映画2本 | 八ヶ岳 随筆 亀盲帖

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曲草閑人のブログ

 先日、映画を立て続けに2本観に行った。前々から観たかった映画だったのだが、調べると両方とも後数日で上映が終わってしまうと知って、慌てた。だから二日連続で映画館に行くことになった。

 

 

 初めの日に観たのは『エクソシスト 信じる者』。

キリスト教系のオカルト映画には目が無い。もともと宗教学が好きで、ずっとやっているのだが、中でも様々な宗教に登場する悪魔や邪神と呼ばれる存在が、自分の中の文化人類学的興味の対象なのだ。だから、ただ単にコワイ映画を観たいというのではなく、脚本の出来や宗教的裏付けの緻密さなどが重要となる。やたらに怖がらせようと血まみれにしたり、恐ろしいメークの存在が出てきて怖がらせたり、大音量でビックリさせたり、キャーキャー!ワーワー!というだけの作品は下の下と評価してしまう。

 

 

 で、今回の映画を観た感想は・・・、う~ん・・・イマイチ。

1973年に公開された伝説的名画『エクソシスト』の続編というふれ込みだったが、どうも背骨が無いという感想だ。少女二人が悪魔に憑りつかれ、家族たちが愛で救おうとするストーリーなのだが、各エピソードや設定が散漫で、宗教的な裏付けの緻密さがない。そもそも、最も大事な、憑りついた「悪魔」の名前が出てこない。キリスト教系のオカルト映画であるならば、その悪魔の名前が極めて重要なのだ。

 

 

 後で、買ったパンフレットを読んで、憑りついた悪魔は「ラマシュトゥ」という設定だったと知る。「ラマシュトゥ」は古代バビロニアで信仰されていた邪神「パズズ」の伴侶とされる女の悪魔。1973年のオリジナルの『エクソシスト』で、リンダ・ブレア演じる少女リーガンに憑りついた悪魔は「パズズ」であった。その続編なので「パズズ」の伴侶の「ラマシュトゥ」にしたのだろうが、そこにストーリー的な必然性が無い。

 

 因みに、今年観たもう一本のオカルト映画ラッセル・クロウ主演の『ヴァチカンのエクソシスト』に登場する悪魔は「アスモデウス」。こちらの映画は中世にまで遡る歴史的裏付けの設定もしっかりしており、納得のいくストーリー展開であった。

 

 まあ、ちょっと期待外れだったが、映画館で映画を観るのはウキウキして楽しいものだ。

 

 その翌日、こちらも上映がもうじき終わってしまうというので、慌てて観に行ったのは、北野武監督の『首』。

北野武監督は、現在の日本の映画監督としては突出した存在だと思っている。今までの作品も何本か観ているが、今回のは大掛かりな時代劇ということで興味津々だった。黒澤明監督に「君がこれを撮れば『七人の侍』を超える傑作になるよ」と直接言われたというエピソードも興味に拍車をかけた。

 

 

 で、映画の感想はというと、実は観終って映画館を出るときは首を捻っていた。『首』という映画だから自分も「首を捻った」というシャレじゃなくて、映画の本質を掴み切れずにハテナ?っという感じだったのだ。

 

 面白い映画ではあったが、北野武という監督の作品にしては、ちょっと自分の想像と違っていたのだ。うまく言えないが、今までの感じとは何か違う。正直に言えば期待していた感じではなかった。

 

 しかし、家に帰ってから、パンフレットを見ながら思い返すうちに、ジワジワと何かが見えてきた。正解不正解は別として、自分なりの解釈が生まれてきたのだ。そして、辻褄を合わせ、シーンを思い出し、もう一度反芻するよう映画全体を掴んでみる。やがて、うん、コリャ凄い映画だったんだな、という思いに至った。ずいぶん鈍い感覚だが、北野武がやりたかった事が見えたような気がした。この映画はもう一度観て、自分の感覚を確かめたいと思う。

 

 そんなわけで、最近観た2本の映画でした。図らずも、クリスマス・イヴに、悪魔の映画と、生首がバンバン切り落とされる映画を取り上げたってのは、偶然にしても素敵なクリスマスになりそうでんな~、笑。