秋葉。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 だいぶ回復したが、まだ油断すると痛む。今日は稽古を止めて温和しくしていようと思ったが、皆さんに渡すものがあるのでのこのこと出かけた。

 秋葉といっても、都会の観光名所ではない。ただの秋の葉っぱ。

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 鈴掛の木も色づき、葉も揮いだした。
 春には眩いほどに華やぐ桜並木の遊歩道は、落ち葉路。桜葉は色づくと見る間に散る。昨日とは、もう違う景色になっている。

 人間は一枚一枚と羽織るものを増やしていくのに、つい先日まで緑葉を閃かせていた木々が、駈け足で裸になっていく。
 路に落ちた葉は、人に踏まれ、景観を汚すゴミとして集められ捨てられる。土に触れ土中バクテリアと出会えるなら滋養豊かな堆肥となることもできるだろうに、哀れなものだ。

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 川面に落ちた葉は、幸いか。乾涸らびた体を淡水が包み潤してくれることだろう。川底に散り積もり、潮水に溶け、大気の熱に召し上げられ慈雨となり大地に還る道もある。己の母体が成した種子が、大地に芽吹いていたのだとしたならば、こんな喜びはないだろう。子か孫か知らないけれど、確かに己の遺伝子を受け継ぐ世代に乳を与えられる。できることならば、すべての落葉に、その喜びを恵みたまえ。



 リハビリテーション代わりに体育館の周りを散歩した。
 いつもは桜とオリーブばかり目につくが、思いがけずモミジバ鈴掛の木が多いのに気がついた。
 プラタナス。都市の街路や公園によく目につくありふれた外来種。さして魅力的とは思えないけれど、すでに日本の風景。入ってきたのは明治だろうか。百年も居着き、疎まれることもなく生きているなら、もはや日本種に加えても良いのかもしれない。加えることもないが、在来種と仲良く共生できる柔和な木なのだろう。

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 土曜教室の教え子たちは、思えばもうみんな黒帯。次には二段になるだろう人も稽古に来た。
 審査に三人取りというのがあり、その稽古が中心。三人取りといっても合気道の場合、捕りではないので、言葉遣いがおかしい。言うならば、三人捌きだろう。投げというのもおかしい。投げられているものの多くは演技に過ぎない。重要なのは、捌きと崩しだろう。本来は大東流のように捕るべきと思うが、まあ、それはまたにしよう。今夜は、腰の具合が戻りつつある祝いの記録。
 三人取りの体捌きを眺めていると、つい、しゃしゃり出てしまい、自分でやって腰がグキッとなった。しまった、とまた見学に回ると、右手で少女たちが先週私が伝授した護身技風演武をやっているのが目に入り、そうじゃなくて、とついしゃしゃり出てしまい、自分でやって腰がグキッとなった。しまった。
 もう温和しく見ていようと下がると、肘絞めに首を傾げている組と目が合ってしまい、ここはこんな風にやるとね、としゃしゃり出てしまい、自分でやって腰がグキッ。しまった、またやってしまった。と振り返ると、杖演武に取り組む奥様方と目が合ってしまい、いやだから、としゃしゃり出てしまい、自分でやって腰がグキッ。道場は稽古するためにいくもの。稽古できないものは足を踏み入れてはいけない聖域だな、と反省した。

 秋は、星月夜。秋は、紅葉。秋は、つくづく艶っぽい。諸々色を深め、香り立ち、撓垂れる。
 芒も良い。芒は静止では味にかけ、やはり風を受け、髪を靡かせて欲しい。芒は風の植物なのだ。止まることなく風に体捌かれし続け、やがて乾涸らびて大地に倒れ朽ちる。

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 人以外の自然物はすべからく重力に引かれ、大地に還るのが、本来の道。人もそうであって欲しいが、なかなかそうもいかないらしい。
 次の世に滋味を伝えうる川面の落葉は、まったく恵まれている。
 人間は、なにを伝えられるものだろうか。
 と思うと、ついついしゃしゃり出て、腰がグキッと。

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