江戸時代初期
主に元禄(1688~1704)
南町奉行_______________ ↓時代設定から考えて当てはまると思われる作品
宮崎若狭守重成(在職:1673年 - 1680年)
松平隼人正忠冬(在職:1680年)
甲斐庄飛騨守正親(在職:1680年 - 1690年)…『恨みはらします』?
甲斐庄飛騨守正親(在職:1680年 - 1690年)
能勢出雲守頼相(在職:1690年 - 1697年)
松前伊豆守嘉広(在職:1697年 - 1703年)…『必殺忠臣蔵』
映画『必殺!4 恨みはらします』(1987)の冒頭で与力によって殺された南町奉行は長尾監物。後任の南町奉行は奥田右京亮(演:真田広之)でいずれもこの4人の誰にも該当しないが、終盤で奥田右京亮が老中・酒井雅楽頭を毒殺。この老中は1681年(綱吉の時代)没で、甲斐庄飛騨守正親はそのときの「史実」の南町奉行。 劇中の初老の将軍は家綱か綱吉か不明。将軍が家綱が綱吉に代わったときの南町奉行は宮崎若狭守重成。
江戸時代中期
天明(1781~1789)~寛政(1789~1800)
山村信濃守良旺(在職:1784年 - 1789年)…『必殺仕事人V』の「源氏と平家」
池田筑後守長恵(在職:1789年 - 1795年)…『仕事人vs三日殺し軍団』
『必殺仕事人V』(1985)の「源氏と平家」で壇ノ浦の合戦から600年後だったので西暦1785年(天明5年)の話。
江戸時代後期(黒船来航前)
文化(1804~1818)~文政(1818~1830)~天保(1831~1844)~弘化(1845~1848)~嘉永(1848~1854)
牧野備中守(架空)…1973年『仕置人』第1話
小田切土佐守直年(在職:1792年 - 1811年)
永田備後守正道(在職:1811年 - 1819年)
榊原主計頭忠之(在職:1819年 - 1836年)
遠山左衛門尉景元(在職:1840年 - 1843年)…『仕置屋』で主水の北町同心時代の上司?
阿部遠江守正蔵(在職:1843年)
鍋島内匠頭直孝(在職:1843年 - 1848年)
牧野駿河守成綱(在職:1848年 - 1849年)
井戸対馬守覚弘(在職:1849年 - 1856年)…『仕留人』で主水の北町同心時代の上司?
『必殺仕置人』(1973)の時代設定が文化・文政(1804~1830)とした場合、北町奉行はこの3名。『仕置人』最終回で仕置された牧野備中守の名前はない。
小田切土佐守は同心・暁蘭之介の上司だったが、直接の上司は与力で、その名前が榊原主計だったのは何かの因縁か。
榊原主計頭忠之は1832年(天保3年)に鼠小僧が処刑されたときの奉行で次郎吉捕縛の主導者。『からくり人』(1976)では処刑された男は次郎吉でなく替玉だったが、本物の次郎吉も替玉の処刑とほぼ同時期に死んだことになっている。『仕事人・激突!』(1991)では処刑された次郎吉は本物だったが窃盗は濡れ衣だった。『八百八町夢日記』では忠之が次郎吉を密かに助け、三郎三(下注釋)として自分の密偵にしていたが、忠之自身が夢之介を名乗って潜入捜査をしていたので、次郎吉の出番は少なかったようである。
『必殺まっしぐら!』(1986)では、1833年(天保4年)当時、秀が数名の仲間とともに江戸と日本各地を往復して出張仕事をしていた。
『仕置屋』(1975)の主水は1841年(天保12年)に北町から南町に移った。第10話によると、この時42歳だったらしい。それで仕置屋の主水が40歳の時に仕置人になったとすると1839年(天保10年)。また異動直前の時期には1840年(天保11年)も含まれる。
南町奉行
根岸肥前守鎮衛(在職:1798年 - 1815年)_↓時代設定から考えて当てはまると思われる作品
岩瀬加賀守氏紀(在職:1815年 - 1820年)…『必殺仕事人V旋風編』第7話、『必殺仕事人2007』
矢部駿河守定謙(在職:1841年)____…『江戸警察』において鳥居就任前の主水の上司
遠山左衛門尉景元(在職:1845年 - 1852年)…『必殺!主水死す』
『新必殺仕置人』(1977)の時代設定が文化・文政時代(文化:1804~1818、文政:1818~1830)であった場合、南町奉行は根岸肥前守鎮衛、岩瀬加賀守氏紀、荒尾但馬守成章、筒井和泉守政憲の4名のどれか。
『仕事人V旋風編』(1986~87)で主水がオランダ商館から表彰されたときの奉行は岩瀬加賀守氏紀であり、『仕事人2007』『仕事人2009』における南町奉行は岩瀬加賀守氏紀または荒尾但馬守成章または筒井和泉守政憲であろう。
筒井和泉守政憲は『必殺!5 黄金の血』(1991)の主水の上司であった。海岸の立札に「筒井泉守」とある。
『春雨じゃ、悪人退治』(1990)のシーボルト事件のときも南町奉行は筒井和泉守政憲で、高橋景保捕縛に関与していた可能性がある。
