@benifujiz 大東亜戦争に関しては「もっと早く降伏すべきだった」という意見が主流なのに戊辰戦争や西南戦争、更に大坂夏の陣ではそういう批判がほとんどないのは妙な話です。いわゆる「戦争経験者」もそれより前の明治以前の戦争の歴史を受け継いでいないように見えます。
posted at 21:13:25
@motizukinosilo 太平洋戦争を経験した人が一生懸命「反戦」を訴えていますが、その人は戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争の悲劇を上の世代から聞いていなかったんでしょうかね。日本がポツダム宣言をすぐ受けれなかったのが問題なら会津が戦い続けたのも無謀だったと言えるでしょう。
posted at 23:04:24
戊辰戦争は言わば薩長が会津を「侵略」した戦争だったわけだが、憲法9条の精神で考えると、薩長が「侵略」したのが悪いのか、会津が無条件降伏しないで「自衛戦争」を続けたのが悪いのかどちらか。沖縄の集団自決を日本軍のせいだと言う人は、白虎隊の自決の責任が誰にあると思っているのだろうか。
posted at 16:39:58
大東亜戦争を経験した日本人は必ず「戦争を二度と繰り返してはならない」と言うが、その戦争は日本人が壇ノ浦の合戦、応仁の乱、関ヶ原の合戦、大坂夏の陣、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争などの戦争を繰り返した結果だった。アメリカはWWIIの後にも戦争を繰り返している。
posted at 18:58:23
@kyojitsurekishi 「八重の桜」第1話冒頭で戊辰戦争らしい戦の場面がある。八重が会津で闘っていた時、京都の鳥羽・伏見では緋村剣心が人斬り抜刀斎として闘っていたのか。
posted at 05:07:29
posted at 22:14:43
@atuwosyousa @ocho_junio 大東亜戦争に関しては負けるとわかっていた戦争を続けた当時の日本人が批判されますが古代守やキャプテンハーロックは負けるとわかっても闘う美学の持ち主ですし、忠臣蔵、戊辰戦争、西南戦争では負けた側、玉砕した側が美化されるんですよね。
posted at 23:18:50
「八重の桜」の会津戦争の場合、多くの犠牲者を出した責任は侵略した新政府軍にあるのか、抵抗を続けた会津にあるのか、日本の「戦後」平和主義ではどうなっているんだろうか。
posted at 23:15:45
@tanusuke45 @Megumi_Ogata 「現代史を教える前に時間切れ」と言われて久しいのですが、戦争を考える上で壇ノ浦、関ケ原、大坂夏の陣、戊辰戦争、30年戦争、アメリカの独立戦争や南北戦争などからの流れで考える必要もあります。
posted at 15:51:07
@kyojitsurekishi 戦後68年と言われるがこれは1945年(昭和20年)に終わった戦争の話。戊辰戦争が終わったのは1869年(明治2年)でそれから68年後は1937年(昭和12年)で日中戦争が始まった年。戦争を経験した国が戦争を放棄するとは限らない。
posted at 17:30:11
posted at 20:23:37
大河ドラマの歴史観では信長・秀吉・家康のやった戦は「戦をなくすため」で、江戸幕府が倒れると戊辰戦争を経て近代日本がまた戦争に突き進んだことになっている。
福島と鹿児島ではまだ議論があるかもしれない。
明治元年(1868年)から75年後は昭和17年(1943年)。
日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争の最中だった。
〔午前8:34 · 2020年5月29日〕
明治元年(1868年)から75年後は昭和17年(1943年)。
日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争の最中だった。
〔午前8:34 · 2020年5月29日〕
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関連語句
〔戊辰戦争 [8]〕
参照
平成30年BLOG
令和4年BLOG
【画像】明治元年を「戊辰戦争元年」とした年号
【画像】明治元年から昭和20年までの77年間と昭和20年から令和4年までの77年間
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