江戸時代後期
19世紀
1800年代初期~1810年代~1820年代
文化(1804~)・文政(1818~1830)年間、仕掛人・藤枝梅安と仕置人・中村主水、念仏の鉄らが裏稼業をしていた模様(1972年『必殺仕掛人』、1973年『必殺仕置人』番宣で劇中の時代は「文化・文政」)。主水は元締・虎から「世鶴の銀平」の話を聞いたことがあり、8年ほど後に、その銀平と組んでいた(1986年11月7日『必殺仕事人V旋風編』第1話「主水、エスカルゴを食べる」)。
1819年1月、中村主水がオランダ商館から表彰された(1987年1月16日放送『必殺仕事人V旋風編』第7話)。
1819年、ビクトリア女王Victoria1819年5月24日1901年1月22日)誕生。
1820年(文政3年)2月14日、中村主水が南町奉行所から書庫番に異動。渡辺小五郎(わたなべせうごらう)と裏家業をやっていた(『必殺仕事人2007』)。
1820年(文政3年)4月、中村主水が鍛冶屋の政何でも屋の加代と組んで仕事をしており、この時期に、かつての仕事人仲間・飾り職の秀と再会。組紐屋の竜壱、参が殉職(1986年『必殺! III 裏か表か』)。
1821年(文政4年)、主水は自身番に異動(『必殺仕事人2009』)。その後、西へ引っ越したが(『仕事人2010』)、また江戸に戻ってきた模様(『仕事人2018』)。
1823年8月27日文政6年7月22日)、河内山宗春(河内山宗俊)没。
1823年以前?河内山宗俊(演:芦屋雁之助)が主水たちに「切り餅4つ」で仕事を依頼(1978年『必殺商売人』第4話 「お上が認めた商売人」)。
1826年、主水は秀、お歌(演: 光本幸子)、夢次(演:山本陽一)、蝶々の朝吉(演:大沢樹生)、鎌イタチのおむら(演:名取裕子)たちと裏稼業をしていた。ここで鍛冶屋の政(演:村上弘明)が殉職(1991年『必殺!5 黄金の血』)。
1990年(平成2年)放送の『必殺スペシャル・春 勢ぞろい仕事人! 春雨じゃ、悪人退治』は文政11年3月6日で始まり、主水が風呂場で十手を盗まれた。文政11年3月は1828年4月14日から始まったので旧暦3月6日は1828年4月19日であろう。その後、何日か経って、高橋景保が天文台で天体観測行い、そこには中村主水、千葉周作、滝沢馬琴、葛飾北斎がいた。
1828年(文政11年)、シーボルト事件。これは国学者と商人による工作で、高橋景保が獄死。中村主水が加代、鶴、市兵衛(景保の弟)、千葉周作らと組んで景保の仇を討った。

1830年代
1832年(天保3年)、鼠小僧次郎吉が処刑された。仇吉(演:山田五十鈴)率いる「からくり人」一派が別人とすり替えた(替玉の合意のもと)が、本物もすぐ他界(1976年『必殺からくり人』)。また、処刑された次郎吉は本物だったが、窃盗は冤罪だったという説もある(1991年『必殺仕事人・激突!』第1話)。
1833年(天保4年)、かつて中村主水と組んでいた飾り職の秀が別の仲間数名と一緒に、江戸と日本各地を往復しながら裏稼業をしていた(1986年『必殺まっしぐら!』)。
1835年(天保6年)、ハレー彗星接近。1986年(昭和61年)3月21日に放送された『仕事人V激闘編』第17話「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」はこの時代の話であろうか。
1837年(天保8年)、大塩平八郎の乱。江戸幕府第11代将軍徳川家斉1773~1841)が将軍の座を家慶に譲って、大御所となった。
1839年(天保10年)、蛮社の獄高野長英渡辺崋山などが、モリソン号事件江戸幕府鎖国政策を批判したため、捕らえられて獄に繋がれるなど罰を受けた。その後、おそらく鳥居が南町奉行になった1842年まで、からくり人の一人・夢屋時次郎が鳥居耀蔵暗殺を試みるも失敗し、からくり人一派は壊滅した模様(1976年『必殺からくり人』終盤)。ただし仕掛の天平は生き残った可能性があり、虎の用心棒となって大坂で主水と接触。天平は虎とともに殉職。勇次も敵に捕らわれたが、長崎で棺桶の錠が勇次を救出。主水、加代、秀、おりくたちが仕事を行った模様(1982年『仕事人大集合』)。

