/@kyojitsurekishi//

@RiniaYk 当時は「鎌倉幕府」などということばはなかったらしいので、源頼朝は「俺は鎌倉幕府なんか開いていない」と言うでしょう。あと頼朝は西暦でなく元号を使って文治元年(1185年)に守護・地頭を置いて、建久3年(1192年)に将軍になったと認識していたでしょう。

/午後10:55 · 2013年7月2日/

 

返信先:@mainichi_kotobaさん,@morningshow_tvさん

「平成」は「へいせい」である。「平城京」は「へいじやうきやう」だが、母音を揃えるなら「へいせいけい」か「へいじやうきやう」だ。「成城大学」は「せいじやうだいがく」だが、「成城」は「せいせい」か「じやうじやう」になるはず。 シナ語で「平成」も「平城」もPingchengになる。

/#固有名詞問題/

/午後7:15 · 2018年3月20日/

 

2018年06月20日(水)

「文治」は呉音で「もんぢ」、漢音で「ぶんち」なので、「ぶんぢ」は漢音と呉音が混ざっている。

虚実歴史、漢字と固有名詞、懐メロ(@kyojitsurekishi)-「文治」の検索結果 - Twilog

#元号

posted at 00:30:28/午前0:30 · 2018年6月20日//

 

#元号 「文正(1466~1567)」と「文政(1818~1830)」は呉音で「もんしやう」、漢音で「ぶんせい」。「政」は「正」を声符とする形声文字である。 今の中国人が普通話で読めば發音はどちらもwen2zheng4になるだろう。

/午前9:48 · 2018年6月25日//

 

#元号の日

tweet(1) 

「文治」は呉音で「もんぢ」、漢音で「ぶんち」なので、「ぶんぢ」は漢音と呉音が混ざっている。

/虚実歴史漢字論懐メロ(@kyojitsurekishi)/「文治」の検索結果 - Twilog/

#呉音と漢音

午後7:54 · 2020年6月19日

 

前後一覧

📅2021年11月(文政204年、天保192年、弘化178年、嘉永174年、安政168年、万延162年、文久161年、元治158年、慶応157年、明治154年、大正110年、昭和96年、戦後76年、平成33年、民国110年、皇紀2681年霜月)