昼食後にわかに悪寒を感じ、嚔鼻水が噴出した。ヤバそうなので早めに焼酎をやり風呂に漬かったら、少しラクになった。たぶん、病院巡りの途中で謎の風邪菌を拾ってしまったのだろう。
午前は妻が二軒の病院へ行かなくてはならないというので、専属車夫になり市内を走り回った。妻がなにかやっている間、待合室でボーッとしていた。周囲では嚔が炸裂していた。目視できなかったが、鼻水や唾液も花粉に負けまいと飛散していたことだろう。私は服以外のものを身につけるのが嫌いで、当然、マスクも手袋もしない。病原菌のつけいる隙だけなので、病院へ行くときっと体調を悪くする。心霊スポット巡りに出かけた阿呆が悪霊に憑依されるのと同じである。
午食を作るのが面倒なので、帰路のスーパーで高級カップラーメン(辛味噌味)と鶏五目握り飯を買って誤魔化したが、手に付着していた病原菌が握り飯を媒介として口腔より体内に潜入したのかも知れない。もちろん、帰宅して手洗いもしなかったから。
体調悪化が今日で良かった、と思った。
昨日は、やはり妻と孫見に出かけたからである。昨日憑依されていたら、たいへんな事態を引き起こしてしまうところだった。なんとも幸運なことだ、と安堵した。実についている。嚔をしつつ、自分の運の良さを喜んだ。ほんとにおれってつきまくってるな、と鼻をかみつつ思った。
このように、物事は見方ひとつなわけで、いくらでも災い転じて福と成せるのである。
さらに幸いなことに今は三連休の中日であり、私の休日は明日まで続く。幸運もここまで来ると、ちょっと怖くなる。こんなことにツキを使ってしまうと、ジャンボ宝くじが寄りつかないのではないかと。月光を浴びて失ったツキを補充しようにも、今夜の空に月はない。
そして夜を迎え、風呂で温めた体はまたすっかり冷えてしまい、嚔が漏れているが、明日からは頑張って手洗いしようということである。それが、二孫を得た年寄りの義務である。
老人は、手を洗うべし。
ついでに、気が向いたらうがいもするべし。
風邪という謎の病を避けるには、危うきに近寄らないのがいちばんだけれど、身内に病人があるからには数多の病原菌が集まるサロンである病院の待合室に行かざるを得ない。されど、マスクや手袋ができない自分に可能な防衛策は、手洗いとうがいしかない。消毒用アルコールを使う手はあるが、年寄りはつい忘れてしまうのだ。
いや待て、やはりアルコールを使うに越したことはないから、焼酎を有効活用したらどうだろうか。
外出して帰宅したら、まず、焼酎で手を洗う。
いや待て、ただ手を洗うのではもったいないから、先にうがいをするべきか。
焼酎を六四くらいで水で割り、がらがらぐらぐらとうがいをしよう。そして、その口中の液体をブーッと霧のように両手に拭きかけ、仏様を拝むように丁寧に手を擦り合わせれば良いだろう。二十五度の酒精にやられた病原菌は弱り切っているはずだから、手に流用しても問題ないだろう。
いや待て、手にかけるのは少量ですむから、たぶん口中にまだいくらかの水割り焼酎が残されているに違いない。これを吐きだしてしまうのは、どうにももったいない。と言って、両手を清めてしまえば、他に用途はなく、まさかわざわざ靴下を脱いで足まで清めようなんて気にはなれない。
そうだ。どうせ、二十五度の酒精にやられた病原菌は弱り切っているはずだから、胃に流しこんでしまえば良いだろう。さすれば、なんと、のども胃も二十五度の酒精の深遠なるパワーによって清められてしまうではないか。一石二鳥どころではない。一石で三鳥も稼いでしまうのが、焼酎うがいの神秘的威力である。おまけに、ホロホロと酔えたりするわけで、まさに神の恵みといって良い。
という事情で、風呂に漬かりつつ焼酎も呑んだのであった。
という経緯のために、もうほろ酔いをオーバーランし、酔っ払いに近づいているわけである。