1840年(天保11年、道光20年、ビクトリア女王即位3年)、アヘン戦争が始まった。遠山金四郎(1793~1855)が北町奉行になった。
1841年3月22日(天保12年1月30日)、大御所・徳川家斉没(1987年『必殺仕事人V風雲竜虎編』第2話)。水野忠邦による天保の改革が始まった。
1842年2月8日(天保12年12月28日)、鳥居耀蔵が目付より江戸南町奉行に異動。在職中、從五位下甲斐守に叙任。
1842年8月29日(道光22年7月24日)、清国イギリスの間で南京条約が締結されアヘン戦争終結。
1842年8月29日(天保13年7月24日)、江戸幕府勘定奉行江戸南町奉行矢部定謙1789年生まれ)没。
仕置人・中村主水が北町奉行所から南町奉行所に異動(1975年『必殺仕置屋稼業』)。主水は、おこう、捨三、市松、印玄と組んで仕置屋稼業を始めた。
中村主水、秀、勇次、加代、西順之助が香港で仕事(1983年『年忘れ必殺スペシャル 仕事人アヘン戦争へ行く 翔べ!熱気球よ香港へ』)。おりく(演:山田五十鈴)とお民は日本に残った。棺桶の錠が主水たちに加勢。おりくと勇次は天保の改革の影響で表稼業も難しかったはず。遠山金四郎(演:栗塚旭)が加代と劉孟春(演:陳美齡)を忍足寄場に送った。ナポレオン・ボナパルト(演:クロード・チアリ)、国定忠治(演:近藤正臣)も登場。主水たちが香港へ行くために使ったのは熱気球で、これは平賀源内(演:宮口精二)の提供によるものだったらしいが、源内は1780年に他界しており、当時、牢内にいたのは高野長英なので、記録の誤りであろう。
仕置屋の主水と別の仕事人・中村主水は矢部の配下で南町の同心だった(1990年『必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察』)。鳥居在職中、この「江戸警察」の主水は奉行所勤続22年の大古参だった(この場合、主水の奉行所勤務は1820年ごろから)。矢部駿河守は1842年の他界する前に闇の会に仕事を依頼(『江戸警察』)。
1843年遠山金四郎が北町奉行から大目付になる。水野忠邦罷免される。一応、天保の改革は終わったことになっているが、「必殺シリーズ」ではもうしばらく続いた。
1843年5月16日天保14年4月17日)、花火の玉屋から失火。1983年7月29日『必殺渡し人』第4話「花火の夜に渡します」で描かれたのはこの時代かも知れない。
1843年天保14年)の暮れから、1844年(天保15年)の正月にかけて、主水、加代、おりく、西順之助が、組紐屋の竜、花屋の政と組んだ(1985年『必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜』)。
鳥居による仕事人狩りが激化し、剃刀の辰(演:本田博太郎)が獄死、駒吉(演:光本幸子)が刑死。
1844年6月30日小傳馬町の牢屋敷で火災發生。切放しに際し高野長英が脱獄。泣き節お艶(演:山田五十鈴)の一座が天保の改革で江戸から追放され、長英が「蘭兵衛」と名乗って一座に参加。安藤広重が一座に仕事を依頼(1977年『新必殺からくり人』)。
その後、長英は捕り方に追われ、一座から離れた。
主水、加代、鶴、太棹の新之助(演:田村亮)、平田深喜(平手造酒、千葉周作の弟子、演:滝田栄)が鳥居一派を仕置した(『江戸警察』)。その後、主水が平田深喜(演:樋口隆則)を倒した(『意外伝』)。

1845年、ポルトガルが「マカオ自由港」の成立を宣言しての税関官吏を追い出した。『必殺スペシャル・春 世にも不思議な大仕事 主水と秀 香港・マカオで大あばれ』(1991)では江戸時代に主水と秀が活動した江戸時代が「150年前」だったので、1840年代と思われる。
18453月29日(弘化2年2月22日) - 水野忠邦老中を辞職。弘化2年3月、元北町奉行・遠山金四郎が南町奉行になった。
『新からくり人』の「泣き節お艶」(演:山田五十鈴)は「出雲のお艶」に改名していた。お艶の一座は再び、奉行所から江戸から追放を言い渡され、西村永寿堂与八が一座に仕事を依頼、葛飾北斎の描いた『富嶽百景』をヒントに旅を再開(1978年『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』)。
1849年5月10日嘉永2年4月18日、葛飾北斎が数え年90歳で死んだ(1978年『からくり人・富嶽百景』、1996年『必殺!主水死す』)。北斎の娘・お栄(演:美保純)は下手人さがしを主水に頼む。主水は20年ぶりに千代(演:名取裕子)と再会。当時の将軍は家慶。後に13代将軍となり家定には双子の妹がいて、男装の藝人となって「捨蔵」と名乗り、千代が養母だった。『主水死す』における「20年前」は1829~1831年の時代、文政末期のシーボルト事件から天保初期までであった。
なお、劇中では明らかにされていないが、当時、主水の上司は遠山の金さんだった。
もし高野長英がもう少し牢屋に留まっていれば、鳥居が失脚し、自動的に出獄できた。遠山も長英の味方になれただろう。しかし長英が脱獄したため、遠山は長英を罪人として追う羽目になった。
1850年12月3日嘉永3年10月30日)、逃亡を続けていた高野長英が捕縛され、絶命。
次の1851年、水野忠邦が他界したが、『主水死す』では主水が水野を暗殺したことになっている。

