ニセイカウシュッペ山 | 独り言ちの山暦

独り言ちの山暦

「風の又三郎、又三郎、早く此さ飛んで来!」「この頂で赤道から北極までの大循環の自慢話を聴かせてくれ。」

 

       2022.7.10。

       北大雪に位置するニセイカウシュッペ山。

         7時30分過ぎ。

         既に駐車場は満車状態。駐車場の随分前まで車で埋まっていた。

         人気の山である。

        スタート時は直射日光も強く、蒸していた。黙っていても汗が流れる。

        今日はある意味で意義をもった山行である。

        「諸事業」で山から遠ざかっていたKAWAさんの復活登山である。

        そのKAWAさんを先頭にあれこれの会話をしながら進む。

        見晴台までは暑かった。それでも木々によって直射日光は遮られ

        いくらかの涼を感じることできた。

        見晴台では強風が待っていた。状況が一転。加えこれから先はガス

        に覆われ始めた。瞬く間に見上げる視界は閉ざされていく。

        それでも我々が頂上を踏むころには「きっと」との思いで歩き続けた。

        だが状況は悪化の一方。擦れ違う方々の情報は「爆風、立っていられ

        ない」。

      果たして頂上に立った。

      先行者の2人。スマホカメラを爆風に向け必死に立っていた。

      「これは酷い」。十勝岳で味わう爆風を凌ぐかのようだ。

      視界は深いガスの中である。大槍もアンギラスも、そして大雪の山々すら

      勿論見ることができない。

       自然に対してはお手上げだ。

       早々に撤収。この山に初めて登ったHIROSさんには気の毒ではあるが

       これは仕方がない。彼はまだ十分に若い。これからも機会には恵まれ

       るはずだ。

        足許に咲く花を写真に収めて山を味わうこと、もした。

       昨日の衝撃な事件が、やはりずっしりと心に重い。

       あってはならないことが発生した。解けない不条理と悲しみをまた一

       つ背負いこんだ思いが辛い。

        どうすることもできない憂鬱感があった。

        ドストエフスキーが描く「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフ、「罪

                  と罰」のラスコーリニコフと、人に存在する不遇感と鬱屈を思い起こし

                  てしまう。

       一方では「政治テロだ」と声高に叫ぶ姿に違和感がある。

       いま世の中では「子供の虐待死」、「いじめ被害死」、「ウクライナでの

                 無差別殺戮」そして「自死」、等の深刻な悲劇死が日常的にある。

       それぞれの死ではあるが、本当に共通点はないのだろうか。

       その根本にある社会的病巣というものがあるのではないだろうか。

       冷静に分析し対処することが大事に思われる。

        「ビールまがい」を4缶背負っていた。

        頂上でKAWAさんの復活とHIROSさんとの初登山を一緒に喜ぶためだ。

        ついでではあるがSUGAさんの「役員就任」もあった。

       だが頂上は爆風。それどころではなかった。

       しかたなく大槍の鞍部まで戻り風のないところで「プシュー」といった。

       「まがいもの」であるがそれなりに意味を果たすことはできただろう。

 

        何度でも出会った花々。また出会う。

        今日同行したメンバーは花の名などは知らない。

         花に詳しいKAKU先輩Gの人たちなら全て諳んじているのに。

         そのGのメンバーの誰でもいいから「花」中心のブログでも立ち

         あげていただきたいものだ。

 

        戻ってきた見晴台。

        ガスが覆ているのは同じだ。

       大槍、小槍も沈鬱そうだ。

       表大雪の山頂が静かに覗いた。

        もう何度目になるのか。

        今回も無事に下山した。その一度一度に思い出はあるが、過去は

        消し去って行こうと思っている。

        振り返ってみれば過去は重荷でしかない。それは良い過去より悪い

        過去が思い出の中では圧倒的に多いからだろう。生きてきたと言う

        ことはそんなことなんだろう。

         良い明日を生きようとは思わないが、過去と決別し何事にも拘泥しない

         でありのままの自分を生きてみたい。そんな思いの一日が今回であった。

         今回のメンバーに感謝。