富士通、内外でトラブル続出 2024年1月10日

 

富士通「イギリス郵便局冤罪事件」の問題点 

日本企業が学ぶべき典型的なM&A失敗、海外企業買収で間違わない3つのこと

    冷泉彰彦( 作家・ジャーナリスト)

          2024年2月8日  Wedge ONLINE

 

 今、英国で、ある「 IT絡みの事件 」が大きな議論を呼んでいる。英国の郵政省が導入した

「ホライゾン」という事務支援システムに不備があり、個々の郵便局の窓口で 実際の取引金額

によるキャッシュの残高と、システムが吐き出す残高数字が一致しないケースが数多く発生した。

  これは、1999年頃から発生した事象で、発生した当時は 原因不明のまま、多くの郵便局長たち

が不正、つまり キャッシュの横領を疑われ、少なくとも 700人以上の局長らが無実の罪で起訴された

という。システムのトラブルであるのに、個人による着服という冤罪を仕立てられて 破滅に

追い込まれた人が多く出たのである。

 

ChatGPT時代だからこそ 刺さった過去の問題

 この事件が どうして 2024年の現在になって話題になっているのかというと、年明けの英国で、

この事件を題材にしたドラマが放送されたからだ。ちょうど、22年暮れに生成AIのChatGPTが

稼働開始となり、世界中で AIが人間の知的労働を奪うのではないか という不安心理が増大していた。

 この事件は AI以前のテクノロジーの問題であるし、問題の発生は 前世紀に遡る。けれども、

「 コンピューターの暴走で 多くの人の人生が破壊された 」というストーリーは、まさに 24年の

視聴者の「 心に刺さった 」のであった。

 

 このドラマをきっかけに、英国世論の事件への怒りが再燃してしまった。そして、これまで

事件の責任を取らず 補償もしてこなかった富士通に対する批判が加速し、ついに 議会で取り上げ

られるに至っている。

 ただ、事件を起こしたのは、実は 富士通の英国法人ではない。ICLという純粋に英国の企業である。

諸般の事情から 80年代に 富士通と業務提携がされ、90年代の末に 完全子会社化したのである。

つまり M&A(企業買収)案件として、富士通グループ入りしたケースである。( その後はICL

でなく、富士通を冠した商号に変更している)

 

 この事件について、日本では「海外現地法人へのガバナンスが効いていないケース」という認識が

されている。また、日本のソフトウェア産業に見られる「ITゼネコンによる外注先への丸投げ体質」

が問題だという評価も可能であろう。どちらも間違いではない。

 

 だが、今回は 日本企業が 類似の問題に巻き込まれないために、取るべき方策として、もう少し

具体的な提言をしてみたい。それは、M&Aにおける 経営判断の精度を高めるという喫緊の課題

である。3つ提言したい。

 

   不十分になりがちな 買収前の「精査」

 1つ目は、買収提案を行った後に、買収を完了させるまでの「精査」の重要性である。

この「精査」のことは、M&A業界では デュー・デリジェンス(DD)という。

 例えば、Aという日本企業が、Bという外国企業を買収し、過半数の議決権を獲得して支配する

とともに、Bを連結対象法人として組み入れ、AとBの協業によるメリットを追求しようと判断した

とする。

 国境を越えた企業買収に際しては、財務、法務両面にわたる複雑で多角的な検討が必要となる。

例えば Bの属する国が 外国資本による その業種の過半数支配に条件をつけている場合がある。

そうした場合には その国の監督官庁との折衝が出てくるし、買収に条件がつくかもしれない。

買収後も Bの少数株主が あれこれ文句をつけてくるかもしれないので、その国の商法や証券取引の

慣行についてのアドバイスを得ることも必要になる。

 

 こうした調査も 広義のDDに含まれるが、とにかく 複数国の諸制度にわたる専門知識が必要な

プロジェクトになるので、優秀な投資銀行を指名して幹事になってもらうことになるし、日本側、

また 相手国側でも弁護士事務所、会計事務所を採用して、投資銀行を軸に買収側はチームを組んで

対応してゆく。

 その場合に、一般的に 法務や財務会計の部門は「 一生に何度かしかないビッグ・プロジェクト 」

だとして やる気になることが多いようだ。投資銀行の側も、法律論や財務の問題でケチがついては

いけないので、こうした分野では 優秀なバンカーを投入して来る。問題はDDにおいて、現業部門

からの精査が不十分で終わるということだ。

 

 平和的な買収であればもちろん、敵対買収の場合も 最後のある期間においては、現業の精査を行う

機会が与えられることが多い。つまり、買収側の企業が、買われる企業に対して 厳格な「機密保持

協定」を結び、その代わりに 買われる企業は 基本的に経営の何もかもを買収側に見せるというものだ。

 例えば 製造業の場合に、買われる企業が 公害問題などの潜在リスクを抱えていた場合に、買収で

オーナーが変わったからといって 責任が消えるわけではない。欧米の法律は そのような建付けに

なっており、そうしたリスクを回避するためにも、買収完了前に 徹底した精査が必要であり、また

可能としているのである。

 

