鍛錬を続けている者と、そうでない者との肉体的、体力的な差は、当然ながら大きいが、、
年齢が高齢になればなるほど、それは顕著となる。
若い時はみんな細胞が若いから、まだよく分からないかもしれないが、、
40代、50代と年齢が上がるにつれ、その差は大きいものとなる。
当然、見た目にも違って来る。
武術や武道は人と比べるものではなく、いかに過去の自分より向上するか❓が大切であり、自分の弱さに打ち克つことを目標としているので、周りと比べてどうこう言うつもりはない。
しかし何よりも自分自身が、若さを保ちたい、とか、死ぬまで鍛錬して強くなりたい、とか思うのであれば、やはり極真空手をはじめとした武道や格闘技を勧めるし、それに伴うトレーニングや鍛錬を勧める。
そしてそれは継続することで、成就する。
道場生は、道場でしっかりと稽古を続けて欲しい。
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【形の重要性】
空手に限らず、武道や武術や格闘技は、まず形から入る。
立ち方から始まり、姿勢や歩き方、そして突き、蹴り、投げ、極めなどの技のフォームを覚えて自由攻防に臨む。
一般的な格闘技は、さほどうるさく言わないが、こと空手や武術は、形について非常に細かく教える。
まして空手には型がいくつもあり、そう言う意味では覚えることがたくさんある。
それを、大変だなあ〜と思う人がほとんどかもしれないが、逆にプラスに考えれば、うわ〜❗たくさん覚えることがあって楽しみ❗😀😀😀とも考えられる。
何でも本人次第。
プラスに考えて頑張って欲しい。
で、話を戻すと、、
何故そこまで形にうるさいかと言うと、武術には、効率の良い身体の在り方や動かし方というものがあるからだ。
例えば突き一つとっても、、
正拳をしっかり握る(甘いと突き指や骨折する)
手首は真っ直ぐ(曲がっていると手首傷める)
肩を上げず、脇を締めて打つ(肩が上がっては威力出ず、肩を傷める)
引き手と同時に打つ(威力アップ)
足腰を安定させ、腰や腹の力で打つ(威力アップ)
などなど、全て突きの威力アップやケガ防止のフォームや立ち方で成り立っている。
空手の歴史が500年とか600年とか言われて、今もなお継承されているのには、そういった理由がある。
修行者が遠回りや回り道をしないよう、強く成る最短の道筋を示しているのだ。
だから、形にうるさく言う。
無駄なく、最短で強くなってもらうために。。
たくさんの型を覚えるのも、そのためである。
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と、ここまででも充分強くなり、充分戦えるが、武術には更に上の世界がある。
それが武術の練功。
形については、空手以上に細かい要諦があり、更にうるさく言われるが、我が拳の師からは、こうも言われた。
いわく、、
『形を真似するのではなく、力(勁力)を真似しろ❗』
と。
すなわち、最終的には、表に現れる形や動きというものは、中身の拳勁の一つの現れに過ぎない。
もっと言えば、自身の意(イメージや闘志など)が、身体を通じて表現される、ということ。
形は、形をやろうと思って形になるのではなく、己の意志の発露が様々な形になる、と。。
う〜む、まさしく。
これは実は站椿からそうで、内部の充実無くして、功のある站椿は立てない。
それが、実感として分かるまでには、かなりの時間が掛かるが、まさしくそれが真実。
がしかし、、
武術には、
『形の良くない者は、大成しない』
という諺(ことわざ)があるのもたしか。
たしかに、パッと見て、站椿なり試力なりの形が良くない者で、強い拳勁の持ち主は、見たことがない。
中身が整ってくれば、外形も自ずと良い形になるが、裏を返せば、外形が良くなければ、中身も整わない、ということ。
結論、、
外形をきちんと整えつつ、内部の状態も整え、内部と外形と摺り合わせることが肝要。。
あたかも、写真のピントがピタッと合うように。。
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自分で、出来た❗と思っても、意外にまだまだ出来ていないのが武術。。
常に、これでいい、と満足するのでなく、
常に、これでいいのか❓と疑問を持って稽古し、
もっと良くなるはずだ❗
もっと強くなるばずだ❗
と思って稽古する。
これで終わりというものがない楽しさ。
いつもワクワクしながらの稽古。。
幸せは、身近なところにある。
(了)。