江戸時代、ハレー彗星が接近したのは1607年(慶長12年)、1682年(天和2年)、1759年(宝暦9年)、1835年(天保6年)だった。 徳川吉宗は1684年11月27日(貞享元年10月21日)生まれ、1751年7月12日(寛延4年6月20日)没。吉宗の存命時にはハレー彗星は地球に接近していなかった。
令和5年1月31日、夕方5時再放送予定
本放送:1986年3月21日
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令和5年1月31日、夕方5時再放送
「仕事人V激闘編」第17話 「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」
本放送:1986年3月21日
塾の子供同士のイジメ問題が話の中心。江戸時代よりも東京時代の放送当時の世相がわかる。
「仕事人V激闘編」第17話 「ハレー彗星」(1986) 中村主水いわく「もし彗星が地面に落ちたら、どこに逃げても無駄」。 平成2年の2時間スペシャルでは主水は文政11年(1828)またはその翌年の時点で主水は地球が丸いことも地動説も知らず、高橋景保(演:前田吟)から説明されても理解できなかった。
裏番組
BS12
中国時代劇
大宋宮詞
第5話~第6話
劇中、ハレー彗星接近の時期に地震が起きていた。こういう記録はないだろうか。
1986年(裕仁天皇61年)本放送
令和5年1月31日再放送
江戸時代のハレー彗星接近は
1607年(慶長12年)
1682年(天和2年)
1759年(宝暦9年)
1835年(天保6年)の4回。 その次は1910年(明治43年)だから東京時代になる。
放送当時は昭和61年(西暦1986年)なので/#昭和レトロ/の世界。 江戸時代のハレー彗星接近は/#慶長レトロ、#天和レトロ、#宝暦レトロ、#天保レトロ/のいずれか。
「元和」は「慶長」の後で、大阪夏の陣の直後。大御所・家康の晩年、2代将軍・秀忠の時代が含まれる。その次が「寛永」、家光の時代。 「天和」は綱吉の治世の初期で、その次が「貞享」と「元禄」。
劇中の元号は示されていない。 仕掛人は別にして、仕置人~仕事人の時代設定を考えると19世紀後期の文化・文政から幕末までの場合が多いので、劇中の彗星接近は天保6年(西暦1835年)の出来事だった可能性がある。
裕仁天皇61年(西暦1986年)放送。 徳仁天皇5年(令和5年)1月31日再放送。 仮に劇中の時代が天保6年(1835年)であれば、仁孝天皇、将軍家斉の時代か?
劇中の時代が天保6年(1835年)だったとすると、文政末期のシーボルト事件(1828~1829)から6年後、天保末期のアヘン戦争(1840~1842)から5年前、天保の改革(1841~1843)から6年前の話になる。
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〔令和5年1月〕
〔令和5年2月〕
関連語句
〔【激闘編 ハレー彗星】のブログ記事検索結果:15ページ目|Ameba検索〕
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/江戸の空にハレー彗星が飛ぶ - Twitter検索 / Twitter/
〔仕事人 ハレー彗星 @kyojitsurekishi - Twitter検索 / Twitter〕
参照
令和2年BLOG
/文政→天保→幕末 : ものがたりの歴史・補足 (blog.jp)/
2020年1月27日
令和4年BLOG
〔【時代設定】仕事人V激闘編<TeaCupより - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史〕
2022-07-18 09:48:23
└→平成25年、TeaCupBlog(2013/10/10 19:18)より