『風雲竜虎編』(1987)で家斉が没したときの南町奉行は筒井和泉守政憲または矢部駿河守定謙。『仕置屋稼業』(1975)の主水は矢部が南町奉行だったときにはまだ北町にいて、『オール江戸警察』(1990)の主水は南町奉行所の同心として古株だった。
『仕置屋』(1975)、『仕事人アヘン戦争へ行く』(1983)、『仕事人意外伝』(1985)のときの南町奉行は鳥居耀蔵だった。鳥居は奉行になりたてのときに、からくり人の時次郎から銃で狙撃された。生き残った鳥居は仕事人狩りに力を入れたが、矢部駿河守の依頼で主水によって暗殺された。幕府はこれを隠蔽し、建前では鳥居は四国丸亀藩に幽閉され明治時代まで生きたことになっている。
『江戸警察』で主水は奉行所勤続23年だった。すると『江戸警察』の主水が奉行所で働き始めたのは1818年(文政元年)から1821年(文政4年)までの時期になる。この「23年」が南町限定か北町と南町を含むか、不明。
鳥居耀蔵が南町奉行だったのは1841年(天保12年)~1844年(天保15年)。それから23年前は1818年(文政元年)~1821年(文政4年)。当時の南町奉行は岩瀬加賀守氏紀、荒尾但馬守成章、筒井和泉守政憲の3名のいずれかであった。
『必殺仕事人』第84話「散り技 仕事人危機激進斬り」(1981)に登場した庄田図書頭、『仕事人IV』最終回(1984)で主水によって暗殺された山岡銀二郎はこの中にいない。
跡部能登守良弼は『江戸警察』で主水が鳥居を暗殺し、幕府がそれを隠蔽したあとの南町奉行である。
遠山景元は1996年(平成8年)公開の映画『主水死す』で描かれた嘉永時代初期の南町奉行。天保の改革の時代、追っ手に追われた加代と清朝の娘を人足寄せ場(下注釋)に送り届けたのが遠山(演:栗塚旭)であったが(1983年『仕事人アヘン戦争へ行く』)、それがのちに主水の上司となった。1850年(嘉永3年)、高野長英が江戸で捕縛されたときの南町奉行も遠山であった。
1991年(平成3年)~1992年(平成4年)に放送された『必殺仕事人・激突!』の第10話では同心・成川(演:目黒祐樹)と主水がアヘン戦争の話をしていた。これが1840年(天保11年、道光20年)~1842年(天保13年、道光22年)のアヘン戦争であれば、南町奉行は鳥居耀蔵。しかし第1話は鼠小僧処刑(1832)から28年後なので1860年(安政7年、万延元年)とすると第二次アヘン戦争(1856~1860)の時だった可能性もある。『仕事人・激突!』で南町奉行は酒井能登守(演:早川純一)だったようだが、これは架空の人物であろう。
幕末
嘉永(1848~)~安政(1855~)~万延(1860~)~文久(1861~)~元治(1864~)~慶応(1865~1868)
北町奉行
井戸対馬守覚弘(在職:1849年 - 1856年)…『暗闇仕留人』
井戸対馬守覚弘の在職中、南町奉行が遠山景元だったとき、配下の同心・中村主水が推定1851年(嘉永4年)に水野忠邦を暗殺したのち、小屋の爆發で行方不明。1852年(嘉永5年)に池田播磨守頼方(在職:1852年 - 1857年)が南町奉行になり、翌年の1853年(嘉永6年)に北町同心の主水が裏稼業を始め、主水は1854年(嘉永7年)の横浜での日米会談の護衛にも選ばれた。
仕留人の主水が41歳として、40歳の時に仕置人だったとすると、仕置人の主水が仕置人だったのは1852年(嘉永5年)。
南町奉行
池田播磨守頼方(在職:1858年 - 1861年)…『大老殺し』(『激突!』第1話?)
『横浜異人屋敷』の中村主水は1863年(文久3年)の時点で奉行所勤続22年であった。この時代から22年前は1841年(天保12年)であり、矢部駿河守から鳥居耀蔵に交代した時期であった。
今日は遠山景元が亡くなった日(1855年/安政2年2月29日)|大岡越前、遠山の金さん、鬼平……時代小説や時代劇で知られる名奉行たちの実像とは? さらに時代小説が楽しめる一冊|『江戸の名奉行 43人の実録列伝』(丹野顯・著) 文春文庫
注釋
三郎三
漢字は推測。風間杜夫が演じた次郎吉は作品のキャスト紹介では「ねずみ小僧」だった(関連語句「偽名」参照)。読みは現代かなづかいで「さぶろうざ」だが、「三郎三」であれば歴史的かなづかいでは「サブラウザ」になる。もっとも「次郎吉(ジラウキチ)」が「じろきち」になっていたとすれば、[au]>[o(:)]という変化は江戸時代に起きていたことになる。
「郎」の音読み「ラウ」rauはシナ語のlangのlをrに(但し中国人は日本語のラ行子音をLと認識する)、ngをuにした結果である。
人足寄せ場
「にんそく」で変換して「忍足」が出たが「人足」が出なかったので単語登録した。