今日の吝嗇。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 今年も事件が多発し、いちいち日記していられないが、一昨昨日、またオタマのエンジンがかからないと妻が騒ぐので、ポンコのを移植してやった。もう二回四輪用の充電器で充電したが、駄目そうなのでまたバッテリーをネットで注文した。
 オタマに入っていたバッテリーはYUASAの高級物で、二年ほど前妻がGSで交換してもらったものだそうで、一万円ちょっとかかったという。昨年ポンコに入れたのは、AZという中華メーカーのもので、代金は千九百円弱。自分で交換したので、手間賃はゼロ。これは中華製としては抜群の質ではないかと感じている。料理の次にすごいのが、リチウムイオンバッテリーか。

 そのようにオタマとポンコの間には八千円超という深くて暗い川があったのである。
 高級バッテリーも寄る年波には抗えず、寿命は尽きる。二年は早い気がするから、私が四輪用の大電流で充電したせいかなという気もするけれど、もはや原因は特定できない。もっとも、老衰で息も絶え絶えのバッテリーだけれど、ポンコに移したら、けっこう延命している。基本的に家で始動するときはキックでやるから、バッテリーに負担はない。せいぜい灯火類を点す際に頑張ってもらう位なので、日中のお買い物ランディングにはなんら差し障りない。完全に干上がっていなければ、古い2サイクルエンジンものなら充分使えるわけだ。なにかトラブって動かなくなるとやだから一応新陳代謝させるけど、もしかするとまだ二年くらいはいけるのかもしれない。まだ使えるものを捨ててしまうのは惜しまれてならないが、安全、便利、快適のために、私は千九百円弱を投じる決意をしたのだった。
 私はかなり吝嗇だから、今夜は今日の活動を元に、ブルースでも聴きながらわが吝嗇ぶりでも記録しようか。

 

 

 古いものほど可愛いもので、今日は半分くらい、家に放置されていたオールドPCを蘇生させて時を費やした。理由は有り、妻が仕事のために家でもPCを使いたいと言うし、次女が一台欲しいというからである。先日代替したのはまだ健在でいざというとき用に温存しておくが、他四台は冬眠しているだけなので、目覚めさせた。一台は重傷過ぎたから、葬ることにしたが、三台は蘇った。すべてXPでメモリは貧弱だけど、ディスクを掃除し葬ったPCからメモリを移植したら、まだ代筆仕事程度になら充分使える状態まで回復した。いや、回復というより、以前より健康体のような。とはいえやはりスペックは貧弱だし、すぐ凍り付きそうだから仕事に使う気はないが、次女は元PCエキスパート的仕事をしていたらしくかなり詳しいし、妻が使うのはエクセル程度だからこんなもので十二分だろう。
 そうして古いXP機を弄っているうち、久しぶりにスパイダーソリティアをやった。つい先日まで、PCがなにかやって待ち時間が長そうだと、暇つぶしにやっていたが、Windows8にはそういうゲームのオマケがない。ケチ臭いな、と腹が立っていたが、XPのをやりつつ、ああ、こいつを放り込めば使えるかと思い、USBにテーブルゲームをいくつかとdllをコピーしてWin8の肩口辺りに移植してみたら、ちゃんと使えた。古いものはシンプル故に、適応性も高いのだろうか。
 

 もちろんちゃんと労働もしたので安心していただきたい。先日のオーダー二つも納品した。終日引きこもって作業していたが、至って健康であり上機嫌。XP機三台は蘇生し、元気に壊れる時を待っている。
 さらにいろいろやったこともバラしておこうか。
 いちばん印象的な記憶は、ついに風呂場の沓摺の修繕を完成させたこと。第一期工事をやったのは昨年の春か初夏の頃だったと思うが、ようやく完工させる気になり、一度バラして床下にシロアリ殺しを撒き、ビシッと閉じた。なにしろPCのOS関係を弄ると待ち時間が多くて退屈なので、そんなことをやったり、仕事部屋の音響環境を改造したり、どうでも良いことをいろいろやったのだった。
 

 そうこうするうちに、バッテリーを注文した業者から、発送完了報告が舞いこんだ。今夜のうちに神奈川配送センターに届いたようだから、明日には来るか。バッテリーだけだと送料無料にならないので、ついでにオイルとバックミラーのネジを隠すブーツも混ぜて送料無料にしたのだった。もっとも気になっているのは七百円くらいのブーツ。これがポンコに似合うか、とっても気になり、早く試してみたい。バッテリーなんて、動かなくなったらつければ良いから後で良いが、ブーツは今すぐにでも試したいのである。ブーツといっても、ただの樹脂のカバーだけど。
 

 なんてやって遊んでいるので上機嫌なわけだけど、すべてはオタマが動かないという悲劇から始まった。妻は仕事に後れると泣き喚き、隣の犬が呼応するかのようにウォーンと遠吠えし、近所の奥さんはキャーッと叫び、野良猫がニャーと鳴いた。かく阿鼻叫喚さながらの中で、私は黙々とバッテリーを移植したのであった。
 歳改まり、世の中は平常運転に戻っている。一年のうちもっとも多い、ありふれた一日のひとつだった。こうしてどうでも良いことをせっせとやって時を費やすうちに、もう今年も終わりかとまた思うのだろう。善し悪しはおいといて、私的には、ありがたいことだと感じる。
 元号について新聞もテレビも騒いでいた。もう流れは決したようだから、元号も遠くないうちに変わるのだろう。平成は昭和の半分になりそうだけど、陛下の皇太子に寄せる思いなども感じられ、そういう点だけは良い国だなと思う。西暦で統一してしまった方が便利だけれど、日本人は未だに元号を欲する。私も宣伝物でわざと表記統一せず、西暦と元号をまぜこぜすることがある。その方が、西暦と元号が一致して迷いにくいから。普通は迷わないように統一したがるものだけど、統一しない方が迷いにくくわかりやすいということもある。
 こういうのは、愉しい矛盾というものだろうか。
 インジェクション方式のオタマでは瀕死のバッテリーが、2サイクルのポンコに移植されると延命的活力を見せるというのも、奇妙な矛盾のようでもある。
 Win8に移植され、のほほんと働いているテーブルゲームというのにも、なんとなく矛盾っぽい印象を覚える。
 もはや古くて使い物になりそうにないものでも、時と場を得れば、絶対的な能力は発揮し得ないとしても、まだまだ生き続けられるということか。
 生き続けられる限り活かされた方が、生物無生物も有機無機も問わず合理的のような気がするから、吝嗇も悪いことではないのだろう。