平成27年tw

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「水戸黄門」という時代劇は結局、こういうドラマだった。 

1.生類憐みの令の理念を巡る徳川光圀と柳沢吉保または地方権力者たちとの対立  

2.綱吉の次の将軍に誰を押すかに関する光圀と吉保らとの対立 

3.徳川光圀と実子・頼常、養子・綱條との家族ドラマ

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「水戸黄門」では柳沢吉保は紀伊の綱教を綱吉の次の将軍に推していたが、光圀は甲府宰相・綱豊を推し、結果、綱豊が6代将軍・家宣となった。家宣の子・家継が病に倒れ、次は誰かという時、綱條が辞退して吉宗を将軍に推したのは、水戸による紀伊への配慮だったか。

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/#元禄レトロ

この話で柳沢吉保は敵役だが、なぜ吉保が悪役なのか、分かりづらい。冷静に見ると吉保は法治を徹底させようとしていた幕臣であり、水戸光圀の方が越権行為をしていた。X(1)

水戸黄門2-#33お犬さま再放送終了 | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)

 

役人が魚屋を捕らえて投獄したのは生類憐みの令に基づくものだろうし、法治国家としては当然。助三郎が投獄されたのは魚屋の罪をかぶったから。助三郎は弥七から提供された印籠を役人に見せて釈放してもらおうと試みたが、これは封建的な権威主義である。柳沢の方が近代国家の法治主義に忠実だった。

 

少なくとも1971年当時の多くの日本人はこの話を見て、「水戸黄門が正義で、柳沢吉保が悪」と認識していたのか?これは法治の否定であり、のちに「水戸黄門」が批判される一因であろう。

 

この回では綱吉が生類憐みの令を出した背景には綱吉の母・桂昌院が信頼していた僧侶・隆光の影響があった。つまり「憐みの令」が「悪法」とされた時代には「宗教による影響」のような理由付けが必要だったのだろう。

 

犬公方・徳川綱吉は正保3年(1646年、丙戌)生まれ。

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「水戸黄門」第2部第33話「お犬さま」 劇中、桂昌院と柳沢吉保は綱吉の次の将軍として紀伊の綱教を推しており、その次に柳沢吉保の息子・吉里を綱吉の落胤として将軍にしようと考えていた。光圀は綱豊(家宣)を推しており、これが光圀と吉保の対立の根本だったようだ。 /#元禄レトロ/

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周知のごとく、綱吉の次の将軍は甲府宰相・綱豊(家宣)であり、6代将軍候補の推薦で光圀が勝った。しかし家宣のあとの家継が夭折し、紀伊綱教の弟だった吉宗が8代将軍になった。今回の「水戸黄門」第2部第33話に登場した綱教が吉宗の将軍就任に貢献したらしい。

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柳沢吉保が吉里を将軍に推挙したという説について。もし吉里が綱吉の落胤だとすると、吉里は吉保の実子ではなく、綱吉が吉保の妻(飯塚染子)に産ませた子だと言うことになる。吉保にとってこれは望ましいことではあるまい。

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助三郎は虚偽の自白でわざと投獄され、あとで印籠(弥七が投げ入れた)を役人に見せて、釈放してもらおうとした。もしこれが通用するなら、葵の紋所を悪用した非道がまかり通ることになる。ナショナル劇場では光圀没後に伊勢山田奉行時代の大岡忠相が紀伊藩主時代の徳川吉宗を裁いた一件が描かれている。

 

助三郎は印籠を見せてもすぐに釈放されなかったことについて、「柳沢吉保が奉行所に圧力をかけたのだろう」と推理したが、柳沢吉保の法治主義の方が「まとも」であった。

 

水戸黄門第2部第33話「お犬さま」 光圀が綱吉に犬の皮を送ったとき、吉保は綱吉にこう進言した。「水戸の御老公はご乱心。乱心物を『副将軍』などと遇する必要はありません。蟄居が適当でしょう」と進言。光圀が乱心でなくても「副将軍」などという役職は虚構であり、光圀は隠居の身なので蟄居は当然。

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劇中、桂昌院と柳沢吉保は水戸光圀と対立していた。その原因は、水戸光圀が「副将軍」を名乗って幕政に口出しする越権行為だった。

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関連語句

吉里】【生類】(twitter)

 

参照

平成23年tw

/『水戸黄門』における生類憐みの令 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史/

2011-09-16 19:00:00

 

/『水戸黄門』第2部第33話「お犬さま罷り通る」の時代設定を検証 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史/

2011-09-23 23:11:00

 

平成27年tw

水戸・徳川光圀と紀州・徳川吉宗III+甲府宰相・綱豊=徳川家宣

 

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【再再掲】水戸黄門2-#33お犬さま