鎌倉時代の始まりが1185年か1192年かという話題のツイート
鎌倉時代の始まりは文治元年(1185年)か、建久3年(1192年)か
鎌倉時代の始まりは1185年か、関連tw(2017年2月17~22日)
 

〔石平太郎@liyonyon〕

日本の左翼は中国と歩調を合わせて、アパホテルのことを「歴史修正主義」だと批判する。しかし「南京大虐殺」とかを捏造して間違った歴史を書いた変な新聞紙と変な国があったからこそ、それを「修正」しなければならない。「歴史修正主義」は何も悪くはない。悪いのは歴史を捏造した方であろう。

午後6:35 · 2017年1月19日

 

〔marion@marion_928〕

返信先:@Mr_Bushinyanさん

「いい国作ろう」が使えなくなったのですね!? 学校というものから遠ざかって何十年、年代が変わったのは知らなかったです…((T_T))

午後7:48 · 2017年1月19日

 

@kyojitsurekishi

大河ドラマだと1185年に壇ノ浦で平家が滅び、1189年に源義経と弁慶が他界、頼朝の「敵」が滅んだことが節目になります。江戸幕府成立前後の場合、1600年の関ケ原と1615年の大坂夏の陣が節目で、1603年の家康将軍就任は単なる通過点です。
「良い国(1192)作ろう だったのに…」と嘆く人がいるが、「いいくに」という語呂合わせを「よいくに」と間違って思えて「4192年」という超未来の年号にしてしまう恐れがある。
 
 
日本でも鎌倉時代と南北朝時代と室町時代と戦国時代の境目の方が複雑だし、江戸時代のスタートにしても徳川家康が江戸に来た時から大坂夏の陣までの流れが重要だ。  
 
鎌倉幕府は途中で源氏の将軍が途絶えて藤原の摂家将軍、皇族の宮将軍に移りましたが、ほとんど飾り物の将軍だったようで、政治の実権は北条の執権が握り、征夷大将軍が幕府の存在理由として余り重要ではないのでしょう。一方、太閤秀吉は征夷大将軍ではなかったようで、それで「豊臣幕府」があったとは見なされないようです。江戸時代は側用人、老中、大老が政治を代行することはあっても徳川の将軍は大政奉還まで続きました。「幕府」は便宜上の用語だと割り切るのが妥当でしょう。
 
1181年平清盛没→1185年壇ノ浦の戦い→1189年源義経没
 
日本でも源頼朝と義経の確執があった。義経は1189年没。これは平安時代末か鎌倉時代初期か。
 
2016年10/26
23:11 - 2017年2月17日        
 
歴史を故意に書き換えるのは歴史「改竄」であって、歴史を「修正」するのであれば、間違った歴史を「正しく」する意図によるものですから、教科書の書き換えは歴史修正主義であり、歴史学者は旧来の説を改める限り、歴史修正主義者です
 
は1185年成立か。頼朝は1189年に奥州(あうしう←欧州【おうしう】ではない)を平定した後、1192年に征夷大将軍になったようだが、「征夷」の「夷」が東北であれば順序が逆だし、北海道まで兵を進めるつもりだったのか、よくわからない。
 
追加
返信先: さん
私は聖徳太子が厩戸皇子だったことは中学の時から知ってました。歴史教育廃止論は確かにありますが、義務教育で歴史を習わないと今の小中学生は米ソ冷戦も阪神・淡路大震災も9・11テロも知らないで育つことも有り得ます。
 
英語のhistorical revisionismの場合、historyはstoryと同系ですし、re(再び)-vision(視覚)-ism(主義)の意味を考えれば「過去を知って学んだ知識を見直す」ことですから、「歴史修正主義」自体は何も悪くありません。
つまり各人が などに関して、学校で学んだ歴史を検証し、「間違い」を改めたり知識を補充したりするのが歴史修正主義で、逆に歴史の知識が学校で学んだ時のままで止まっている人は教条主義(dogmatism)に陥り易いのでしょう。
 
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