盛夏の青果のせいか。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 一昨日書きかけた記録を終わらせとこう。
 が、まて、変態だと思われても良いけど、虐められると困るから言い訳しておこう。
 時々、ここの記述はガラッと顔つきを変えるが、かけ出しの頃、代筆業の先輩から良いことを教わったためだ。「代筆屋は、多くの文体を使えないとダメだ」と。なるほど、と感心した。故に今も様式の多様性を保全するために、時々他人に成りすます。故に混乱するが、当人はいたって楽しい。
 で、一昨日。

 わざと机にケータイを置き忘れて、昼食探しに近所のスーパーマーケットへ行った。
 入口の境界を越えると、安価な物欲のハーレムが広がっていた。
 色とりどりの果物たちが、華やかに歓迎してくれた。
 正面にいたグレープフルーツが、黄色や橙色の顔で語りかける。
 あら、お待ちしていましたわ、どうぞ、ゆっくりくつろいでいらして、と。
 まず目を惹かれたのはマンゴーたち。綺麗どころが揃い、紅や橙の滑らかな素肌を惜しげもなく見せつける。グレープフルーツの斜め後、アメリカンチェリーの集団と並び、南国の果実はお嫌いかしら?と甘やかに誘う。
 紅く熟れた体は宮古のアップル種か。柔らかな曲面が手にしっくりなじむ。
 橙の肌をくねらせているのは、東南アジアのペリカン種たちだろうか。
 マンゴーたちを愛で南国の情熱に触れていると、パイナップルの山の向こうから、バナナが目差しを投げかけているのに気がついた。
 黄色い首をくいと伸ばして、哀しげに見つめている。
 そういえば、この数ヶ月、バナナをすっかり見限ったような状態だった。せっかく特売してくれているのに可哀相だが、人間は気まぐれな生き物なのだ。許しておくれ、と胸の奥で詫びた。
 どうにも居たたまれなくなり、後退り踵を返して野菜コーナーへ逃れた。

 立ち止まると、もやしが39円の痩身を並べている。
 このところ人気が高いせいか、穏やかな顔つきなのでほっとした。
 ところが、左隣にいた中国産トップカット竹の子に気がつき、安堵は一瞬にして吹き飛んだ。
 竹の子は透明ビニルに包んだ裸体を晒し、厳しい眼差しで睨めつけていた。
 しまった、こいつも久しく相手していなかった、と思いだした。
 案の定、とがった脳天を突きつけて抗議してくる。
 なによ、すっかりご無沙汰しちゃって。あたし入り湯麺には、もう飽きちゃったんでしょ?
 図星を指され、私は青ざめた。
 あれほど湯麺に偏執していたのに、浮気の虫が騒ぎ和物に入れあげ、ほったらかしだった。先月、つい出来心で掘りたて皮付きに手を出したせいもある。地場産を刺身にしてわさび醤油で味わってしまうと、輸入物には食指が動かない。パッケージは有機よと訴えるけど怪しいものだし。
 竹の子には気づかなかった振りをして鮮魚売場へ立ち去ろうとすると、お願いッ、行かないで、こっちを向いて、あたいお買い得なのよ!、1パック99円よ!、賞味期限だって長いのよ、あたいを湯麺に入れてちょうだい、と続けざまに哀訴してくる。
 いかに冷淡な私ではあっても、その呼びかけには振り向かざるを得なかった。かつては、口に入れても痛くないほど可愛がっていた竹の子なのだ。木耳とこいつだけは、いつでも側にいた。耳を塞いで立ち去ることなど、できようもなかった。
 私は竹の子をじっと見つめ、わかったよ、湯麺は暑いから、涼しい夜に酢豚にでもして可愛がってやるから、そんなに切ない声を出すなと宥めて手を伸ばした。

 と、その瞬間、もやしの右隣にいた、韮の冷たい視線に気がついた。
 韮にも睨まれていた。
 もやしばかりは相変わらず昵懇にしているが、韮とも疎遠になっていた。一年中目につくとはいえ、やはり春を過ごすと手が伸びなくなる。
 そう恨めしそうに葉の先っぽで睨まないでおくれ、おれにらって事情があるんだと説き伏せようとしたが、韮は無言でにらめしそうに睨むばかり。
 竹の子になさけをかける様を目撃されたのでは、無碍にもできなかった。
 わかった、わかったよ、一把おいで。
 と、優しくカゴに抱き入れてやると、韮は葉先を奮わせて悦んだ。

 こう誘惑が多くては気が休まらない。様子を探ってから動こうと、ひと渡り見回した。
 すると、あちこちから熱いあるいは冷たい視線が飛び交い、そこかしこで私を誘うもしくはなじる声が陽炎のように立ち昇っていた。
 ねぇ、こんなに頑張ってお値段ダイエットしたのよ、と遠くでキャベツが叫ぶ。すると、あたしだって1/4カットはお値打ちなのよ、豚バラに合うのよと向かいで白菜が切々と訴える。大根が白い太股を露わに誘いかけ、人参も負けじと紅潮した二の腕を見せつけ、ピーマンと茄子があたいたちも忘れないでと色めき立つ。また茸コーナーでは椎茸が苦しいわとべそをかき、隣でシメジがじめじめ嗚咽し、粘液に封じこめられたビニルパックの中でナメコが嘗めないでよッと癇癪を起こし、お昼はナメコ饂飩にしなさいよォと詰め寄る。
 青果売場は恨み言の総浚い一大セールさながらだった。
 オーケー、みんな連れていくよ。と、ひとつずつ抱き上げると、あっという間にカゴが満杯になりずしりと重くなった。あ、と思いつき、バナナも連れてきた。
 やれやれと重いカゴを手に青果売場を去ろうとしたときだった。
 甘藷や馬鈴薯の段ボールの陰に青々とした煌めきを目撃して立ち竦んだ。

 梅だ。大阪の梅田ではない。
 梅漬けの季節になっていたことを、私はすっかり忘れ果てていた。
 慌てて駈け寄った。近くに見ると黄色や赤味を帯びたものも多く、手を触れるとすでに熟しているのがわかった。もう、漬け頃はきている、と直感した。
 1kgずつビニル袋に詰められた南高梅が、6袋だけあった。他に在庫があるのかわからなかった。
 これが売り切れたら、もう入荷しないのかもしれない。
 そう思うと居ても立ってもいられず、急いて野菜たちを元の売場に戻し、梅の袋五つと赤紫蘇をカゴに入れてレジへ向かった。
 かくして昼飯を買い忘れ、残り飯で具なしピラフを作って食った。


 昨日漬けた梅は、もう梅酢にひたり、色気を抜かれた。
 土用には、三日だけで良いから、突きぬけるような青空が続きますように。

$新・境界線型録-梅酢に浸った