1970年代の『必殺仕掛人』『仕置人』~『商売人』などと1980年代の『仕事人』『仕舞人』などでは作品の方向性が違っていた。
『仕事人』で三田村邦彦の人気が上がり、女性ファンが増えると、内容は殺し屋の葛藤などから離れて勧善懲悪のわかりやすいものとなり、演出は仕事の場面を美しく描くことに集中するようになった。
また、『仕事人』がブームになった1980年代はバラエティ番組が人気となり、時代劇もバラエティ化した。1時間のストーリーで観せるより、毎回、お約束の場面、決まったキャラクター同士の漫才のような掛け合いの繰り返しで瞬間視聴率を稼ぐようになった。
また、『仕事人』がブームになった1980年代はバラエティ番組が人気となり、時代劇もバラエティ化した。1時間のストーリーで観せるより、毎回、お約束の場面、決まったキャラクター同士の漫才のような掛け合いの繰り返しで瞬間視聴率を稼ぐようになった。
ラストが必ず中村家のシーンになったのもこのころで、1983年の『仕事人IV』ではオカマが順之助を追いかけ回す場面がお約束となった。『裏稼業の凄い奴ら』の評では「妙なレギュラーが増え、その顔見せが物語の進行を妨げるようになった」としている。
『水戸黄門』では1970年代の初めに印籠が定番化し、1986年にお銀(演:由美かおる)のお風呂シーン定番化し、視聴者はストーリーでなく「決まった時間の決まったシーン」だけを観るようになった。
この時点で『水戸黄門』はドラマとしては終わっていた。マンネリが観たいなら再放送を見ればいいし、お風呂シーンなど時代劇でやらずとも現代劇やバラエティで充分だからだ。
この時点で『水戸黄門』はドラマとしては終わっていた。マンネリが観たいなら再放送を見ればいいし、お風呂シーンなど時代劇でやらずとも現代劇やバラエティで充分だからだ。
山田誠二著『必殺シリーズ完全百科』164ページによると、『必殺仕事人IV』のアジトの撮影のとき、藤田まことが苦言を呈し、撮影が一時中断したことがあるらしい。
「忙しいスケジュールを調整して、レギュラーが全員集合しているのに、毎回難しい顔をして金を取るだけ。全然芝居がない。芝居が必要ないのなら、同じフィルムを使い廻しした方がマシだ」と言ったらしい。
ロボットアニメなら出動シーンは同じ場面の繰り返しで、セル画を節約している。
『水戸黄門』の場合、スタッフが脚本の面で新しい試みをしても、視聴者が昔ながらのマンネリや殺陣のシーンを求めるようでは、本放送は打ち切ったほうが得策である。マンネリ時代劇など再放送があれば充分だからだ。レギュラーがせっかく集まっても観る側が印籠シーンや入浴シーンだけを観るようでは、出演者の苦労も無駄に終わる。企業が多額の制作費をかけて番組を作る意味がない。
「忙しいスケジュールを調整して、レギュラーが全員集合しているのに、毎回難しい顔をして金を取るだけ。全然芝居がない。芝居が必要ないのなら、同じフィルムを使い廻しした方がマシだ」と言ったらしい。
ロボットアニメなら出動シーンは同じ場面の繰り返しで、セル画を節約している。
『水戸黄門』の場合、スタッフが脚本の面で新しい試みをしても、視聴者が昔ながらのマンネリや殺陣のシーンを求めるようでは、本放送は打ち切ったほうが得策である。マンネリ時代劇など再放送があれば充分だからだ。レギュラーがせっかく集まっても観る側が印籠シーンや入浴シーンだけを観るようでは、出演者の苦労も無駄に終わる。企業が多額の制作費をかけて番組を作る意味がない。
これは『オール讀物』で春日太一氏が指摘していた定番時代劇の特徴と限界を示している。
『必殺仕事人IV』のあと、三田村邦彦は一時、必殺から離れ、次に出演したのは1986年の映画『必殺!III裏か表か』とテレビ『必殺まっしぐら!』、87年の映画『必殺4恨みはらします』であった。
