2018年、野球の敬遠(故意四球)、四球投げなくてもよい申告制になる。
 
1966年(昭和41年)または1967年(昭和42年)
『巨人の星』
夏の甲子園準決勝
星飛雄馬は左門の気の毒な境遇に同情し、涙で制球力を見出し、左門に四球を与える。しかし後続を連続三振打ち取った。これは左門を敬遠して失点を防いだ作戦と同じである。
左門の最終打席で、星飛雄馬は打球を捕ったものの左親指を負傷、全力投球が難しくなる。
 
夏の甲子園決勝
親指を負傷した星飛雄馬が花形満を連続敬遠。ある打席で花形は悪球を打ったが外野フライ。そのまた後の場面では、二死の状態で打席が花形。星が牽制球で走者を塁に釘付けにし、花形と走者が「また敬遠だろう」と思っていたところで、飛雄馬は花形に速球を投げた。花形は慌てて打ったので、自身は一塁セーフになったが、走者はスタートが遅れて本塁アウト、スリーアウトチェンジ。
花形は帽子をグラウンドに叩き付けて、「ひっかかった!敬遠を予想していなければ、もっとボールを引き付けて、スタンドへぶち込んだものを」と悔しがった。
これは飛雄馬がかつて父・一徹から教わった作戦らしく、わざとヒットを打たせて、しかも返球が早くなる方向に打たせて、ランナーをアウトにしたらしい。
飛雄馬がこれをやったのは、親指の負傷の悪化で、敬遠すらも難しくなり、投球数を減らすためだったらしい。
 
1968年(昭和44年)
『巨人の星』
台湾キャンプ
星飛雄馬が紅白戦で許した安打は長嶋の悪球打ちのみ。飛雄馬は新人の分際で長嶋に打たれただけで大袈裟に悔しがった。
 
『巨人の星』
開幕第1戦巨人×大洋。
星飛雄馬登板。左門が代打の代打で登場。川上監督は敬遠を命じたが飛雄馬は拒否して本塁打を浴び、二軍落ち。
 
推定1960年代~70年代→『ドカベン プロ野球編〕では1980年代
『大甲子園』
岩鬼の少年時代
何度も敬遠されたので、岩鬼は悪球打ちを編み出した。
 
1974年(昭和49年)
『野球狂の詩』
「モビー・ゴッド」
東京メッツの千藤が大洋の海王を敬遠するが、打たれて本塁打をあびる。
 
1976~77年
『ドカベン』
明訓の里中が横浜学院の土門を敬遠したが、打たれる。海王と土門は外見が似ており、しかも敬遠の悪球を打つためにボールをストライクゾーンに呼び寄せる念力でも持っているかのようだった。
 
1977~78年
『新巨人の星』
飛雄馬が捕手を座らせて掛布に対し速球で3球連続でボール。4球目、掛布は敬遠と思って一塁へ歩こうとするも球はストライク。5球目、ロメオ・南条が本盗を試みるも失敗。
星は大リーグボール右1号を編み出したが、阪神のロメオは「こんな手品の相手にはならん」と言って魔球の打倒を途中から放棄し、合間の速球を打って星をピッチャー返しで倒そうと考えた。ロメオは敬遠の悪球も打ってしまい、長嶋監督は万策尽きる。この時、星一徹の提案で「打球が投手方向に来ると予測できる守備側の利点」を生かし、チームプレーでロメオを打ち取った。
 
『ドカベン』(単行本25~26巻、文庫17~18巻)
山田高1関東大会。千葉のクリーンハイスクールの影丸は徳川監督から山田を敬遠するように命じられたが、捕手を座らせて剛速球で外れた球を投げた。最終的に打たれ、ランナー岩鬼が本塁に突っ込み、影丸が柔道時代のしかえしに柔道の技をかけたが、それで落球、明訓の勝利。試合後、ベンチ前で記者たちが徳川監督に「なぜ山田を敬遠しなかったか」と聞いた時、徳川は「背負い投法で打ち取れると判断した」「打たれたのは、まぐれ当たり」と辯明し、影丸をかばった。しかし、学校に戻った徳川は「監督の命令を聞けない奴とはやっていけん」としてクリーンハイスクール野球部監督を辞任。次は信濃川高校の監督となり「敬遠と見せかけて勝負」を試みることとなる。
 
関東大会決勝。
赤城山が山岡を敬遠して山田と勝負。岩鬼本盗。山田はバント。殿馬も本塁に滑り込んで、明訓逆轉。
 
山田高2春センバツ。栃木の江川学院の中二美夫が山田を5打席連続敬遠。
信濃川の投手が山田を敬遠するかに見えた。捕手が立った状態で3ボール。この間、殿馬は「わざと振ってストライクにして、勝負させる」を提案したが山田はそれをせず、4球目のストライクをスタンドに叩き込んだ。
殿馬は「投手は山田を2ストライクまで追い込むのが大変」と言い、里中は心の中で「山田は歩かされ、一塁に生きることに満足する男」だと独白した。
 
1979年(昭和54年)
『ドカベン』
山田高2夏予選。山田も雲竜も負傷を隠して出場。東海高校の雪村が勝負と見せかけて山田を敬遠。4球目では雲竜の支持でストライク。山田はスイングしたが手首の激痛に耐えかねてバットを手放し、4球目はボール(悪球)で山田一塁へ歩いた。
 
1985年(昭和60年)前後
『大甲子園』
真田一球が殿馬を敬遠し、里中と勝負。殿馬が敬遠されている間、里中は立ち上がって闘志を燃やし、準備運動。岩鬼がホームインして明訓勝利。
 
『ドカベン プロ野球編』
1992年(平成4年)
松井秀喜が5打席連続敬遠される。
『ドカベン プロ野球編』の山田世代は当時、高1。
夏の甲子園優勝→秋の地区大会→関東大会(上記、クリーンハイスクールとの対戦)。
 
1993年(平成5年)
山田世代高2春センバツ→夏予選(上記、東海高校と対戦)→甲子園、弁慶高校に敗れる。秋の県大会→関東大会。
 
1994年(平成6年)
山田世代高3春センバツ→夏予選→甲子園(上記、『大甲子園』)。
 
補足
2018年(平成30年)1月当時、既存のツイートへの返信という形だと、他のHP(たとえばブログ)とリンクしてもツイートできない状態になっていた。この問題はすぐ解消された。
 
Twitter
『大甲子園』では巨人学園の真田一球が殿馬を敬遠して満塁策をとり、その間、次の打者だった里中が立ち上がって闘志をもやし、準備運動。今後、こういう盛り上がりもなくなるか。
 

『大甲子園』23巻(1987)、夏の甲子園準決勝、明訓(神奈川)×青田(千葉)。青田高校・中西球道の打席。山田は座ったままで里中に悪球を投げさせた。勝負と見せかける敬遠で、中西に悪球を打たせてアウトにする狙いもあった。しかし中西はこの策を見抜き、強引にボールを打って連続ファウルにした。

 

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