09年度日本史Bセンター本試験解説
第6問
問1 Xが正しく。Yが誤り。
Y ロシア革命に対する軍事干渉とはシベリア出兵。
誤っているのは、「米価が下落」の部分でした~(^^;)。
「腹が減っては戦はできない」は古今東西共通の真理で、シベリア出兵を見越した
米の買い占めが起こり、米価は上昇したのです。
それが、米騒動の原因の一つとなりました。ついでいえば、米騒動の中心はの「農民」ではなく、
「都市民」ですね。ここも違います。
問2 Ⅲ-Ⅰ-Ⅱの順。
ⅠとⅢはどちらも1920年代ですが、内閣が違いますね。
こういうとき、内閣の順番をおぼえていると、結構いいですよ。
Ⅰは田中義一内閣。1928年。
Ⅱは浜口雄幸内閣。1930年。
Ⅲはワシントン海軍軍縮条約。1922年(ワシントン会議は1921~22年)。
問3 Xが正しく、Yが誤り。
X 普通選挙法が成立したのは1925年だから、「前後の両年」とは1924年と1926年です。
それさえわかかれば、あとは表を比べるだけですよね。
Y まず、知識として必要なのは世界恐慌が始まったのは1929年という知識。
昭和恐慌の1930年をおぼえていてもできますね。
あとは、規模の大小を表から読み取る問題。
見るポイントは、「1件当たりの参加小作人数B/A」です。
世界恐慌前の1928年は「40.3人」もいたのに、1930年以降は減っていますね。
小規模化してますね。(*^_^*)
ですから、Yの「大規模化する傾向」が、誤りなんです。
問4 ③が正しい。
① 満鉄は、ソ連に撤収されましたが、正式な閉鎖は、一応1945年9月です。
② 山東出兵は田中義一内閣です。田中内閣は立憲政友会が与党なので、
幣原喜重郎は入閣していません。
この時代(憲政の常道時代)は、
立憲政友会と、憲政会(のち立憲民政党)の二大政党の時代です。
幣原喜重郎が外務大臣をつとめたのは、憲政会(立憲民政党)の方です。
④ 大東亜会議は1943年、東条英機内閣です。
この内閣の外務大臣はころころかわってます。
開戦当時は東郷茂徳でしたが、大東亜会議のときは重光葵です。
問5 順はⅢ-Ⅱ-Ⅰです。
Ⅰ 日中戦争勃発後の南京大虐殺ですから1937年。
Ⅱ 満州事変勃発後の、リットン調査団の派遣は1932年。
Ⅲ 張作霖爆殺事件ですから1928年。
問6 ④が誤り。
④ 「修身」は、日本歴史や地理とともに廃止されました。
問7 Xが誤り。Yが正しい。
X 配給制度は戦後も続いてました。
私の戦後史の授業で横浜校をとった人は直前に、
配給だけで生きようとして、餓死しちゃった方のお話を聞いてますよね。
問8 ③が正しい。
条約はサンフランシスコ平和条約です。何年かは問題文中に書いてありますよ。
① 小笠原諸島の返還は1968年。
② 警察予備隊はすでに1950年に創設されています。
④ 中華民国と中華人民共和国は、会議に招聘(しょうへい)自体されていませんし、
インドやビルマは会議参加を拒否しました。
また、会議に参加しながら調印しなかった国は、ソ連以外にチェコとポーランドがあります。
では、これで終わりです。よろしく、
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