@RiniaYk 当時は「鎌倉幕府」などということばはなかったらしいので、源頼朝は「俺は鎌倉幕府なんか開いていない」と言うでしょう。あと頼朝は西暦でなく元号を使って文治元年(1185年)に守護・地頭を置いて、建久3年(1192年)に将軍になったと認識していたでしょう。
返信先:@mainichi_kotobaさん,@morningshow_tvさん
「平成」は「へいせい」である。「平城京」は「へいじやうきやう」だが、母音を揃えるなら「へいせいけい」か「へいじやうきやう」だ。「成城大学」は「せいじやうだいがく」だが、「成城」は「せいせい」か「じやうじやう」になるはず。 シナ語で「平成」も「平城」もPingchengになる。
/#固有名詞問題/
「文治」は呉音で「もんぢ」、漢音で「ぶんち」なので、「ぶんぢ」は漢音と呉音が混ざっている。
虚実歴史、漢字と固有名詞、懐メロ(@kyojitsurekishi)-「文治」の検索結果 - Twilog
posted at 00:30:28/午前0:30 · 2018年6月20日//
#元号 「文正(1466~1567)」と「文政(1818~1830)」は呉音で「もんしやう」、漢音で「ぶんせい」。「政」は「正」を声符とする形声文字である。 今の中国人が普通話で読めば發音はどちらもwen2zheng4になるだろう。
〔#元号の日〕
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「文治」は呉音で「もんぢ」、漢音で「ぶんち」なので、「ぶんぢ」は漢音と呉音が混ざっている。
/虚実歴史漢字論懐メロ(@kyojitsurekishi)/「文治」の検索結果 - Twilog/
〔#呉音と漢音〕
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📅2021年11月(文政204年、天保192年、弘化178年、嘉永174年、安政168年、万延162年、文久161年、元治158年、慶応157年、明治154年、大正110年、昭和96年、戦後76年、平成33年、民国110年、皇紀2681年霜月)