当時の新聞で「人気絶頂のさなか、主水一家ちりぢり」という特集が組まれた。この記事では『仕事人IV』のメンバーを「ベストメンバーと言われた主水一家」と評していた。
三田村邦彦は『新必殺仕事人』のあと、『太陽にほえろ!』のレギュラーになり、東京と大阪を掛け持ち。「必殺に縛られて東京で受けたい仕事が受けられない」とコメントしていた。
中条きよしは1984年に『仕事人IV』のあとの『必殺仕切人』で主役となったあと、12年も必殺から離れ、1996年の映画『必殺!主水死す』と99年の『必殺!三味線屋・勇次』で復帰した。
当時の新聞で「人気絶頂のさなか、主水一家ちりぢり」という特集が組まれた。この記事では『仕事人IV』のメンバーを「ベストメンバーと言われた主水一家」と評していた。
三田村邦彦は『新必殺仕事人』のあと、『太陽にほえろ!』のレギュラーになり、東京と大阪を掛け持ち。「必殺に縛られて東京で受けたい仕事が受けられない」とコメントしていた。
中条きよしは1984年に『仕事人IV』のあとの『必殺仕切人』で主役となったあと、12年も必殺から離れ、1996年の映画『必殺!主水死す』と99年の『必殺!三味線屋・勇次』で復帰した。
『完全百科』によると藤田まことは1986年の『仕事人V旋風編』開始の前後、名古屋での舞台と掛け持ちしていたそうだ。おそらく『その男ゾルバ』であろう。「主水バースになる」で主水がヒゲヅラになったのはこのときの役作りのためであった。
時代劇の問題は撮影場所が京都に限られていることだ。もっとも京都の人にとっては日本の都は平安時代(または長岡京時代)から京都なのであって、俳優ナ仕事場が東京に集中していることが問題なのだろう。
京都と名古屋の掛け持ちでも大変なのだから、京都と東京では俳優のスケジュールの苦労は大変だろう。
京都と名古屋の掛け持ちでも大変なのだから、京都と東京では俳優のスケジュールの苦労は大変だろう。
2011年の『水戸黄門』終了決定を受けて、水戸市と近隣2市の市長3名が東京のTBSを訪れ、番組継続を求めたらしい。しかし、なぜ時代劇の撮影場所を水戸や日光に作らなかったのか。日光には日光江戸村がある。
1987年、『風雲竜虎編』の時、某新聞に「主水、新たな旅立ちをする」という特集記事が出た。必殺が連続枠から撤退し、年数回の2時間スペシャル枠のみに移行することが決まった。その後、『必殺剣劇人』を経て、必殺は正月や春や秋に放送する2時間スペシャルのみとなった。
これにより、金曜だけ夜11時スタートだった『ニュースステーション』は月~木と同じ夜10時スタートに移行。
これにより、金曜だけ夜11時スタートだった『ニュースステーション』は月~木と同じ夜10時スタートに移行。
必殺は1991年の『仕事人・激突!』で連続時代劇として復活したのもの、それが終了するとまたテレビから去り、1996年と99年に映画が放映され、2007年と2009年のスペシャル版、2009年の連続時代劇『必殺仕事人2009』、2010年のスペシャル『必殺仕事人2010』になって一応終了した。
一方、必殺以外の他の時代劇は少し遅れて、同じように連続時代劇→スペシャル、映画という道をたどった。
1996年に個人視聴率が判明し、民放各局は時代劇から撤退し、時代劇はスペシャル枠になっていった。『水戸黄門』は連続時代劇として2011年まで続いたが、時代の流れに逆らえず、終了が決定した。
ある意味で1987年当時の必殺シリーズと同じ運命をたどったことになる。
1996年に個人視聴率が判明し、民放各局は時代劇から撤退し、時代劇はスペシャル枠になっていった。『水戸黄門』は連続時代劇として2011年まで続いたが、時代の流れに逆らえず、終了が決定した。
ある意味で1987年当時の必殺シリーズと同じ運命をたどったことになる。
