あまり縁起の良い話ではないが、、
私もこの年齢(51歳)まで生きて来ると、周りのこれまで活躍されていた武の先人の方々が数多くお亡くなりになり、鬼籍に入られて行った。
つい先日も、全く面識は無いが、メディアによく出られていた居合いの有名な先生が、お亡くなりになった(謹んでご冥福をお祈りします。合掌)。
自然の摂理で仕方ないことではあるが、、
大変寂しく、この世の儚さ(はかなさ)を感じずにはいられない。
と同時に、たとえ亡くなられたとしても、これからも武の先人の方々の背中を追いかけることに変わりは無い、と決意を新たなにする。
そして、残された者達がすることは何か、、❓
それは自身の修行と同時に、やはり後進の人達に技術や精神を受け継がせて行くこと。
それが一番大事。。
そのためにも、、元に戻るが、自身の技量力量を上げて行くこと。
私はまだまだ未熟なので、更に精進したい。
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そのような現状、例えば、空手界であれば、まだ名人や先達の方々がたくさんおられるが、大成拳(太気、意拳)はどうか、、❓
そうなると、使い手は極端に減るだろう。
それも、きちんとした拳理を掴み、その力を有しているとなると、もしかしたら、両手で足りるくらいかもしれない。
はたまた、道着無しのサブミッションの使い手はどうか、、❓
これもまた、マニアックな領域ゆえ、他の武道に比べれば、少ないだろう。
別に、そこまで求めなくても良いのでは❓、と思うかもしれないが、、
空手や拳術は、総合武術。。
どこからでも、、
どの態勢からでも、、
守り、打ち、蹴り、投げ、極めるのが理想。。
特に私の場合、武術・格闘技については人三倍大好きで欲張りだから、仕方がない。
玉石混合(ぎょくせきこんごう。意味:優れたもの、つまらないものが入り混じっていること)の世の中、、
多くの修行者や使い手を目にするが、どんなものであれ、これを認め、リスペクトしてはいるが、、
その中にあっても、ひときわ輝く存在でありたい。
格闘の強さでは敵わなくても、キラリ🌟と光る何かがあること、、
コイツ、底が知れないな❗️
というもの。。
幾つになっても、夢や希望は捨てず、、
志(こころざし)は高く。。
(了)。