こんなことを言うと、消毒用のアルコールと焼酎は違うという人が多いが、私は十数年間、梅の消毒を焼酎でやってきたけど、黴が出たことはなかった。容器は無水アルコールでやるが、梅は焼酎のプールで沐浴させる。こうする前に一度だけ黴びたことがあったが、こうしてからは一度も黴びていない。また私は擦り傷切り傷が絶えない方で毎日のように血を流しているが、消毒はたいてい焼酎でやる。口に含み、プッと傷に吹きかけてやる。こうすると、口に残った焼酎を呑んでも良いので、お得なのだ。もちろん吹きかける分は、ちょびっとで充分。多めに口に含めば、なかなか飲み応えがあるのである。
擦り傷切り傷などネギのヌルを塗るだけでも上等で、昔はペロペロなめてすませたもので、焼酎なんて使うのはかなり先進的なことで、医療が進んだ現代ならではと言っても良いだろう。手近にネギが生えていないという事情もあるが、ペロペロなめるだけよりは衛生的のような気がする。
故に、私も文明人の端くれと自認できるわけで、なにもかも焼酎のおかげである。
トランプ金会談事件とか話題で私も気にして眺めたけれど、面白くなかった。全体的にメディアで接した話はつまらなかったが、晩飯後目にした海外移住した年収四百万円の生活というのは腹立たしく興味深かった。生活形態の格差が腹立たしいわけではなく、金融経済カルトの洗脳に一抹の疑問も抱かず優雅生活を謳歌する人間を育て続けている人類の文明というものに腹が立つ。こういう気分は宗教関係を眺めるときと似たもので、経済と離別した宗祖たちの根本精神などどこ吹く風で、組織だの自社寺院の存続のために経済活動が不可欠であるとして経営に手を染めて当然と考える宗教者の感覚に覚える不快感のような感じというか、人間が経済の呪縛からまだ千年くらいは解き放たれることがないのだろうなと鼻がたれる。
日本人が移住したい海外の国の人気ナンバーワンはマレーシアだそうで、目と鼻の先のシンガポールと較べてべらぼうに物価が安く、資源が豊富なので税金も安いとか。故に年収四百万程度でもリッチな生活ができると騒いでいたが、マレーシアは農業国なので食物が安い点が大きいだろう。水も豊富で、昔の日本のように湯水のごとく使える。もちろん、日本も昔は農業大国だったから、貧しくても食うには困りにくかった。戦前までは、マレーシアみたいな国だったような気がするが、どうなんだろうか。安倍政権が取り戻したがっている日本とは、そういう国ではなく、経済大国だと思うが、経済大国である程度稼いだものは、どうしたわけか、昔の日本みたいな、水が湯水のごとく消費でき農漁業の産物が安価に手に入り、土地も安くゆったりした家も気軽にゲットできる海外に移住したりする。
いい加減に金融経済カルトによって増加する一途の狂気を減少させて、昔の生活環境の根本的利点を明確に把握し、その精神性をコンセプトとする国家のリデザインとかをやろうと考える時代になって良いような気がするが、いついつまでも金融経済カルト信仰を脱することがなさそうに見える。
国のリデザインは、もとより、人間の精神のリデザインなしにはあり得ないので、政治程度がなし得る仕事とも思えない。やはり教育が肝要なわけで、要は宗教になるのだろうか。けれど、宗教も総崩れで、教団経営に忙しく、人間の魂云々どころではない。癒やしてあげるから料金をちょうだいという感じのようで。まるで性悪な車夫のようではないか。
や、鼻水のせいか悪口っぽくなってしまった。
ま、あと一日休みだから、鼻水は枯れ、性格もいくらか改善されるかも知れない。
いや、悪口してたら、嚔も鼻水も治まった。焼酎消毒よりも効くかも知れない。
風邪かなと思ったら、悪口しようか。
われら金融経済カルトにつける薬はないけれど、もしかして、ストレス性の鼻風邪には最善の療法になるかも知れない。