まとめると、シーボルト事件の時、「文政の中村主水」は室田静軒(演:荻島真一)、伊勢屋 三左衛門(演:綿引勝彦)を仕置して、高橋景保(演:前田吟)・弓栄(演:川上麻衣子)親子の仇を討ち、シーボルトの弟子だった高野長英が蛮社の獄で投獄されると、「天保の中村主水」が鳥居耀蔵を失脚させ、長英の没後、主水が水野忠邦を仕置、そして長英の弟子だった糸井貢が「幕末の中村主水」と組んだということになる。

補足
中村主水の生没年を推定
『仕置屋』(1975)の主水は1841年当時で年齢42歳。その後、『仕業人』『新仕置人』『商売人』『仕事人』を経た『新仕事人』は『仕置屋』から6年経った1981年に放送されたのに、主水の年齢は43歳で、『仕置屋』時代から1歳しか年を取っていない。ちなみに1981年当時の藤田まことは48歳。『オール江戸警察』(1990)放送時の藤田まことは57歳なので、劇中の主水は1841~1844年の時期で57歳前後と見ていいか。
問題は主水が1993年に還暦を超えた後の作品、『主水死す』(1996年、藤田まこと63歳)と『仕事人2007』(藤田まこと74歳)及び『仕事人2009』(藤田まこと76歳)の作品。果たして、これらの劇中の主水の年齢を60代や70代と想定していいかどうか。
『必殺仕事人2007』は1820年(文政3年)当時の話ある。劇中の主水が何歳か不明。江戸時代の同心に定年があったか、60代や70代の平同心がいたかよくわからない。『仕事人2009』になると藤田まことが76歳の時の作品で、劇中の時代は1821年(文政4年)。もし『2007』の主水が1820年当時で74歳だったとすると1818年当時72歳。これでは1818年に74代で没した伊能忠敬とほぼ同世代(2歳差)になる。もし『2009』の主水が1821年当時76歳だと1845年当時0歳。伊能忠敬と長谷川平蔵は1745年生まれなので、同い年か1歳違いになる。
光格天皇は1771年生まれ、1817年譲位(数え年47)、1840年没(享年70)。1828年当時満57歳、数え年58歳なので、『春雨じゃ、悪人退治』の主水が劇中で57歳であれば年齢が光格天皇と近かったことになる。
葛飾北斎は1760年生まれ。シーボルト事件のあった1828年当時68歳、1849年89歳(数え年90歳)で没。
文化(1804~)・文政(1818~1830)年間に『仕置人』だった中村主水が当時40代だったとすれば、北斎より少し年下だったか。
十返舎一九は1765年生まれ。1831年没、享年67。1815年当時50歳、1820年当時55歳。『裏か表か』(1986年、藤田まこと53歳)の主水が1820年当時53歳であれば、十返舎一九と年齢が近かったことになる。
間宮林蔵は1780年生まれであれば1820年当時40歳、1830年当時50歳。1775年生まれであれば1820年当時45歳、1830年当時55歳。1844年、数え年65歳で没。
高橋景保は壇ノ浦の合戦600周年の1785年に生まれ、1829年獄死、享年45。
林則徐も1785年(乾隆50年)生まれ、1840年当時55歳、1850年道光30年)、65歳で没。
二宮尊徳(1787~1856) は1827年当時40歳、1837年当時50歳。
遠山金四郎徳川家慶千葉周作は1793年生まれとすると1840年で47歳。1850年当時57歳。1853年当時還暦。
水野忠邦は1794年7月19日寛政6年6月23日)生まれ。1844年当時50歳。
鳥居耀蔵は1796年生まれとすると1800年で4歳、1840年当時44歳。1844年当時48歳。史実では1873年(明治6年)まで生きた。
シーボルトは鳥居耀蔵と同じく1796年生まれで、没年は1866年。1826年当時30歳。1846年当時50歳。1856年当時60歳。
水戸家の徳川斉昭は1800年(寛政12年)生まれなので、1840年当時40歳、1850年当時50歳。
高野長英は1804年生まれ、1824年当時20歳、1834年当時30歳、1844年当時40歳。1850年に46歳で没。

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2018年9月

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