「そもさん」「せっぱ」はアニメの『一休さん』の台詞でもよく出てきた。
www.fujitv.co.jp/ikkyu-san/index.html
「さもさん(作麼生、怎麼生、什麼生)」は中国宋代の俗語からで、もと、禅問答のとき、相手の返事を促すのに用いた語で「さあどうだ。いかに」の意味らしいが、今のシナ語では「怎麼様」になるだろう。
「せっぱ(説破)」は言い負かすことらしいが、前後関係から「説吧(どうぞ、おっしゃってください)」の意味とも解釋できる。
一休はもともと千菊丸という名だった。
一休と蜷川新右衛門(にながわしんえもん<にながはしんゑもん)の偽物が登場。偽一休は少女で、偽新右衛門はその兄だった。
真贋一休のとんち比べ。
「川から水をなくす方法は?→「(横棒を追加して)山にすればいい」
「(紙に弓の字を書いて)この弓を引くにはどうする」→「(縱棒追加)引にすればいい」
「辛さを吹き飛ばすには?」→「(辛の字に1画追加して)幸にすればいい」
一休は「止」を「正」にして、「━度立ち止まれば正しいことが見えてくる」と言った。
『筆談ホステス』の漢字解釋(「辛いのは幸せになる途中」「歩→少し止まっても着実に前に進んでいる」など)に似ている。
「河」であればサンズイを消して「可」にすれば「河から水がなくなった」ことになる。
字源的には「川」は「水」と同じく川の象形なので「川」から水を除去するのは難しい。
東山紀之が足利義満役で、中村梅雀が和尚役で、成宮寛貴は蜷川新右衛門役。
少し前なら中村梅雀が足利義満役で、東山は新右衛門役でもよかった気がする。
劇中で足利義満が将軍だったようで、アニメでもそうだったと思うが実際は違う。
一休宗純(1394~1481)が生まれた年に室町幕府3代将軍・足利義満(1358~1408、在職1368~1394) は将軍の座から退いており、一休が数え年15歳のときに義満はこの世を去った。
小僧時代の一休は「周建」を名乗っており、「一休」は22歳になってからの名だったようだ。
聖徳太子について、生前は厩戸皇子だったからそう呼ぶ風潮があるが、のちに有名になった名前で呼んでもおかしくはない。竹千代を「少年時代の家康」と呼ぶのと同じだ。
「このはしわたるべからず」の故事は海外でどう翻譯されているのだろうか。
柳田理科雄も疑問を呈していた。
シナ語で「橋」はqiaoであり、「端」はduanである。
シャレを使うなら「端」を「角」jiaoで表して「橋」qiaoと音が似ているところを利用するほかないだろうか。
前後一覧
〔平成24年6月〕(AmebaBlog)
関連語句
〔一休さん〕
筆談ホステス [1] [2](漢字論原点回帰II)
参照