1996年の個人視聴率判明から10年近く前に必殺は連続時代劇から事実上、撤退していた。
連続時代劇からの撤退が始まった1996年が『主水死す』公開の年だったというのも何かの因縁か。
連続時代劇からの撤退が始まった1996年が『主水死す』公開の年だったというのも何かの因縁か。
〔米長邦雄@yonenagakunioさん〕
必殺仕事人vs水戸黄門のドラマがあるらしい。黄門さまが斬られるシーンだけは見たくないなあ。
必殺忠臣蔵はありますが水戸黄門は登場していないでしょう。必殺シリーズでは徳川家の武士が葵の紋をひけらかして辻斬りをしそれを主水が仕置というパターンが普通です。あと東野英治郎は必殺SPで葛飾北斎を演じていたことがあるようです。
tweet 〔午後8:10 · 2012年10月24日〕
tweet 〔午後8:10 · 2012年10月24日〕
追加です。必殺忠臣蔵を除くと必殺の時代設定は天明~(寛政~享和~)化政~天保~幕末に集中しており光圀が登場する余地はありません。天保年間が舞台の必殺スペシャルで近藤正臣や栗塚旭が遠山金四郎を演じていたことはあります。月形龍之介は1970年没なので必殺に出るのは不可能でした。
tweet 〔午後8:16 · 2012年10月24日〕
tweet 〔午後8:16 · 2012年10月24日〕
「必殺仕事人2013」が来年放送されるようで、里見浩太朗が悪役で小宮山泰山(こみやまたいざん)という男を演じるらしい。水戸黄門の舞台は元禄年間の日本だが「仕事人2007」と「2009」の舞台は文政年間の日本である。
tweet 〔午後3:26 · 2012年10月25日〕
tweet 〔午後3:26 · 2012年10月25日〕
@kyojitsurekishi 里見浩太朗が「必殺仕事人2013」で初の悪役…。しかし月形龍之介、東野英治郎、西村晃といった過去の水戸黄門役は悪役出身だったはず。ある意味でいつか通る道だったということか。
tweet 〔午後11:50 · 2012年10月24日〕
tweet 〔午後11:50 · 2012年10月24日〕
1983~84年の「必殺仕事人IV」は人気絶頂期の作品だったがレギュラー出演者が京都での撮影に縛られて東京での仕事が受けられず、作品もマンネリ化し、藤田まことが「同じフィルムを使いまわす方がましだ」と苦言を呈していた。21世紀になって連続時代劇が減る原因が当時、既に表れていた。
tweet 〔午後7:58 · 2014年4月15日〕
tweet 〔午後7:58 · 2014年4月15日〕
〔エリック@e_lehnsherr〕
>返信先:@yossan050さん
仕事人は本当のシリーズ集大成を目指していた感もあり久々に方向性を感じられる番組だったため、路線変更は残念でした。 路線変更のおかげで人気が増大して、映画化・書籍サントラ等の商品化という状況があるので、悪いとは一概に言えませんけど(^^;) 長々とリプして申し訳ありませんでした m(_ _)m
水戸黄門は映画からテレビに移行し、45分で印籠のパターンを確立したものの、テレビの連続枠に適応しすぎて、映画(またはテレビの2時間スぺシャルのみ)のスタイルに回帰できない。仕掛人、仕事人は映画やスペシャル版で存続した。
〔『水戸黄門』と『必殺仕事人』 【弐】〕
『水戸黄門』と『必殺シリーズ』の歴史
仕事人ブームの時の藤田まことからの苦言による撮影中断 非公開
2011年10月11日~(古代史、日本史、時代劇、世界史、藤子作品、スポーツ、近現代~未来)
『水戸黄門』と『必殺シリーズ』の歴史
仕事人ブームの時の藤田まことからの苦言による撮影中断 非公開
2011年10月11日~(古代史、日本史、時代劇、世界史、藤子作品、スポーツ、近現代~未来)
T-CupBlog>糸井貢と水戸光圀