表の奉行と闇奉行
『闇を斬る!大江戸犯科帳』には北町奉行・小笠原能登守泰久が登場。実際の北町奉行では小笠原長門守長常がいる。
大目付・一色由良之助が登場。実際の大目付にその名はない。
老中・兵頭丹後守が登場。実際の老中に兵頭~はいない。
『闇を斬る!大江戸犯科帳』には北町奉行・小笠原能登守泰久が登場。実際の北町奉行では小笠原長門守長常がいる。
大目付・一色由良之助が登場。実際の大目付にその名はない。
老中・兵頭丹後守が登場。実際の老中に兵頭~はいない。
このHPで「家斉」を「家歳」と書いてある個所があり、「斉」を「さい」で入力しようとして誤変換したか。
鳥居耀蔵など、同心・中村主水の上司だった町奉行
中村主水は「仕置人」稼業を始めたとき、上司だった北町奉行・牧野備中守(役者は菅貫太郎)り闇の御前(役者は大滝秀治)を仕事の的にした。主水が闇の御前を斬り、念仏の鉄が牧野備中守の背骨を外し、道連れ自殺の生き残りに見せかけて自害に追い込んだ。牧野がさらしものになったとき、奉行所は彼が奉行であることに気づかなかったか、無視したようで、奉行所の腐敗ぶりがわかる。
だからこそ、闇の御前が生き残り、それを処刑する仕置人が出現できたのだろう。
中村主水は「仕置人」稼業を始めたとき、上司だった北町奉行・牧野備中守(役者は菅貫太郎)り闇の御前(役者は大滝秀治)を仕事の的にした。主水が闇の御前を斬り、念仏の鉄が牧野備中守の背骨を外し、道連れ自殺の生き残りに見せかけて自害に追い込んだ。牧野がさらしものになったとき、奉行所は彼が奉行であることに気づかなかったか、無視したようで、奉行所の腐敗ぶりがわかる。
だからこそ、闇の御前が生き残り、それを処刑する仕置人が出現できたのだろう。
実際の北町奉行では牧野駿河守成綱がおり、南町では牧野大隅守成賢がいた。備中守は南町の黒川備中守盛泰であった(黒川備中守が南町奉行だったのは幕末らしい)。
歴史の館>…jp/m185.html(勘定奉行の一覧)
日本の歴史学講座>歴史データ集>歴代江戸町奉行
歴史の館>…jp/m185.html(勘定奉行の一覧)
日本の歴史学講座>歴史データ集>歴代江戸町奉行
『仕事人IV』では奉行が戸浦六宏扮する山岡銀二郎で筆頭同心・田中が「お奉行様が殺されるなんて、南町奉行所始まって以来のことです」と言っていた。実際はもっとあっただろうが、仕事人の存在を証明する公式の記録は存在しない。
1844年ごろ、主水が鳥居耀蔵を暗殺したときも幕府は隠蔽し、明治時代に没したことにした。
翌年、1845年に遠山金四郎が南町奉行になった。もし、このときも中村主水が南町奉行所の同心であれば、金四郎が主水の上司になったことになる。
1849年、葛飾北斎が没し、むすめ・お栄が主水にかたき討ちを要請。
1850年、高野長英没す。
1851年、水野忠邦没。これも主水が暗殺したものらしい。この主水は直後に小屋で爆死した模様。
『必殺!主水死す』で描かれた時代、南町奉行は遠山金四郎であった。
翌年、1845年に遠山金四郎が南町奉行になった。もし、このときも中村主水が南町奉行所の同心であれば、金四郎が主水の上司になったことになる。
1849年、葛飾北斎が没し、むすめ・お栄が主水にかたき討ちを要請。
1850年、高野長英没す。
1851年、水野忠邦没。これも主水が暗殺したものらしい。この主水は直後に小屋で爆死した模様。
『必殺!主水死す』で描かれた時代、南町奉行は遠山金四郎であった。
<奉行以外>若年寄・松平玄蕃頭
戸浦六宏が演じた若年寄・松平玄蕃頭(~げんばのかみ)は糸井貢から命を狙われ、返り討ちにしたが、直後に主水(幕末)と大吉(石屋)によって殺害された。
戸浦六宏が演じた若年寄・松平玄蕃頭(~げんばのかみ)は糸井貢から命を狙われ、返り討ちにしたが、直後に主水(幕末)と大吉(石屋)によって殺害された。