平成30年tw
 
今日は、長州藩三十七万石城下町の萩に来ている。来月号掲載の月刊WILLの「石平が観た日本の風景と日本の美」の写真撮りのためである。今年はちょうど明治維新150周年、久しぶり訪れる萩は格別の風情がある。
 

返信先:@liyonyonさん,@yamato19411210さん

会津の人たちは “戊辰150年”と言ってるみたいですね。

午後8:08 · 2018年2月8日·Twitter Web Client

 

今年は1945年(昭和20年)の終戦から73年、つまり だが、1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃は、明治元年(1868年)の明治維新・戊辰戦争から73年後だった。   
 
安倍首相が会津に「配慮」して戊辰戦争における東軍を「賊軍」と呼ばなかったのは、第2次世界大戦における日本が「敗戦国」だったからだろう。
 
返信先: さん
「日本が沖縄を侵略した」という主張はわかりますが、それは過去のことで、沖縄の人がそれを百万回言ったところで、現状は何も変わりません。それとも沖縄は日本から独立し、五輪にも琉球国代表団を送り、二度と侵略されないよう琉球国軍を組織しますか?琉球は非武装で国を守れたかどうかが問題です。
 
今の我々にとっての第2次世界大戦(日中戦争、太平洋戦争)は、第2次大戦の時の日本人にとっての戊辰戦争のようなものだったのだろう。    
 
返信先: さん、さん
を祝う人」も「明治時代の遺恨にこだわる人」も同類でしょう。一方がいるから、もう一方が出て来るのです。

 

戊辰戦争(1868~1869)で会津が「賊軍」とされた理由は源頼朝が奥州藤原氏を攻め滅ぼした1189年にさかのぼるだろう。源氏の後、足利、徳川が征夷大将軍を受け継いだ。会津は旧幕府軍への忠義によって薩長と戦った。高橋英樹と渡辺謙はこの歴史と縁がある人たちを演じた。 
 

明治150年、維新150年、戊辰150年、大政奉還150年と、今年は各地で「150年」のお祭り。似ているようで異なる、ナショナルとローカルのせめぎ合いによる多様な「150年」の祝祭を、誰か文化政治学的に検証してくれないか。

午前1:16 · 2018年2月10日

 

。未だに会津と薩長の関係が話題になっているようだ。戊辰戦争から70年経過した時は第2次世界大戦が始まった時であった。それでは の合戦(1600)の後、旧東軍と旧西軍の対立が解消されたのはいつだったか。関ヶ原の合戦から70年後は西暦1670年、150年後は西暦1750年だった。
 
壇ノ浦の戦い(1185)から大政奉還(1867)まで682年。安土・桃山時代の約30年を除いても、「征夷大将軍」による日本支配の結末が戊辰戦争、これが東北にとっての悲劇だったのだろう。
 
薩摩の西郷、会津藩士らは「合祀」されたら光栄なのかどうか。靖国神社には墓も位牌もないらしい。では「合祀」の是非にこだわる人は「霊」の存在を信じているのか?
 
 
明治元年(戊辰)を「戊辰戦争元年」とすると、今年(平成30年)は「戊辰戦争151年」になる。 昭和3年(1928年)と昭和63年(1988年)も「戊辰」の年だった。 
令和3年tw
明治元年(1868年)から平成30年(2018年)まで150年。 
明治元年(1868年)から昭和昭和16年(1941年)まで73年。 
昭和20年(1945年)から平成30年(2018年)まで73年。