不織の扶植の謎。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 昨年からずっとそうだが、これもコロナ禍か、ADSLが詰まり続けている。ADSLは古代の電話回線を使っていて、光回線とは無関係だから光だらけになればスカッと開くだろうと想像していけれど、まったく逆で、ますます詰まるようになった。なぜなのだろうか?古くて錆びてきたのだろうか。回線の皮膜にテータがこびりつき、動脈硬化になったせいか。無知な私にはわからない。思うのは、ただ、遅くても良いから、穏やかに繋ぎ続けよッということだけである。

 もっともコロナのおかげで車夫業界もどんよりし、今月は通常の四分の一ばかりの労働体制になり、とても助かっている。これも、国が補助の対象に加えてくれたおかげである。われわれ車夫はコロッと休んでも、コロ休となり、コロ補助の恩恵に与り、幾許かの給金が下賜される。もちろん、他様同様、というか算出基準は完全歩合に基づくもののため食うや食わず程度だけど、なんとか食えるレベルのようで、まだ若手が逃げていったという話は聞かない。こういうわかりやすい業界には、国も手厚いらしい。
 すでにこの前の緊急事態宣言発出の時から誰もが、延長だろうと読んでいたはずだから、陽性発覚の現状にも驚きはしない。ひとつ不思議なのは、菅さんを見る目が冷たく感じられることくらいか。そもそも総理就任の時からああいうタイプの人だと判っていて選んでいるはずなのに、リーダーシップがどうのという評価は見当違いも甚だしい。リーダーシップなんてあるわけないのに。菅さんの良いところは、なんとか冷静沈着に頑張ろうという態度だけだろう。並の政治屋なら熱く燃えるパフォーマンスに走りたがるところをグッと堪えて踏み止まっている。対応がいつも遅く後手後手に回るのは、それ故のはずで、グズではあれど、とんでもないヘマはしない。本来は陰の助言役を表舞台に引っ張りだしたのだから、すべては国民のせいであり、菅さんのせいではない。
 みたいな立場でケチをつけるのはわからなくもないが、遅いだの引っ張れないだのという批判はお門違いだろう。辛い状況の中で、良く堪えてるな、と私は感心している。鈍感なんだろうかとすら思ったり。たぶん誰が総理だったとしても似たような状況だろうから、ここはケチをつけるより、黙々と引きこもるのが最善だろうか。

 とはいえ、ずっと記せば顰蹙ものだろうということしか思っていないので記さないが、最近小腹が立っているのは、例の不織布信仰である。スーパーコンピューターのシミュレーションがこの前まで流行っていた感じのエビデンスになったのだかどうだか知らないが、根拠とか証拠って言えば良いじゃんッと思うのだ。あ、和訳すると、超電子計算機の仮想実験が根拠、という感じかな。いや、そういうことではなく、不織布こそが真のマスクであり、布やウレタンは偽物である的な信仰が罷り通りつつある現実のことだった。
 これは三密回避と密接に三密する怪しからん話になるが、つまり、密でないところではマスクなどあまり意味は無く、しなくても良いんじゃね、ということと関係する。もっとも、その時は過疎だったとしても、すぐ密になりかねない空間などであればマスクが必須だが、それはその空間にコロナを媒介しかねない存在がある場合に限ることで、長閑な農道をトコトコ歩くみたいな時にマスクなどする必要はないだろう。都市の繁華な通りも農道も一絡げで語っていては話にならないが、どうも、巷に聞かれるのはそういう疎略な言説だらけで、ケケケケケと思う。もちろん私も疎略なら引けを取らないが、こと命に関わるというなら疎略じゃマズイ。
 なので、速やかで、熱い指導力など無くて良いわけで、菅さんくらいのんびり考えこみそうな人で正解だろう。
 いや、不織布のことだった。