 今回の問題は、そもそも 長年にわたって業務提携がされ、徐々に 持ち株を増やしていって

完全子会社化したのであるから、DDを行う権利も 時間も 富士通に十分あった。そもそも 勘定系の

システムで 現金残高が合わないなどというのは、初歩的なミスであるし、実用化の前にテストランを

繰り返せば 発見できる性質のものだ。ICLという企業には、そのような品質管理のノウハウが薄く、

この種の問題を起こす体質であった ということは、過半数を支配する前でも DDで明るみに出して

おくべきであった。

 

契約書は 芸術作品であり、格闘技でもある

 2点目は、契約書の内容だ。富士通が ICLを実質子会社化すれば、以降の経営責任は 富士通

に来る。そして 法律上は、買う前の、つまり 今回のような問題についても 富士通に責任が来る場合

が多い。だが、それは あくまで 一般的な制度の問題であって、企業買収時の契約というのは もっと

複雑である。

 仮に DDにおいて、どうしても 不明な点があり、買った後で問題になりそうであれば、そのリスク

を回避するような契約条件を突きつけることは 可能であったはずだ。問題は、単純な売買契約や、

賃貸契約、雇用契約などと違って、企業買収の契約というのは 全体から細部に至るまでが オーダーメード

であり、その細部に 大きなリスクもある一方で、買収側に有利な条項を忍ばせることも場合によって

は可能である。

  つまり、契約書の文言を どのような最終形にするのかということ自体が、シビアな利害の対立に

なり、知恵の見せ所となる。重要な M&A案件の場合は、そうした契約書の詳細について、投資銀行

や顧問弁護士に丸投げすることなく、経営者が 自分の目で契約書をしっかり読み込んで、不明点を

潰し、可能な限り 自社の権益を守るような契約にする努力をしなくてはならない。 M&Aにおいて 

契約書は 一種の芸術作品であり、同時に相手のある格闘技でもある。

 

 例えば、東芝が 現在のような苦境に立ち至ったのは、元はと言えば 原子炉製造ビジネスの

ウェスティングハウスを買収する際、そして 同社を完全子会社化して以降の販売契約において、

契約書の精査が不十分であったからだ。とにかく 契約に至る交渉とは 芸術であると同時に戦いで

あり、高度なクリエイティビティと胆力が必要で、そのスキルのない経営者は手出しをすべきでない。

 

現地への〝丸投げ〟が露呈

 3番目は、該当国の国情を深く理解するという問題だ。ICL社の場合は、サッチャー政権当時に

経済の近代化という国策によって 後押しされた経緯、その後、欧州連合(EU)統合の過程で

「EUの高度なコンプライアンス」に合わせる必要が出たという経緯など、国と監督官庁の姿勢が

変化する中で発生した事件である。そのような国情の変化は、制度の変化、取引条件の変化などを

呼び起こす。

 往々にして 現地のマネジメントは そうした変化に振り回されがちで 大局観を失うことがある。

これに対して、事実上の親会社として支配しているのであれば、富士通の側が 大局的な見地から

問題発見に努めることは必要だ。

 

 だが、今回の事件は その正反対であり、事件が明るみに出ても 現地任せで終始。その後も放置して、

今回、TVドラマという形で「 現代という時代とシンクロした形での告発 」を突きつけられるという

最悪の結果を招いた。

 国が違えば 言語と文化が異なる。それによって 国情にも違いが生じ、制度や価値観も日本の常識が

通用しない。だからこそ、第三者的に 冷静に見て 間違いを指摘することが「外資」の強みとなる。

だが、これは 日本発の多国籍企業一般に見られることだが、現在は マネジメントの「現地化」が

称揚される時代である。

 確かに 現地のことは 現地の事情の分かった現地のマネジメントに任せた方が 判断が当たることは

多い。また 現地人を重用しているという姿勢は 好感度につながるかもしれない。だが、そうで

あっても、国情の変化を大局から見つめ、リスクを回避するためのチェックを怠れば、今回のような

事件を起こしてしまう。

 

 最近の日本企業は、国内市場は 人口減と経済縮小で先がないなどという理由から、同業である

外国企業を買収するという判断を好む。その場合に、同業として 高いノウハウがあるなどという

自信過剰から、安易に現地任せにした挙げ句に失敗することがある。

   円安の時代に、ドルベース、ユーロベースの欠損を起こしては、本体の命取りとなり、東芝の場合

は ほとんど死に体にまで追い込まれた。

 丸投げではダメだ とか、現地任せでは ガバナンスが弱いというような認識では足りない。

日本との国情の相違、そして 国情の変化にまで 目を光らせて、現地では見失いがちな大局的な判断が

できて、初めて買収企業を含めた多国籍経営は成立する。そのような経営ができないのであれば

海外企業のM&Aなど安易に手を出すべきではない。