「水戸黄門」の時代考証についてツイッターで見かけるのは「ヤッホー」「ファイト」のような台詞がある「らしい」という類の物ばかりだが、Wikipedia水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)の「時代考証面での噂」と「史実との相違」くらいは見て参考にしておいた方がいい。
「水戸黄門」第38部第5話:おけらの新助が和歌山で出会った少年のことばは完全な江戸下町ことばで紀州の方言が少しもなかった。この少年が格さんに頼んで凧に「神さま みんなが幸せになれますように」と書いてもらった。「やうに」を「ように」にするかなづかいは江戸元禄時代から使われていたのか。
「水戸黄門」第38部第5話で紀州の少年のことばは完全に江戸下町風。彼が格さんに頼んで凧に「神さまみんなが幸せになれますように」と書いてもらった。「やうに」を「ように」にする現代かなづかいは元禄時代から?
posted at 11:01:01〔午前11:01 · 2012年10月1日〕
「水戸黄門外伝・かげろう忍帖」の最終回で、事件がすべて解決し故郷へ戻ることになった。喜びのあまり「ヤッホー」を連発していた。でもそれってもしかしてドイツ 語 じゃ…。(ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが「おいハチ、ファイト!」と言ってしまった前科があるらしい。)
「水戸黄門」の第1部第3話、小田原が舞台(撮影場所は京都だろうが)の話で、ういろう(外郎)の看板が縱書きで「ういろう」。歴史的かなづかいでは「ういらう」のはずであるが、江戸時代には日本語の発音が今に近くなっており、かなづかいが混乱していたことだろう。
「水戸黄門」第6部第1話で光圀が言うには、薩摩の百姓は自分で作った米を食えず、薩摩芋を食べていたらしい。光圀隠居の時代は綱吉の治世の元禄年間。しかしネットで調べると薩摩芋が薩摩につたわったのは光圀没から数年後で、関東にひろまったのは吉宗が青木昆陽に栽培を命じた時である。
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