命どう宝:他人の権利を侵して平和を叫ぶ | 極論

命どう宝:他人の権利を侵して平和を叫ぶ

私のブログをご覧の皆さまは 「まんが『無防備マン』が行く 」 をご存知であると思います。


2005年12月21日のエントリー 113/47 に、「命どう宝」 という言葉がでてきました。

気になったのでググってみました。その際、間違えて「命とう宝」で検索してしまいまして(オイオイ)、

当然、ヒット無し。続いて「命という宝」で検索。その結果、興味深い内容が出てきた。


http://012.bz/other/archives/2005/03/post_82.html

http://www.geocities.jp/night_a_star/music_shimauta.htm

http://nadeshiko410.ameblo.jp/entry-d3af8fbc22adbd14c7e90b508068f1aa.html

http://www.for-side.jp/advice/fp02040.php?q_no=0502a00029&lsttype=3&order_type=5&mc=2040&lc =

http://blueheaven.exblog.jp/120399/

http://66.102.7.104/search?q=cache:zuasCvKBYLkJ:www.wakayama-h.wakayama-c.ed.jp/kamoku/kyoka/sogo/kashi.htm+%E5%91%BD%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%AE%9D&hl=ja (グーグルキャッシュ)


THE BOOM「島唄」の歌詞の解釈を説明したものです。


私も「島唄」は好きな曲の一つであるし、「こんなに深く強い思いを歌詞に込めて歌われていたのか」と感慨深いものがありました。

そうか、それではこの情報はどこから出たものだろうか?と情報元を辿ろうにもリンクがない。彼らはこの解釈をそれぞれ、独自に思いついたのでしょうか?

 否、それはないと言えます。それぞれの解釈を見てもそれぞれ似通っているし、中には明らかにコピペとわかるものもある。


インターネット上で文章を引用したり、ある情報を元に記事を書いた場合、その元となる情報を明らかにしておくのは当然のマナーだと私は思っているのですが、まだ十分に浸透してはいないようです。


さて、もう一つ気がつきました。そうです、「著作権」はどうなっているのでしょうか?


さっそくJSRAC (日本音楽著作権協会)のHPを見てみました。

FAQ のページ、項目の一番頭にありました。

ホームページに歌詞や楽譜を掲載したいのですがどうしたらいいか教えてください。

端的にいえば、

JASRACで著作権を管理しているものに関しては、JASRACの許諾を得ることが必要で、

「J-WID」(http://www2.jasrac.or.jp )で調べてください。

また、許諾の申込は、「J-TAKT」(http://j-takt.jasrac.or.jp/ )から手続きをされたし、と。


さて「島唄」はJASRACの管理下にあるのでしょうか?


島唄での検索結果:http://www2.jasrac.or.jp/cgi-bin/db2www/jwid040.d2w/report


島唄著作権


どうやら「島唄」の著作権はJASRACの管理下にあるようです。


ちなみに使用料早見票

上記のリンク先の管理人さんたちはこれらの使用料を払っているのでしょうか? 特に一番下のものはアドレスを辿ったら公立高校のものでした。それゆえの削除とも考えられますが果たして。


またJASRACについてはちらりと調べた限りではあまりいい話を聞きません。

(参考:JASRACをかんがえる。  牧歌組合~耳コピとエロジャケ~ )


JASRACがどのような事をしているのかについてはわかりませんが、とりあえず上記のリンク先の管理人さんたちが著作権者に対して掲載許可を得ていないなら、現行の法律で著作権を侵害したことになります。

「もし、そうであるとしたら」という、仮定の下に言いますが、上記のリンク先の管理人さんたちの平和への訴えには、正直違和感を覚えます。


平和を願うことそのものは大変すばらしい、価値あることだということは、私も一切否定するところではありません。

しかしそもそも戦争とはいかにして起こるのか? それは一方(一国)が他方(他国)に対して己のエゴを押し付けることから始まる、と私は思っています。

平和の実現を目指し活動を行う多くの人々の中には、他者の権利を侵してもそれに「気がつかない」方たちがほんの一部ですが含まれていることに気が付きます。そのことを思うと少々残念に思う年の瀬です。


ちなみに「命どう宝 」も言葉そのものはすばらしいものなのに、

検索で出てくるものはなんだか微妙。