2024とことこタワー祭りを振り返り、、
まず思うことは、演武会にしろ、審査会や大会にしろ、やはり多くの協力者が居て、はじめて開催出来る、ということ。
毎回そうであるが、今回の演武会も、演武者とお手伝いして頂く道場生が何人も協力してくれたおかげで、成立した。
ホントに感謝しかなく、改めてお礼申し上げたい。
ありがとうございました❗️
🙇🙇🙇
次回10月13日の所沢祭り大演武会もご協力宜しくお願い致します❗️
😃😃😃
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さてさて、、演武内容について、振り返ってみると、少年部はいつものように頑張ってくれたし、谷川くんも迫力のミット打ちはとても良かった。
私自身の演武も、今回もまた色々な気付きや収穫があり、個人的にも良かった。
だが、それよりも、
いつも思うことであるが、、
瓦割りや氷柱割りや角材割りなど、一見派手に見える演武だが、それを成功させるための陰の努力、、
ここにこそ、目を向けて欲しい。
演武は型や組手にしろ、試し割りにしろ、一瞬で終わる。
しかし、そのための鍛錬は、非常に長い長い年月が必要。
演武は派手かもしれないが、鍛錬や稽古は地味で単調。
それを根気良く続けなければならないのだ。
そうした同じ鍛錬の繰り返しの中で、はじめて実力がつき、試し割りも成功する。
また、豊富な稽古の裏付けがもたらす自信なくして、硬いものを割ろうとチャレンジする気力は、湧いては来ない。
あくまで実戦力を磨くための鍛錬であり、演武や試し割り自体が目的ではないが、、
しかし実際に硬いものを割ろうするなら、それに伴う勇気がいる。
そしてその勇気は、不断の努力から生まれる。
道場生の皆さんは、そこにこそ目を向けて、日々鍛錬を重ねて欲しい。
そしてこれは、試合や審査なども全く同じ。
一試合、たった2分とか3分で終わってしまうものに、全てをかける。
その一日のために、何ヶ月もトレーニングし、練習し、稽古する。
また、他のスポーツや武道も同じだろう。
例えば、100m走のタイムを上げるためだけに、何ヶ月も何年も練習する。
全ては、その一瞬のために。。
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昔は、、私が子供の頃は、努力することは当たり前であったが、今(現代)はどうなんだろう、、❓
10代、20代の若者達、、❓
30代は❓
20年も30年も世代が違えば、価値観もまるっきり違うと思うが、現代は、労を少なくして、益を得ようとしてはいないか❓
もちろん無駄なことを、ただこなすのは、それこそ時間の無駄だとは思う。
しかし、空手、武術、格闘技では、まずは量をたくさんこなし、技と共に体力を付けることが大事。
特に若いうちは、体力やパワーを無茶苦茶付ける。
それが将来の礎を作る。
もちろん壮年は壮年なりの稽古で構わない。
大事なことは、少しでも良いから、継続して努力すること。
派手な演武の裏側には、弛まない(たゆまない)努力が隠されているのである。
(了)。