている

 

 在日米軍基地の使用を許すのかという議論もなく、協議を受けて断る権利があることすら

忘れられている。米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のシミュレーションでは、日本の協力が

なければ 米軍は 中国軍に勝てないが、日本は 必ず協力すると書かれていた。

 日本の存立危機事態に当たるかどうかによって その結論が変わることなど全く考慮されていない。

 

 さらに、もし日米の信頼関係に深刻な溝が生まれるような事態が起きれば、それこそが 

存立危機事態であるという議論さえ有力だ。日米安保条約は 日本の安全保障の根幹であり、それを

支えるのが 日米間の信頼関係である。これが崩れれば、日米安保体制の基礎を崩すので、日本の

安全保障が揺らぐ。したがって、それは 存立危機事態に当たるという理屈だ。

 

 米国の言うことには逆らえない というのと同義である。

 

 岸田首相の今回の演説は、まさに こうした流れを決定づけるものとなった。

それにしても、岸田首相は なぜここまで卑屈になって、米国に取り入ろうとするのか。

 

 私は、その背景には、岸田氏個人のコンプレックスと対をなす 安倍の「ナルシズム」と

「白人コンプレックス」があるとみている。 実は、それは 安倍元首相と 瓜二つだ。

安倍氏も岸田氏も、米国大統領と共にある時、喜びに満ち溢れた顔を見せた。その象徴が、大統領

との自撮りツーショット写真である。

スマホに向かって 満面の笑みを湛えた その瞬間、彼らは、心の中で

 「 見てくれ!俺は アメリカの大統領と自撮りツーショットを撮れる仲なんだぞ! 世界中で

   そんなことができるのは 俺だけだ! 」

という歓喜の叫びをあげていたのだろう。

 安倍氏の時は 安倍氏自らが トランプ氏との写真を自撮りしたが、今回は バイデン氏に自撮りを

させたということで、岸田氏は「 安倍を超えた 」と自慢したいことだろう。

一体 誰が仕組んだ演出なのかわからないが、岸田氏にとっては、至福の時だったに違いない。

 

 さらに言えば、『 子供の頃から 自分をバカにしてきた 』母親への反骨心からでる東大卒の祖父

・岸信介という大きな壁を越えようとするがあまり、学歴コンプレックスが変化した「ナルシズム」

に取りつかれた安倍氏 (この点は、4月22日から再上映されている映画「妖怪の孫」の原案となった

拙著『分断と凋落の日本』45ページ参照)。

 一方、開成高校出身ながら 2浪しても 東大に合格しなかったことを 今なお揶揄されることへの

コンプレックスへのリベンジ精神から生じた、「 俺は 本当はすごいんだ 」というナルシズムに浸る

岸田氏の姿。この二つは ぴたりと重なると言えば、多くの人は頷くだろう。

 

 最後に、安倍・岸田両氏の白人コンプレックスについて、私が尊敬する論客、小原泰氏の最近の

論考(東洋経済オンライン4月16日「 先進国が掲げる『法の支配』のダブルスタンダード 西洋基準

たる『万国公法』の呪縛から脱する時だ」)を参考にして考えてみたい。

                                            西洋基準たる「万国公法」の呪縛から脱する時だ

 西洋諸国は、自らを「 文明国 」、非白人の途上国・地域を「 未開国 」「 野蛮国 」などと分類

して差別し 国際法の適用を制限した。日本が 列強と結んだ不平等条約は その典型例である。

皮肉なことに、日本が「 文明国 」に格上げされたのは、その文化程度が上がったからではなく、

日清・日露戦争に勝利したことによる。西洋諸国の基準では、戦争の強い国が「文明国」だったのだ

 

 こうした事実上の「 戦争強国=文明国 」という本質を見抜いていたのが、西郷隆盛や岡倉天心

である。次の言葉を皆さんは どう受け止めるだろうか。

  「 文明というのは道義、道徳に基づいて 事が広く行われることを称える言葉である。(中略)

   もし 西洋が 本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、

   よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対する

   ほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮である 」

                                                                            (西郷隆盛『南洲翁遺訓』1890)

   「 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに

   満州の戦場に 大々的殺戮を行ない始めてから 文明国と呼んでいる。(中略) もし われわれが

   文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろ

   いつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれは わが芸術 および理想に対して、しかるべき尊敬が

   払われる時期が来るのを喜んで待とう 」(岡倉天心『茶の本』1906)

 

   「 戦争強国=文明国 」だとすれば、日本のように 憲法で戦争を否定し平和主義を掲げる国は、

文明国にはなれない。 どうしても 西洋基準の文明国の仲間入りをしたい 安倍氏や岸田氏は、

戦争強国を目指した。

  岸田氏が、平和憲法に立脚した日本を「 控え目な同盟国 」と称したのは、まだ 日本は「未開国」

だったと認めたからだ。そして、「 自信を深めて 」今の日本は 米国と共に戦える「 文明国 」

になったと胸を張った。

 

 その根底には、ぬぐいようのない白人コンプレックスがある。

 世界では、米国を中心とする西側「 民主主義 」諸国と中国などの「 権威主義 」の国が覇権を

争っているというのが、日米欧の主張だ。 

  もちろん、自分たちが正義で、中国などが悪の枢軸だという。しかし、中東では、アメリカこそが

悪であり、アフリカ諸国では 欧州諸国こそ暴力で略奪を行った帝国主義者である。

 そして 今や アジアでも、米国の価値観外交に与する国は 日韓だけだ。

 

  米国離れの傾向は 日に日に強まっている。世界の流れは 変わったのだ。

それにもかかわらず、アジアで 唯一、米国一辺倒の立場をとり、しかも、その立場を強めていく日本。

 

 日本の平和憲法は 今でも アジア・中東などで高く評価されている。これをかなぐり捨てて、

米国と一体化した戦争強国の道を歩むのは、明らかに 世界の流れに逆行している。

 西郷のように 西洋諸国を「野蛮」と喝破し、岡倉のように、戦争によって文明国と呼ばれる

よりも、野蛮国のままでいることに甘んじ、「 理想(今日に当てはめれば『日本国憲法の平和主義

という理想』)に対して、しかるべき 尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう 」という立場を

とることこそが、大きな歴史の流れに沿った王道である。

 

 自民党の指導者たちのナルシズムと白人コンプレックスによって 日本国民が犠牲になることだけは

避けなければならない