 私はマスクを五枚くらい作り、それを愛用し続けているが、すべて布製である。
 不織布マスクは息苦しく、呼気が小鼻の隙間から目の方へ抜けるせいで老眼鏡が曇るし、呼気がまつげを震わせて目が痒くなるから好かない。で、布で手製したのである。
 不織布というのは文字通り織らない布で、私の記憶では植物の繊維で作られる紙のようなものではないかと思われる。昔、紙おむつの狐猿をやったとき、そんな情報に接したような憶えがある。この用途は幅広く、包装や袋関係にもあちこちで使われている。この利点は、繊維化できるものならなんでも使えて、繊維の密度を自在に調整でき、厚く丈夫にしたり、薄く柔らかくしたりできることか、原料コストが安価ということだろうか。フェルトのようなものだが、いまはフリースの方が身近かな。
 ここで重要なのは、繊維の結合状況で、密にすれば、当然、通気しにくくなり、マスクなら空気を通しにくくできる。もの凄く密にすれば、ウイルスみたいにちっこいやつでも通さなくなるのだろう。ゆえに、通気性も悪くなり、息苦しくなるのかな。で、小鼻の隙間からプープーと呼気が漏れ、老眼鏡を曇らせるのか。
 と考えたので、呼気を通しやすい、通気性の良いマスクにしたいから、私は布製にした。
 が、ガーゼではお洒落じゃないので、表地は酒袋とかデニムとかいろんな生地で試した。しかし、裏側は私のデリケートな唇に当たるため、ガーゼにしようと考えたが、たまたま晒木綿が大量に在庫されていたため、それにすることにした。けれど、晒木綿は目が粗めでウィルス野郎を捕まえにくそうなので、重層構造にすることに決めた。何枚か重ねれば、目が複雑に重なってウィルス野郎をひっかけるのではないかと。初めは二層にしたが、あまりにも通気が良すぎたため、四層にした。すると、かなり通気が悪くなり、小鼻の隙間から空気が漏れて老眼鏡を曇らせてしまうようになったが、とりあえず二層よりは安全性が高いだろうと想像し、表地を加えて五層構造とした。晒木綿は、水に浸すとギュッと目が詰まるため、一度洗って乾かしてから作らないといけないので、けっこう面倒臭かった。たまに布マスクを忘れてしまうと、常時予備用に携帯している不織布マスクを使うが、小鼻から漏れて老眼鏡を曇らせる呼気の具合から見て、両者の通気性はほとんど変わらないと感じる。
 不織布マスクになにかしら薬効などあるから有効だというのなら判るが、単に呼気を通しにくいというだけで布やウレタンはダメで不織布が良いと言われているとしたなら、ボンクラとしか言いようがない。これまで目にしたのは、単なる呼気の通気性のシミュレーションだけだが、他になにか、不織布の方が有効だという科学的根拠があるのだろうか?布であれ、繊維が密に交錯する構造で、通気を阻害するものなら、いかに富岳のような超電子計算機で仮想実験しても、不織布と変わらないというデータが弾きだされるのではないだろうか。
 というか、素肌への害の少なさなど考えると、木綿製の方が優秀ではないか、と私は思う。なんらエビデスはないが、あ、海老ではなかったか、が、晒木綿の八層構造くらいなら不織布に負けないのではないかと思う。まだ試してないが、それだと、小鼻の隙間から空気が漏れまくりだろう。
 ところで、小鼻の隙間から目の方に漏れた空気は、ウィルスを乗せて、周囲に飛び散ったりしないのだろうか?空気の流れによっては、周りの人々の吸気に誘われ、タンポポの綿毛みたいにフワフワと飛んで行きそうな気がするのだが。小鼻の隙から漏れたなら、ウィルスは除去されていると言うことだろうか、科学者的見解では。アホかいな、としか思えないが。

 コロナ休暇激増で良い気になって最近は深夜日記することが多くなり、ちょっと反省している。いつも眠くなって途中放棄したり、悪口ばかりになったりするから。なんと言っても、悪口ほど簡単に書けるものはないから。
 ここらで少し心を入れ替え、日中記に転換しようかな、と考えたりもしている。問題は、午後ロードがあったり、平日は忙しく、休日はお稽古もあるためだ。が、日中記の方が、酒気帯びでなく、安全性が高まるかも知れない。あああ、どうしよう。
 ということで、今夜もまた、悩みながら床へ向かうことにしよう。